<日韓の絆>聲帯を失った「アジア最高のテノール」、奇跡の復活=「二つの聲が一つに」

八牧浩行    2022年3月11日(金) 8時20分

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「アジア史上最高のテノール」と言われ、世界を魅了した韓國人オペラ歌手、ベー?チェチョル氏。2005年に甲狀腺がんを患い、絶望のどん底に突き落とされたベー氏を支えたのは2人の日本人だった。寫真はベー氏?

日韓関係は政治的には厳しい狀態(tài)が続いているが、経済や文化?エンタメなど民間レベルの交流は活発である。韓國の次期政権が決まったのを機に、政治分野でも、良好な隣國関係が復活するよう望みたい。「日韓の絆」を象徴する映畫と取材を想起した。

「アジア史上最高のテノール」と言われ、ヨーロッパを中心に世界を魅了した韓國人オペラ歌手、ベー?チェチョル氏。ところが、2005年に喉に甲狀腺がんを患い、手術(shù)によって聲帯の神経の一部を切斷し、歌聲を失う。絶望のどん底に突き落とされたベー氏を支えたのは2人の日本人だった。寫真はベー氏?

絶望のどん底に突き落とされたベー氏を支えたのは、日本人プロデューサー輪島東太郎氏だった。ベー氏は日本人醫(yī)師(京都大名譽教授)、一色信彥氏から世界でも初めてという聲帯機能回復手術(shù)を受け、歌聲を回復。長く、苦しいリハビリと発聲練習を経て、テノール歌手として再び日本のファンが待ち望む復活の舞臺に立った。

「奇跡の復活」と呼ばれる彼の歌聲は、各地で聴衆(zhòng)に深い感動を與え続け、その歌聲は、日本と韓國の絆の象徴でもある。この実話をもとに制作された日韓共同製作映畫「ザ?テノール=真実の物語」は大きな評判を呼んだ。筆者もこの映畫を視聴し感動した。ベー氏は來日し2016年7月31日に都內(nèi)でリサイタルを開いた。美智子皇后さま(現(xiàn)上皇后)が鑑賞され、會場は溫かい雰囲気に包まれた。

この直後の8月1日、同氏と輪島氏、一色氏の3氏が日本記者クラブで會見し、次のように語った。

<オペラ歌手、ベー?チェチョル氏>

私は歌うためにこの世に命をいただいた。少年時代、韓國で人気番組だったのど自慢大會に參加し、2回受賞した。その時の審査員から「君はいい聲をしており、しかも味わい深い。オペラ歌手になれる」と言われたが、オペラ歌手というのはどのような職業(yè)なのかさっぱり分からないほどだった。

振り返ると、神様がすべての道をつくりあげてくれたと感謝している。韓國の大學を卒業(yè)した後、イタリアに留學し約11年も勉強した。オペラが生まれたイタリアでの生活は素晴らしい経験だった。

私の家は経済的に恵まれていなかったが、両親は自分たちを犠牲にして海外に留學させてくれた。頑張らなければいけないと思った。コンクールにもたくさん出たが、いつも優(yōu)勝することを目標にした。

だがある日、聲が出なくなり、私の歌手としての命は完全に失われた。私の人生にとって肉體と歌は表裏一體だったのでショックだった。

ところが神様は、第2の聲を與え、その聲は人々のために使いなさいと言ってくれる。歌うときいつも神様のことを考える。そして再出発に導いてくれた2人の恩人、輪島さんと一色先生のことを思う。

輪島さんとは出會ってから13年。最初にいい聲をしていると言われた。その3年後に私は聲を失った。歌手と音楽事務(wù)所(プロデューサー)との関係は、仕事がなくなった時點で終わるのに、輪島さんは私を見捨てなかった。歌手としての人生が必ず來ると言い、ともに歩いていこうと勵ましてくれた。

私は歌手として復活できるとは考えられなかった。輪島さんとの出會いがなければ今日の私はなかった。不思議なご縁を與えられたからこそ、日本を何回も訪れ多くの方々に聴いてもらえるようになった。

顔だけ見れば韓國人も日本人も同じに見えるが、韓國人の心の中は非常に熱くて情熱的。日本人は靜かで、不思議なことに日本に來ると非常に居心地がいい。

父は大阪で生まれている。戦前に祖父が大阪で商売し、私の家族の日本との関わりが始まっていた。

オペラ歌手の手術(shù)は初めての経験だったのに、一色先生は京都で「私ができる最良のことをする」と約束してくれ、私の心に最高の平安が訪れた。今しゃべっている聲はメイド?イン?ジャパンの聲。楽器はメイド?イン?コリアだ。二つの聲が一つになった。

私が経験したように、韓國と日本もそのようになることを願っている。どれほど素晴らしいことか。両國にはいいところも悪いところもあるが、相手の優(yōu)れたところをお互いに見つめ合っていきたいと思う。私の夢であり目標だ。

<音楽プロデューサー、輪島東太郎氏>


私は長く音楽の仕事をしているが、ベーさんの歌聲を初めて聴いた時、世界でも最高のテノールだと思った。映畫「ザ?テノール=真実の物語」は99%実話である。

ベーさんが聲帯を失ったと聞いた瞬間、彼の歌聲を2度と聞くことはできないのではと、空から隕石が落ちてきたような衝撃を受けた。彼は一緒に悩み抜いた末、病気になってよかったと言ってくれた。その時に、再び舞臺に立たせようと決意した。

ベーさんは以前よりも素晴らしい歌手になった。昨日(7月31日)のリサイタルに來られた皇后陛下が、「日本に何度でも來てください」とおっしゃった。彼の復活後の聲は、以前に比べ數(shù)値データ的には高さや大きさが劣るが、耳に聴こえない美しさや味わいがある。

聴衆(zhòng)が受ける感動は以前より増している。日本と韓國の超えられない何かを埋めることができた。友情のデュエットとして、日本と韓國の絆の道を開いてくれると思う。

一色先生は聲帯分野で世界で最高の賞を受賞している最高権威だが、世界で初めてのオペラ歌手の聲再生という、困難な手術(shù)に挑戦?;颊撙蛞姃韦皮毪瑜Δ胜长趣颏筏胜盲?。

<一色信彥京大名譽教授>


人生とは予測のつかないもの。子どものときは醫(yī)者になる人生は考えていなかった。聲帯醫(yī)學の道に進んだが、役に立ってよかった。

「日韓の絆」がさらに強化され、政治、経済、文化…。すべての面で「二つの聲が一つになる日」の到來をを心から望みたい。

■筆者プロフィール:八牧浩行

1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務(wù)取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務(wù)めたほか、歐州、米國、アフリカ、中東、アジア諸國を取材。英國?サッチャー首相、中國?李鵬首相をはじめ多くの首脳と會見。東京都日中友好協(xié)會特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著?共著に「中國危機ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外國為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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