中國新聞社 2022年3月29日(火) 10時50分
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中國法政大學(xué)の李筠教授は「中國の一帯一路は新植民地主義ではないのか?」との懸念に回答した。中國にはその意志も能力もないという。寫真は成都博物館で開催されたシルクロード服裝文化特別展。
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中國が推進(jìn)する「一帯一路」について、西側(cè)諸國から「新植民地主義ではないのか」との懸念が示されることがある。しかし歴史や政治を研究する中國法政大學(xué)の李筠教授は、「一帯一路」については中華文明の「遺伝子」から読み取らねばならないと主張する。李教授は中國メディアの中國新聞社の取材に応じて、中華文明の特色と「一帯一路」の関係を説いた。以下は李教授の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
【その他の寫真】
■文化文明は民族の枠を超えて融合しつつ継承される
「中華文明は世界で唯一の數(shù)千年前から継承されてきた文明だ」という言い方があるが、正確ではない。まず、文化や文明は先祖から子孫へと単純に継承されていくものではない。ギリシャ人は理性の価値に気づいた。ローマ人は王制を打破して共和制という政治形態(tài)を打ち建てた。ギリシャの都市國家は消滅し、ローマは帝政に移行した。しかしギリシャやローマ文明の良い部分は人類の財産として殘った。ギリシャ哲學(xué)はその後の思想に大きな影響を與えた。中世ヨーロッパで大いに栄えたベネチアはまさに共和制の國だった。
一つの文明が消滅したように見えても、その文明のすばらしい部分は他の文明に取り入れられる。文明とは互いに學(xué)び合い、融合して継承されるものだ。
中華文明も同様だ。自らが創(chuàng)出した成果だけで構(gòu)築されたのではない。最初期の中華文明は、黃河中流域のいわゆる中原文明だった。しかし秦による統(tǒng)一で、中原文明に異質(zhì)の要素が取り入れられた。隋や唐の時代になると、匈奴や鮮卑、羌などの民族の文化文明の要素が中華文明に入った。明代や清代には満州族やモンゴル族、チベット族、いわゆるイスラム系民族の文化文明も中華文明に溶け合うことになった。中華文明を化學(xué)用語で形容するならば、さまざまな元素で構(gòu)成される「化合物」だ。
■中國には「新植民地主義」を推進(jìn)する意志も能力もない
2013年には、古代シルクロードの現(xiàn)代版である「一帯一路」が提唱された?!敢粠∫宦贰工稀⒘Δ蛐瞍à恐袊颏脸訾筏啃陇郡屎M膺M(jìn)出の方式の一つだ。
しかしその海外進(jìn)出の方式は「新植民地主義」ではない。中國には実は、ある種の「欠落」がある。中國には植民地支配の経験も技術(shù)も持ち合わせてないのだ。能力がない以上、実行するのは不可能だ。
中國は自らを開放し、外の世界にも進(jìn)出することが必要と強く感じている。背景には歴史上の教訓(xùn)もある。明朝と清朝時代の中國は一種の鎖國をしていた。鎖國がもたらすのは経済規(guī)模の制限だ。アダム?スミスの「國富論」によれば、市場経済の有効性はその規(guī)模に比例する。規(guī)模が大きくなるほど分業(yè)が細(xì)かくなり、労働力の生産性が高くなる。生産性が高くなれば競爭力が強くなる。閉鎖的で大きさに限界のある市場で営まれる経済は、発展する上でのハンデがある。最初は優(yōu)勢でも、いずれは追い越される。
清朝最盛期の経済規(guī)模は歐州諸國全體の経済規(guī)模より大きかったとされる。しかし歐州では産業(yè)革命により経済が飛躍的に発展した。閉鎖的な中國は産業(yè)革命を取り入れることがなかった。中國の國力は清朝末期までに、西洋よりもはるかに劣ることになった。
もう一つ重要な側(cè)面は、閉鎖によって精神的な閉塞、さらには想像力や知識の欠如がもたされ、そのために傲慢や頑固という精神狀態(tài)になることだ。
茅海建先生が著した「天朝の崩壊」によれば、1840年に勃発したアヘン戦爭に破れた清が英國に屈辱的な南京條約を結(jié)ばされた際に、道光帝は「英國とはどこにあるのか。何の蠻夷なのか」と尋ねたという。國のトップとして君臨する者が、戦爭に負(fù)けても相手が誰だか分からなかったわけだ。これは明らかに、數(shù)百年間に渡って國を閉ざしてきた結(jié)果だ。
■「一帯一路」は中國で復(fù)活した「外部とのつながり重視」の文脈で理解すべき
中國が過去40年余り続けてきた開放は、長い歴史を通じての最も根底からの開放だ。歴史上の「開放現(xiàn)象」は多くの場合、無自覚で受動的なものだったが、現(xiàn)在の開放ははっきりと自覚的なものだ。すべての中國人が生活の実踐の中で開放を理解し、感じて、大切にしている。
その結(jié)果として「中國は世界の中の中國であり、世界は中國を含む世界だ」という考え方が中國での共通認(rèn)識になった。また中國人は世界のさまざまなことに関心を持ち、自らのことのように感じるようになった。例えば米國人の元プロのバスケットボール選手だったブライアントさんが2020年に事故死した際には、多くの中國人ファンが嘆いた。サッカーのメッシ選手が21年に自らの意志に反して長年に渡り所屬したFCバルセロナを退団させられた時には、多くの中國人が憤った。
だから開放は中國人にとってすでに、慣れ親しんだ狀態(tài)なのだ。難しい理論や哲學(xué)や政治學(xué)を説く必要はなく、中國人ひとり一人が馴染んでしまった狀態(tài)だ。中華民族の文化的遺伝子だった「開放」が今や、増幅されて復(fù)活したのだ?!敢粠∫宦贰工狻⑼獠郡趣芜B攜を求める中國本來の姿を反映しているとの文脈で理解されねばならない。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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