東洋と西洋、価値観の差異の本質(zhì)は何なのか―中國在住米國人の作家兼政治経済學(xué)者が語る

中國新聞社    2022年3月6日(日) 17時0分

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政治経済を?qū)熼Tとするローレンス?ブラーム氏が、東西文化の違いの根底を語った。ブラーム氏は理想郷と考えられたシャングリラを探訪する映像作品などの監(jiān)督をしたこともある。寫真は雲(yún)南省のシャングリラの様子。

東洋と西洋の伝統(tǒng)文化や伝統(tǒng)的価値観の違いの本質(zhì)は何なのか。作家であり政治経済學(xué)者でもある米國人のローレンス?ブラーム氏は、中國在住40年の経験を持つ。中國の伝統(tǒng)文化を?qū)い亭搿弗伐悭螗哎辚椤工胜丧丧濂幞螗骏戛`映像作品の監(jiān)督を何度か務(wù)めたこともある。ブラーム氏はこのほど中國メディアの中國新聞社の取材に応じて、自らの體験を通じて知ることになった、中國と西洋それぞれの伝統(tǒng)的価値観について語った。以下はブラーム氏の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。

■西洋の発想の原點は「二項対立」、東洋では対立させずに調(diào)和を追求

西洋の思考方式の特徴は「二項対立」を出発點とすることだ。「黒と白」「正と誤」「善と悪」「人と自然」「彼らとわれら」のように分離していく考えが、政治経済や社會生活など多くの分野に浸透している。この発想は対立や両極への分化、排斥と排除、衝突といったイデオロギーにも結(jié)び付く。

アジアの特徴は、調(diào)和や平衡の追求、集合意識などにある。人は自然と戦って勝利することはできず、自然の一部として存在するしかないと考える。中國には「陰陽」の概念があるが、古い兵法書である「兵法三十六計」には、「陰は陽の內(nèi)にあり、陽の対(つい)にあらず」と書いている。すなわち「陰」と「陽」は別個に存在して対立しているのではなく、互いに相手を自らの內(nèi)側(cè)に含んでいるとの主張だ。

この考えは、物事は二項対立の狀態(tài)にあるのではなく、一體として相互に関連していることを説明しようとする試みだ。対立しているように見えるものでも、一方的に拒絶するのではなく、多面的な関係を受け入れて発展させ、調(diào)和させていくことに重點を置いている。

■中國人の心に伝統(tǒng)的価値観は深く浸透、失ったように見えても復(fù)活

このような、自然を尊重し、人と人の関係を大切にし、自然との調(diào)和を重視する価値観は一時期、中國の大都會では感じられなくなってしまった。しばらく前まで、純粋な伝統(tǒng)的価値観を探そうとするならば農(nóng)村部や少數(shù)民族地區(qū)に行く必要があった。

しかし現(xiàn)在の中國では、伝統(tǒng)的価値観を取り戻す人が多い。特に若者だ。もしも樹木が淺くしか根を張っていなければ、嵐に遭遇すればすぐに倒れてしまう。しかし中國における伝統(tǒng)的価値観は、地中に深く根をおろしていた。だからこそ、消えたかに見えた伝統(tǒng)的価値観が復(fù)活しつつある。

私が中國で生活した時期は、中國が數(shù)多くの改革に取り組んでいる時期だった。危機的な狀況もあったが、中國人は危機に強いと感じた。人々は一貫して団結(jié)し、政府は調(diào)和ある政策を推進しようと心を砕く。

「危機」という言葉は「?!工取笝C」の2文字から出來ている?!肝!工稀肝¥Δぁ工恰ⅳ长螆龊悉巍笝C」は、「物事の兆(きざし)」や「きっかけ」という意味だ。つまり「危機」とは「機會」、すなわち「チャンス」に結(jié)び付けられる狀況でもある。

中國では「危機」に直面するたびに、それを「機會」に転じて、再建や成長、それまで以上の発展に結(jié)びつけることが、繰り返し行われてきた。

■米中が「対立」という危機を超克するための道筋とは

米中関係には古い「公式」があるようだ。1971年に始まった「ピンポン外交」が、翌72年のニクソン大統(tǒng)領(lǐng)の訪中に結(jié)びつき、78年の國交樹立までの青寫真が描かれた。當(dāng)時の情勢は複雑だったが、米中の動きはシンプルで直接的なものだった。米國の卓球チームが中國に招かれて、中國人選手と試合をした。スポーツを介しての対話が、善意の交流に発展していった。

改めて情勢が複雑化した現(xiàn)在、われわれは「新ピンポン外交」を必要としているのかもしれない。文化やスポーツは人々の交流の土臺になりうる。例えば米國では多くの人がブルース?リーの映畫に影響されて、中國武術(shù)を?qū)Wぶようになった。

中國式の武術(shù)には特徴がある。戦うこと自體を目的にはしていないことだ。中國武術(shù)は正義を求め、不公正に反抗するものだ。中國武術(shù)には不屈、忠誠、尊敬、自然との調(diào)和、バランス、中道、現(xiàn)実性、流れに身を任せる空、非暴力など、內(nèi)在する重要な価値観が數(shù)多くある。

ちなみに「武」という漢字は「戈(ほこ)」という武器を示す文字と「止」という部分から成り立っている。だから中國武術(shù)を格闘技と訳すのは間違っており、むしろ「非暴力アート」と訳させねばならないと思っている。

相手と対立しても利益を得る者はいない。対立は無益だ。米國が、キング牧師がかつて唱えた非暴力を堅持するのなら、武術(shù)を介して中國人と米國人が話し合えることは多くあるはずだ。

米國の議員が皆で毎日、太極拳の練習(xí)をすれば世界の問題の多くは回避できるかもしれない。武術(shù)を?qū)Wべば、戦うだけでなく自らの精神の管理と感情のコントロールという文化的側(cè)面でも鍛えられる。武術(shù)家にとって戦うことは最後の最後の選択肢であり、とにかく爭いを回避することに全力を盡くす人格が形成されるからだ。(構(gòu)成 / 如月隼人

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