中國?蘇翊鳴選手の冬季五輪金メダル獲得を支えた日本人―香港?亜洲週刊が単獨(dú)取材

亜洲週刊    2022年2月27日(日) 7時(shí)40分

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北京冬季五輪の會(huì)場で涙を流しながら抱き合う二人の姿があった。終了したばかりのスノーボード男子ビッグエアの決勝で優(yōu)勝した中國人の蘇翊鳴選手(寫真右)と日本人の佐藤康弘コーチ(左)だ。

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北京冬季五輪の會(huì)場の一つのビッグエア首鋼で15日、涙を流しながら抱き合う二人の姿があった。終了したばかりのスノーボード男子ビッグエアの決勝で優(yōu)勝した中國人の蘇翊鳴選手と日本人の佐藤康弘コーチだ。蘇選手は「やりました!」と大聲を上げた。佐藤氏は「お前はすごすぎる」と蘇選手をたたえた。日中の國境を越えた師弟は、中國でも大きく注目された。香港メディアの亜洲週刊はこのほど、佐藤康弘氏をオンライン方式で長時(shí)間取材した記事を掲載した。以下は、その主要內(nèi)容を翻訳?再構(gòu)成したものだ。

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■中國側(cè)責(zé)任者が「異例の條件」を承諾、佐藤氏はコーチ就任を決意

佐藤コーチは留學(xué)先のカナダでスノーボードの魅力のとりこになった。そして「極限に挑戦」の信念を持つようになった。出身は広島県だったが、帰國後はウインタースポーツの本場の一つである長野県に越した。そして練習(xí)を重ねてプロのスノーボード選手になり、日本代表にもなった。その後は指導(dǎo)者となり、多くの名選手を育てたことで評価されることになった。

中國との縁の始まりは、中國國家體育総局の茍仲文局長に、北京に招待されたことだった。2018年4月のことだった。中國はすでに2022年の北京冬季五輪の開催権を獲得していた。茍局長は佐藤氏に、中國チームのヘッドコーチになってほしいと言った。日中のスノーボード界の懸け橋になってほしいとも懇願(yuàn)した。中國でスノーボードのナショナルチームが正式結(jié)成されるのは2カ月後の6月だった。佐藤氏に、初代ヘッドコーチになってほしいということだった。

佐藤氏は當(dāng)惑した。日本のプロスノーボード選手のコーチを務(wù)めていたからだ。彼らを置き去りにしたのでは信義に背く。茍局長は「かまいません」と言った。日中のコーチを兼任してかまわないということだ。これは異例の條件という。佐藤氏は茍局長の熱意と、佐藤氏の立場に配慮した誠意に感銘を受け、中國チームのコーチになることを了承した。

蘇翊鳴選手は中國北部の吉林省出身だ。両親の影響で4歳の時(shí)にスキーなどを始めた。7歳ごろには天賦の才を示し始めていたという。そして2018年にはスノーボードのナショナルチームの一員になった。しかし佐藤氏によると、當(dāng)時(shí)の蘇選手のレベルは日本のトップ選手と比べれば相當(dāng)に劣っていた。しかし、佐藤氏は蘇選手の心の中には「熱いスノーボードへの愛」と「極限に挑戦」という自らと同様の資質(zhì)があると感じ、「世界のトップ選手に育てることができる」と確信を持つようになった。また、蘇選手本人や両親が、佐藤氏を完全に信頼したことで、佐藤氏は「信頼と期待に応えねばならない」と強(qiáng)く思うようになった。

■コロナの影響で映像通じて指導(dǎo)、苦しい練習(xí)耐えてレベルが日々向上

佐藤氏によると、スノーボードのトップクラス選手の実力差は、大きいものでない。だがそのことは、他の選手とは違う極めて高い技術(shù)を成熟させなければ勝利はおぼつかないことを意味する。技術(shù)を完全に自分のものにするためには、精密な訓(xùn)練を蓄積せねばならない。

佐藤氏によると、精密な訓(xùn)練は厳しいものだ。しかし蘇選手は「ずっとついてきた」という。そして、壁を一つ一つ突破した。それでも、3年半で蘇選手を五輪で金メダルを獲得できるレベルに引き上げるのは容易ではない。佐藤氏はそこで、「北京冬季五輪での勝利」を目標(biāo)として、蘇選手が各種の技術(shù)を一つ一つ自分のものにしていくスケジュールを組み立てた。

蘇選手は最初の1年、長野県で訓(xùn)練した。雪がない季節(jié)には埼玉県內(nèi)の施設(shè)で訓(xùn)練した。しかし2020年には新型コロナウイルス感染癥のため、日中間の往復(fù)が困難になった。そのため、中國にいる蘇選手はネットを利用して練習(xí)の映像を佐藤氏に見せた。佐藤氏にとっては、蘇選手が絶えず映像を送って來るので助かった。佐藤氏は細(xì)かい改善點(diǎn)を指摘し、蘇選手は佐藤氏の指示に従って修正した。蘇選手が苦しさに耐えて練習(xí)していることはよく分かり、同時(shí)に、技術(shù)が日々向上していることも見て取れたという。

■金メダル獲得で爆発的に喜んだ背後にあった、ある「事情」とは

金メダル獲得で師弟が爆発的に喜んだ背後には、ある「事情」があった。蘇選手はビッグエア決勝の1週間余り前の7日には、スノーボード男子スロープスタイルの決勝に臨んだ。しかし減點(diǎn)を科せられたことで、2位に終わった。佐藤氏によれば、本來ならば減點(diǎn)の対象になる部分はなかったという。

佐藤氏は殘念に思ったが、審判員もその職責(zé)を果たそうと努力した上での判斷なので、判定を尊重することに決めた。しかしファンは納得しなかった。蘇選手が金メダルを獲得できないことが確実になった途端、ネットでは審判員に対する批判が噴出した。そこで佐藤氏と蘇選手は、判定と點(diǎn)數(shù)の決定は極めて難しい作業(yè)であることを説明し、冷靜になるよう呼び掛けた。そして、金メダルを獲得したカナダのパロット?マックス選手を祝福するよう求めた。

判定や審判に対する騒ぎは収束していった。しかし今度は、中國の人々が蘇選手にどれだけ期待しているかが、それまで以上にひしひしと伝わってくるようになった。精神面での大変な重圧だったという。

金メダルの獲得を目標(biāo)にして懸命に努力してきたのは事実だが、佐藤氏が「本當(dāng)のところは」と前置きして語った言葉によれば、五輪開催前には100%の自信があったわけではなかった。しかし二人は、「ビッグエアでは、必ず金メダルを取る」との考えを固めた。決意を新たにして高まった重圧をはねのけて金メダル獲得という夢がかなっただけに、喜びはひとしおだったという。

蘇選手が金?銀を獲得しただけでなく、佐藤氏が指導(dǎo)している女子の栄格選手も5位に入った。佐藤氏にとっては最高の五輪だった。しかし佐藤氏はすでに、4年後のミラノ大會(huì)を見據(jù)えて、頭の中で訓(xùn)練スケジュールの日程表を組み立て始めたという。

佐藤氏は、今後も國境を越えた日中のウインタースポーツの「懸け橋」でありつづけたいと語った。(翻訳?編集/如月隼人

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