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戦爭、地震そして戦爭=日本生まれのエミールの場合

奧田萬里    2022年3月26日(土) 6時30分

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夫の祖父奧田駒蔵にはエミール?コットというフランス國籍の甥がいた。

夫の祖父奧田駒蔵にはエミール?コットというフランス國籍の甥がいた。エミールの父親はラディスラス?コット(Ladislas Cotte)、明治30?40年代に橫浜のオテル?ド?パリのシェフとして、大正年代にはオリエンタル?パレス?ホテルの経営者として活躍したフランス人だった。このコット氏の妻が駒蔵の連れ合いの姉だった。

『橫浜山手外人墓地』(生出恵哉著)によれば、橫浜生まれの姉妹はモダンボーイだった父親に連れられて、海岸通り界隈をよく散歩し、ホテルのロビーで寛いだりしていたという。そのうち姉はシェフのコット氏と親しくなり、結婚。二人の息子ジャンとエミールを授かる。明治の終わりごろのこと、橫浜といえども國際結婚はまだ珍しかったに違いない。

妹のほうは、コット氏のもとで西洋料理の修行をしていた奧田駒蔵と仲良くなる。駒蔵は短期間の渡歐から帰國すると、家族とともに東京に出て、明治43(1910)年、日本橋小網(wǎng)町に西洋料理店「メイゾン鴻乃巣」を開く。やがてメイゾン鴻乃巣は、當時の若き文士や畫家たちが出入りする店となる。

大正3(1914)年、歐州で第1次世界大戦が始まると、日本に滯在していたフランス人たちも本國に召喚され、戦場に馳せ參じたという。コット氏は、當時東京銀座でフランス料理店を営んでいたが、店を売り払って國に還り、従軍。ドイツとの激闘で知られるヴェルダンの戦いを生き延び、終戦後の大正8(1919)年日本に戻ってきた。今度は橫浜のオリエンタル?パレス?ホテルの経営者として家族4人で暮らしていくのである。重厚な赤レンガに白の漆喰で縁取られたオリエンタル?パレス?ホテルは、グランド?ホテルと並び常に夜會、舞踏會が開かれ、在留外國人の楽しい遊び場所だった。

ところが、大正12(1923)年9月1日相模灣沖を震源とするM7.9の関東大震災が起きる。ことに埋め立て地橫浜の被害は甚大だった。橫浜市震災誌によると、「上下動の激震突如襲來するや煉瓦造や石造の舊式の建物はみるみる一斉に倒壊した」という。海岸通にあったオリエンタルホテルは瞬く間に崩壊、コット氏も瓦礫の下で亡くなってしまうのだ。エミールはこのとき17歳、フランスに留學中だったが、急遽帰國を余儀なくされる。

父亡き後、母にはフランス本國から年金が送られてきたので、2人の子供と安心して生活することができたという。息子たちは橫浜の同じ貿(mào)易會社で働いていたが、兄のジャンはやがてフランス人女性と結婚して獨立し、弟のエミールは母親の元に殘った。

日露戦爭後、朝鮮半島を統(tǒng)治下においた日本は、昭和に入ると中國に矛先をむけ、満州事変を引き起こす。その後各國から非難を浴びた日本は國際連盟を自ら脫退、孤立を深め、日中戦爭へと戦線を拡大させる。さらにヨーロッパで戦端が開かれると、それに乗じて日本はフランス領インドシナなど南方進出を強化し、やがて太平洋戦爭へとなだれ込んでいった。

國籍はフランスだが、日本で生まれ育ったエミール。心中は複雑だった。日本政府によって徴用されたのか、志願したのかは不明だが、フランス語の能力を買われて、軍屬として仏印へ送り出されたらしい。日本軍が軟禁していたフランス高官の通訳をしていたのではないかとの推測もある。

昭和20(1945)年日本は無條件降伏する。エミールは帰ってこなかった。

戦後數(shù)年経って、エミールが処刑されたとの報せがフランスから叔母のもとに屆く。降伏後の仏印では、フランス軍が戦犯を摘発、フランス國籍のエミールは祖國に弓を引いた反逆者として処刑されたのだった。

エミールの母は、彼が仏印に派遣された直後に脳溢血で死亡していた。母の國のために働いた息子が、父の國によって処刑されたこの悲劇を知ったとき、私のこころは激しく揺さぶられた。

夫の祖父の足跡を探索する中で見つけたこのエピソード。今現(xiàn)実に起こっている非道な侵略戦爭は、帝國主義時代に舞い戻ったかのような錯覚を思わせ、おぞましい。兵器は人智を超えて格段の進歩(?)を遂げたが、それを扱う人間はむしろ退歩しているのではないか。一刻も早い停戦を祈るばかりである。

■筆者プロフィール:奧田萬里

靜岡市出身。元高校教諭。退職後、夫の祖父の足跡を調査し始める。中間報告として書いた『祖父駒蔵と「メイゾン鴻之巣」』で2006年度靜岡県蕓術祭文學部門(隨筆)蕓術祭賞受賞。2008年かまくら春秋社から同名のエッセイ集を出版。調査の集大成として2015年『大正文士のサロンを作った男 奧田駒蔵とメイゾン鴻乃巣』(幻戯書房刊)出版。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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