中國新聞社 2022年3月16日(水) 6時50分
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中國社會主義學(xué)院準教授の謝偉銘準教授が、いくつかのキーワードを紹介しつつ、現(xiàn)代中國における伝統(tǒng)思想の生かされ方を説明した。
極めて長い歴史を持つ中國の伝統(tǒng)思想は、現(xiàn)代社會にどのような影響を與えているのか。中國社會主義學(xué)院準教授の謝偉銘準教授はこのほど、中國メディアである中國新聞社の取材に応じて、現(xiàn)代中國における伝統(tǒng)思想の生かされ方を説明した。以下は謝準教授の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
■「天下為公」「中庸」とは何なのか、社會にどのように生かされたのか
中國では古くから、社會の上層階級だけでなく、庶民も「天下為公(天下をもって公となす)」の考えを持っていた。これは、世の中は全ての人のためにあるという素樸な価値観だ。同様に重視された考え方が「中庸」だ?!钢小工趣蠘O端に走らないことだ?!赣埂工趣悉虾愠P预蛞馕钉工?。持久力と言ってもよい。
現(xiàn)在の中國は、社會制度としてこのような思想を受け継いでいる。例えば中國で政権を擔(dān)當(dāng)するのは中國共産黨だが、それ以外に民主黨派と呼ばれる8政黨がある。これらの8政黨は共産黨と対立する存在ではない。西側(cè)諸國の野黨にありがちな、與黨に反対するために極論を展開するのではなく、中國全體の利益を考えて、それぞれが現(xiàn)実的な政策の提案をする。よい提案と認められれば現(xiàn)実の政治に生かされていく。
このように、現(xiàn)代中國の政治制度にも「天下為公」や「中庸」の思想は生かされている。
■異なる文化の存在が前提、取り入れて融合させることも
中國では場所が違えば風(fēng)習(xí)が違うと説かれてきた。紀元前に成立した「禮記」も、人々は居住する場所によって風(fēng)習(xí)が違い、「それぞれに、安心できる居住の方式や好む味や適切な衣服や、役立つ能力がある」と、民族による違いを認識している。
また、司馬遷は「史記」の中で、匈奴は中國最古の王朝との記載がある夏の子孫と記した。このように、少數(shù)民族に屬する人も、祖先は漢族と共通するとの言い伝えがある場合は多い。中國では、民族が違えば文化や習(xí)慣が異なるが、つながる部分もあると考えられてきた。
また、異なる民族の文化が取り入れられることも多かった。戦國時代の趙の武霊王(在位:紀元前325-同298年)は「胡服騎射」という戦法を?qū)毪筏?。乗馬に適した北方民族の衣裝を著用して、騎乗して矢を射る機動力に富んだ戦法だ。趙はこの、自らを変革し外部の方法を取り入れる「改革開放」で強大になった。
中國文化の中で、現(xiàn)在いうところの少數(shù)民族の影響を受けている部分は極めて多い。中國を代表する衣服として知られるチャイナドレスも、清朝期の支配民族だった満族の衣裝の影響で成立したものだ。
民族楽器の胡琴(二胡など)も、北宋時代(960-1127年)かその直前に北方民族から伝わって來た楽器だった。
■「よりよく生きる」ための思想が、現(xiàn)代中國でも奏功
孔子は「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」、つまり、「自分は生きると言うことが分かっていない。だから死を理解することはできない」と言った??鬃婴稀肝?、怪力亂神を語らず」とも言って、超自然的なことに觸れることを避けた。
孔子は宗教自體を否定したのではない。しかし現(xiàn)実社會を重視することを強調(diào)し、極めて冷靜かつ理知的な態(tài)度で死者の魂や神と向き合おうとした。中國にはこのような考え方があったので、社會全體を揺るがす「宗教的熱狂」が発生することは少なかった。
中國ではこのような背景により、さまざまな思想や宗教が共存することになった。戦國時代には「諸子百家」が共存し、その後も長期に渡り儒教と道教が並立した。仏教は儒教や道教と融合した。キリスト教やイスラム教も、すでに存在した儒教などの考え方のある面を土臺にして発展していった。中國ではこのように、さまざまな宗教が調(diào)和して発展するための土壌が形成された。
中國では「儒商」という概念も発生した。つまり、商業(yè)活動などについて、自分の利益の利益だけではなくて、萬人が恩恵を受けることを考えねばならないということだ。
現(xiàn)代中國においては、民間の経済人という新たな社會階層の人々が重要な役割りを果たしている。経済人と政界人は親密ではあるが清廉な関係を構(gòu)築して、それぞれの役割りをしっかりと果たさねばならない。
中國では伝統(tǒng)的に「士の精神」も重要だった。この場合の「士」とは社會の上層階級の総稱で、在野の知識人も含む?!甘郡尉瘛工沃肖扦庵匾胜韦感迶胖纹健工馈¥长窝匀~は「身を修め、家を斉し(安定させる)、國を治め、天下太平にする」を意味する。つまり、天下泰平を?qū)g現(xiàn)させるという高まいな理想をしっかりと持たねばならないが、その第一歩として自らが高潔な人物であることを求めるわけだ。
現(xiàn)在の中國では、さまざまな分野で人材の厚い層が形成されつつある。それぞれの人材がそれぞれの知の分野で、自らのレベルを高めようと懸命に努力している。そのような個々の努力の結(jié)果として、國の発展が後押しされている。まさに「修斉治平」の理想が実現(xiàn)しつつあると言ってよい。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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