〈新疆の世界遺産5〉クズルガハ烽火臺(tái):各種情報(bào)を伝えた狼煙臺(tái)

小島康譽(yù)    2022年3月5日(土) 16時(shí)30分

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クズルガハ烽火臺(tái)と日本人経営者一行、中央の女性は亀茲石窟研究院の研究員とガイド(撮影:楊新才氏)

クズルガハ(克孜尓尕哈)烽火臺(tái)は天山山脈南麓のクチャ(庫(kù)車)北西約12km、塩水渓谷近くの砂礫臺(tái)地に所在している。高さ約13m?底辺部分は東西幅約6.5m?南北幅約4.5m。下から上へ徐々に細(xì)くなる4層の臺(tái)狀で、10~20cmの層が版築で造られている。建造時(shí)は高さ約18mと推測(cè)されている。頂上へは階段のような構(gòu)造物があったと考えられるが長(zhǎng)年の風(fēng)化で下部しか殘っていない。

約2000年前に外敵の侵入をいち早く知らせる「狼煙(のろし)臺(tái)」として造られた。多數(shù)の烽火臺(tái)が造られ、情報(bào)を伝達(dá)した。新疆にはほかにも烽火臺(tái)遺構(gòu)は殘存しているが、クズルガハ烽火臺(tái)が最大でほぼ原形を留めている。なおすぐ近くにクズルガハ千仏洞がある。クズルガハとはウイグル語(yǔ)で「赤い歩哨」あるいは「赤い嘴のカラス」を意味するとか。

烽火臺(tái)の上部、木組みと版築で建造されているのがよく分かる(撮影:筆者)

クズルガハ烽火臺(tái)はシルクロードでの交通と文化交流を守った漢王朝の烽火臺(tái)制度を物語(yǔ)る貴重な文化遺産であるが、土で築かれた烽火臺(tái)や千仏洞が今まで殘ったのは少雨乾燥地帯だからである。2001年第5次「全國(guó)重點(diǎn)文物保護(hù)単位」に指定され、保護(hù)が行われている。

狼煙で情報(bào)が伝えられるのかと疑問に思われるだろうが、現(xiàn)在でも発煙筒が利用されているし、北前船などが沖合を通った日本海に面する能登半島の先端には「狼煙町」「狼煙港」「狼煙海岸」が現(xiàn)存している。多発する海難事故を防ぐためにあげた「狼煙」が由來である。この岬に1883年燈臺(tái)が建設(shè)されるまで狼煙が活躍した。

烽火臺(tái)の保護(hù)柵の外には世界文化遺産を示す石碑、筆者右は新疆文物局の甘偉氏(撮影:楊新才氏)

クズルガハ烽火臺(tái)に殘る悲話ご紹介。國(guó)王は美しい王女を?qū)檺郅筏皮い?。ところが占い師に「このままでは毒蛇に噛まれて死んでしまう」と告げられた。國(guó)王は驚き、高い烽火臺(tái)なら蛇は登れないだろうと避難させた。ある日、國(guó)王は気持ちをリンゴに託して屆けさせた。が、そのリンゴから毒蛇が飛び出し王女の喉を嚙み切ってしまった。(微妙に異なる伝説も有)

なお上述の塩水渓谷近辺はシルクロード舊道の一部とも言われている。その名が示すように岸辺は染み出る塩分で白くなっている。この道を約1時(shí)間行くとキジル千仏洞へ至る。

ご參考:小島ほか編『新疆世界文化遺産図鑑』(日本語(yǔ)版?本田朋子訳?日本僑報(bào)社2016)

■筆者プロフィール:小島康譽(yù)


浄土宗僧侶?佛教大學(xué)內(nèi)ニヤ遺跡學(xué)術(shù)研究機(jī)構(gòu)代表?新疆ウイグル自治區(qū)政府文化顧問。1982年から新疆を150回以上訪問し、多民族諸氏と各種國(guó)際協(xié)力を?qū)g施中の日中理解実踐家。
ブログ「國(guó)獻(xiàn)男子ほんわか日記」
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