古代から現(xiàn)代まで中國天文學(xué)はいかに発展したのか、99歳の天文學(xué)者が紹介

中國新聞社    2022年4月22日(金) 0時(shí)20分

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中國には、約3000年前に記された天文の記録がある。そんな昔から星々を見つめた人らは何を思っていたのだろう。そして現(xiàn)代の天文學(xué)者との共通點(diǎn)はあるのだろうか。

中國には、約3000年前に記された天文の記録がある。そんな古い時(shí)代の星々を見つめていた人は何を思っていたのだろう。そして現(xiàn)代の天文學(xué)者との共通點(diǎn)はあるのだろうか。天文地球動(dòng)力學(xué)などの専門家として、長(zhǎng)年にわたり天文學(xué)に関わって來た韓天芑氏はこのほど、中國メディアの中國新聞社の取材に応じて、古代から現(xiàn)代に至るまでの中國の天文學(xué)の歩みを紹介した。韓氏は1923年2月の生まれで、現(xiàn)在は99歳だ。以下は韓氏の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。

■真の科學(xué)と言えなかった天文學(xué)も、16世紀(jì)から近代科學(xué)に変貌

中國では前漢時(shí)代(紀(jì)元前202-紀(jì)元8年)の彗星(すいせい)の出現(xiàn)の記録がある。唐代(618-907年)に作られた星の位置を示す図もある。宋代の1054年には「客星」が出現(xiàn)したと記録されている?!缚托恰工趣贤蝗护嗣鳏毪xく星のことで、超新星爆発だった。その爆発の名殘が現(xiàn)在のかに星雲(yún)だ。中國で記録された天文観測(cè)資料は極めて多く、今も天文學(xué)の研究に貢獻(xiàn)している。

記録によれば、最も古く登場(chǎng)した王朝の「夏」でも、専任の天文官が配置され、長(zhǎng)期にわたり系統(tǒng)的な観測(cè)に従事し、天文知識(shí)の収集?整理を行った。漢代には天象観測(cè)を中心とした完全な古代天文學(xué)の體系が形成された。古代中國の天文學(xué)者の主たる仕事は暦の策定だったが、日食や月食、惑星の位置の算出なども行っていた。

ただし、中國の古代天文學(xué)は農(nóng)業(yè)に役立てることと占いを目的にしていた。つまり、中國の古代天文學(xué)は占いの道具でもあり、真の意味での自然科學(xué)の研究ではなかった。

明代の16世紀(jì)になり、西洋人の宣教師が中國にやって來て、天文學(xué)など西洋の科學(xué)知識(shí)を中國にもたらした。西洋天文學(xué)の伝來により発生した最も重要な出來事は「崇禎暦」の作成だった?!赋绲潟贰工衔餮筇煳膶W(xué)の手法を取り入れ、それまでの「大統(tǒng)暦」の不備を修正したものだ。また、宣教師は望遠(yuǎn)鏡など多くの天文観測(cè)機(jī)器を持ってきた。

中華人民共和國が成立する以前に、中國人による天文學(xué)研究は「占い」の境地を抜け出し、天文現(xiàn)象や天文法則を研究する自然科學(xué)の性格を確立していた。

■當(dāng)初はソ連人専門家の教えを仰いだが、迅速に「自主開発」の道を歩み始めた

中國は1954年、Welt T4という型番の、経緯儀という機(jī)器の中でも世界最高とされていた機(jī)器を輸入して、天體の見える角度を利用した黃河の測(cè)量を?qū)g施した。30歳だった私も、この測(cè)量プロジェクトに參加した。中國人の科學(xué)者や技術(shù)者は、最初はソ連人の専門家の協(xié)力を仰いだが、皆が迅速にWelt T4の使用法を習(xí)得した。

夜になると、観測(cè)のために大忙しだ。観測(cè)すれば終わりというのではなく、その後に複雑な計(jì)算をせねばならない。観測(cè)対象が多く、晝夜兼行で作業(yè)せねばならなかった。

