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「文房四寶」とは、筆?墨?紙?硯(すずり)のことだ。この4種の道具は長い歴史を通じて、中國の書畫文化の支え手であり続けた。文房四寶を理解する上では、何が大切なのか?,F(xiàn)代社會(huì)での位置付けはどうなのか。
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「文房四寶」とは、筆?墨?紙?硯(すずり)のことだ。この4種の道具は、長い歴史を通じて中國の書畫文化の支え手であり続けた。文房四寶を理解する上では、何が大切なのか?,F(xiàn)代社會(huì)での位置付けはどうなのか。中國科學(xué)院科學(xué)伝播研究センター主任で、中國文房四寶協(xié)會(huì)副會(huì)長なども務(wù)める湯書昆教授はこのほど、中國メディアの中國新聞社の取材に応じて「文房四寶」について詳しく説明した。以下は王教授の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
【その他の寫真】
■外國の古い硬筆は姿を消したが、中國人は毛筆を手放せなかった
古代エジプトの葦(あし)ペンや西洋の羽ペンは硬筆に分類される。中國の毛筆は軟筆だ。硬筆の場(chǎng)合には萬年筆やボールペンなどが新たに登場(chǎng)した。これらは舊式の硬筆よりも便利で耐久性があった。だから葦ペンや西洋の羽ペン歴史の舞臺(tái)から退いた。中國の筆は今も盛んに使われている。
2000年以上の歴史を持つ毛筆は、中國人の筆記用具であり続けた。東洋の書畫で求められる効果を出すには、硬筆では代替できないからだ。20世紀(jì)後半からは日常生活における毛筆の重要性が低下したが、現(xiàn)在でも毛筆による書道は中國の特色が濃厚な文化だ。
中國では極めて早くから紙が一般的に使われていた。歐州では長期にわたり羊皮紙が使われ、エジプトではパピルスが使われていた。インドではヤシ科のコウリバヤシの葉に文字などを記録した。日本では木簡(jiǎn)や布が使われた。
パピルスを作るために適した草はナイル川周囲の濕地帯でしか採れなかった。従って生産場(chǎng)所に制約が大きく、生産量も増やせなかった。また、パピルスは草の莖の薄片を重ねてたたいて作る?!弗靴毳住工趣いχ虚g生成物を経ていないので、書き心地はよくない。羊皮紙や絹布は高価すぎて、大衆(zhòng)への普及には不向きだった。
■世界を変えた中國の大発明「紙」は、どれだけスゴかったのか
紙は後漢時(shí)代の蔡倫(50?―121?年)という人物が発明した。蔡倫は原始的な製紙法を総括して、樹皮やぼろ布を水に漬けてたたくことで繊維をばらばらにして、それを漉(す)くことで植物繊維がからみあった紙を作り出した。
751年に、現(xiàn)在のキルギス領(lǐng)內(nèi)のタラスで、唐軍とイスラム帝國アッバース朝軍が激突した。唐軍は大敗した。アッバース朝軍の捕虜になった唐軍兵士の中に紙職人がいた。アッバース朝はサマルカンドに紙づくりの工房を作り、中國人職人に紙を作らせた。
13世紀(jì)ごろには、製紙技術(shù)がイタリアにも伝わった。18世紀(jì)末にはフランスで、中國の製紙技術(shù)を基礎(chǔ)として西洋の機(jī)械技術(shù)を利用する新たな製紙法が開発された。世界は近代的な機(jī)械製紙の時(shí)代に入った。「紙のある時(shí)代」が到來したことで、知識(shí)の共有が飛躍的に増加した。
世界各地で、原材料や製法の違いにより、さまざまな性質(zhì)の紙が登場(chǎng)することになった。中國の書畫で使われる紙の代表は、現(xiàn)在の安徽省宣城市ケイ県(「ケイ」はさんずいに、つくり部分は上から「一」、「巛」、「工」)、宣州と呼ばれた地で開発された宣紙だ。
宣紙はケイ県一帯に多く自生する青檀 (セイタン)の樹皮と現(xiàn)地の砂質(zhì)の田で栽培される稲のわらを主原料にする。この稲わらには、一般的なわらよりもよい繊維が多く、腐敗しにくく、自然漂白をしやすい長所がある。宣紙づくりには主要な作業(yè)だけでも18の工程があり、完成するまでに1年間を要する。出來上がった宣紙は、柔らかい一方でしっかりとしており、墨の発色に素晴らしい変化をつけることができる。
中國では元代(1279-1368年)に、墨色の潤沢さを重視する「東方水墨」と呼ばれる絵畫の様式が盛んになった。宣紙は墨色の変化で朦朧(もうろう)とした雰囲気を出す東方水墨にもうってつけの紙だった。
清朝末期の光緒年間(1875-1908年)には、日本の製紙専門家が中國で詳細(xì)に調(diào)査研究して宣紙を再現(xiàn)しようとしたが、技術(shù)はあっても原材料が特殊であるために日本での再現(xiàn)は困難で、最終的には放棄せざるをえなかった。
■文房四寶は中華文明の伝統(tǒng)を支えてきた、中國人は將來も手放さない
文房四寶は中華文明の安定と伝承に重要な役割りを果たしてきた。中國の歴史では、少數(shù)民族が樹立した王朝も珍しくない。代表的な王朝はモンゴル族が樹立した元朝や女真族による清朝だが、それ以外にも北魏、遼、西夏、金など多くの少數(shù)民族政権があった。中國の古典文化を大切にした支配者は多く、清朝の康熙帝(在位:1661-1722年)、雍正帝(同:1722-1735年)、乾隆帝(同:1735-1796年)のように、自らが書をよくした皇帝もいた。
これらは、どの時(shí)代においても思想概念や審美眼が受け継がれてきたことや、文房四寶を用いた表現(xiàn)が共感されたことを示している。文房四寶は小さな道具だが、それを用いる人の古典文化への帰屬意識(shí)を強(qiáng)め、文化活動(dòng)に積極的に參加し體験することを促してきた。日本人や中國人も歴史を通じて、文房四寶を用いて中國文化を體験してきた。
現(xiàn)在では小學(xué)校における書道教育にも力が入れられている。理系の中國科技大學(xué)でも學(xué)部學(xué)生や大學(xué)院生、外國人留學(xué)生を?qū)澫螭摔工搿肝姆克膶殼蛴盲い骏辚濂楗唷工激蓼盲?。高度に完成された古典的な道具と表現(xiàn)方式は新たな時(shí)代にも受け継がれている。文房四寶は若い世代の中國人にとって、自民族の文化を理解する「窓口」だ。
過去20-30年において、高級(jí)な文房四寶に対する需要は徐々に回復(fù)してきた。歴史上の最高水準(zhǔn)に匹敵する文房四寶の傑作も多く生まれている。この現(xiàn)象は中國の経済社會(huì)の発展レベルの向上に伴うものもあり、高級(jí)な文房四寶に対する需要は、今後さらに高まるだろう。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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