Welt T4は非常に優(yōu)秀な機(jī)器だが、すべてが手作業(yè)で、観測(cè)後にせねばならない計(jì)算はとても複雑だった。ソ連は數(shù)十年にわたり、この問題を解決できなかった。われわれは改めて「新しい工夫」を考え始めた。そして、新たな計(jì)算法を作り出した。何度も計(jì)算し直して、新たな計(jì)算法に問題はないと確認(rèn)した。この「新しい工夫」により、作業(yè)効率は5倍以上になった。

黃河測(cè)量の仕事が終わった後に、私はWelt T4と接觸式マイクロメーターを組み合わせることで、より精密な観測(cè)を行う方法を考案した。この方法により、観測(cè)の半自動(dòng)化も実現(xiàn)した。我々は測(cè)量に利用する恒星2628個(gè)の平均位置表を作成するなどで、天文學(xué)界で注目された。

チベットで天體観測(cè)を行ったこともある。甘粛省蘭州市から中國國産トラックの「解放」の荷臺(tái)に乗せられ、ラサまで11日間かけて行った。まずは高山病と戦いながら、30日連続で観測(cè)を行った。その結(jié)果、天文學(xué)における方位測(cè)定に関連するある問題を解決し、チベット高原における初の天文基準(zhǔn)點(diǎn)を設(shè)けることができた。

チベットではさらに、標(biāo)高4000-5000メートルの複數(shù)の地點(diǎn)に足を運(yùn)び、5カ月以上かけて、測(cè)量の空白地帯を埋めた。

■若い人に言いたい、星を見続けていると短期的に喜怒哀楽しても意味ないと分かる

湖北省武漢市では1962年末から、天文時(shí)を決定するためのステーションを建設(shè)した。精密な地図、行政區(qū)畫の決定、鉱山探査、水利資源の開発、長(zhǎng)距離航空や航海、人工衛(wèi)星の観測(cè)には正確な時(shí)刻を知ることが必要だ。このステーションについては、極めて精密な位置決定が必要だ。武漢のステーションの建設(shè)により、中國は世界標(biāo)準(zhǔn)時(shí)の精度向上にも貢獻(xiàn)した。

われわれは武漢のステーションを利用して、地球の自転の研究もした。そして、星表について、固體潮汐(ちょうせき)効果に基づく修整をすることを提案した。潮汐は通常、海で発生すると考えられているが、月や太陽の重力の影響を受けて巖盤もわずかに動(dòng)く。星の位置を極めて精密に決定するためには、巖盤の動(dòng)きも計(jì)算に入れねばならない。

1980年には、世界各國が地球の自転を測(cè)定する國際協(xié)力観測(cè)プロジェクトがあった。この時(shí)には武漢のステーションと國內(nèi)のその他の天文臺(tái)の光學(xué)機(jī)器の精度が、世界最高水準(zhǔn)と判明した。中國人として、実に誇らしかった。

私は星空を観測(cè)し、緯度経度を測(cè)定してきた。宇宙の広大さ、星の恒常性、科學(xué)研究の孤獨(dú)さを?qū)g感してきた私として、若い人には視野を広く持てと言いたい。短期的なことで喜んだり悲しんでも仕方ない。周囲がどんなに暗くても、望遠(yuǎn)鏡で遠(yuǎn)くを眺めれば、星が必ず輝いているものだ。

現(xiàn)在はデジタル技術(shù)が急速に発展している。感染癥が流行したことで、私のような歳の者もインターネットの勢(shì)いを感じるようになった。オンラインによる買い物や診察、薬の処方など、新たなチャンスが出てきた以上、私もぜひ試してみて、しっかり身に著けたい。

天空は明るくなったり暗くなったりする。人生は上り坂の時(shí)もあるし下り坂にも遭遇する。星は常に輝いているが、人生とは紆余(うよ)曲折を経ながら、自分自身を高めていくものだ。(構(gòu)成/如月隼人

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