和華 2022年4月20日(水) 19時(shí)50分
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建水は雲(yún)南省の南部に位置する古い町だ。寫真は舊市街の東口に建つ朝陽樓。
私が初めて建水を訪れたのは2012年。80年代の終わりに鑑真號(hào)で初めて上海に行ってから留學(xué)も含め、こんなに中國に通い続けているのに、私の建水デビューはびっくりするほど遅い。建水は雲(yún)南省の南部に位置する古い町だ。元代以降、雲(yún)南の政治、経済、軍事の中心だったところでもあり、主に漢民族が住んでいる。雲(yún)南省は、中國の中でも日本人に非常に人気がある。日本人の多くが雲(yún)南省の少數(shù)民族文化を求めてやってくる。世界遺産の麗江は納西族、麗江とあわせて訪れる人が多い大理は白族、天まで屆くと言われる棚田で有名な元陽はハニ族。雲(yún)南省のメジャーな観光地は少數(shù)民族旅情とは切り離せない。何度も雲(yún)南に行ったことがある人でも「建水は通過したことはあるけど、泊まったことはない」と言う。
そんな建水に私が行ったきっかけは、2012年に中央電視臺(tái)で放送され、爆発的に流行った「舌の上の中國(舌尖上的中國)」という食のドキュメンタリー番組だ。番組でとりあげられた安徽省黃山で食べられている白い毛(実は胞子)が生えた毛豆腐に驚いた。
この毛豆腐を見に行った後、同じく番組で紹介された建水の焼き豆腐を見ることにしたのだ。初めて建水のシンボルと言われる朝陽樓を通りぬけ、舊市街に足を踏み入れた瞬間、激しい後悔に襲われた。「どうして今まで建水に來なかったのだろう。昔の建水を見たかった」。この時(shí)から私の心は建水にがっちりとつかまれてしまったのだ。朝陽樓に近い小さな食堂は、「舌の上の中國」に登場する。登場すると言ってもちらっとではない、この食堂のご夫婦の物語と言ってもいいぐらいの回がある。しかし、この食堂の表には、番組に出たという寫真も宣伝文句もない。これが他の町ならどうだろう。反り返った屋根が特徴的な古民家が並ぶ舊市街、90年代の中國を彷彿させる素樸な商店街、いまひとつお金儲(chǔ)けが得意でない実直な人々。伝統(tǒng)、素樸、誠実など、建水は私が好きな中國の全てを持っていた。
建水から西にバスで約1時(shí)間のところに石屏と言う古い町がある。中國初の民営鉄道と言われる鉄道の終點(diǎn)の町でもあり、木造商店街が並ぶ舊市街の一角にフランス風(fēng)の山吹色の駅舎が殘っている。石屏の豆腐は、建水の豆腐と同じぐらい有名だ。一口サイズの建水の豆腐とは違い、長方形の大型サイズ。大きさは違うがどちらの豆腐も數(shù)日、発酵させた豆腐で炭火焼きにして食べる。水分が抜け、しっかりした食感の豆腐を辣油、塩、香菜などを入れたタレにつけると本當(dāng)に美味しい。どの屋臺(tái)にも自慢のタレがあり、まるでタレを競いあっているかのように感じられた。
建水周辺は、私が見たいものの寶庫だった。行くたびにどんどん建水を好きになっていく。とは言ってもライターという職業(yè)柄、同じ町ばかりに行くことはできない。観光用に鉄道が一部復(fù)活したなどの新しい発見があるなら、行っていいというルールを作った。もしくは建水周辺に見どころを探し、とにかく建水経由にする。こうして私は建水に通い続けた。
毎年2月から3月のどこかで雲(yún)南省と四川省を訪れるのが、初建水以降の習(xí)慣になっていた。2020年2月も昆明イン成都アウトの航空券を予約済みだった。それが新型コロナで行けなくなった。連日、ニュースで中國の狀況を見ながら、武漢から雲(yún)南省は離れている、行けばなんとかなるだろうと航空券のキャンセルはしなかった。その後、予約した便が払い戻しの対象となっていることがわかり、行けないことが確定した。
「舌の上の中國」で黃山の毛豆腐や建水の焼き豆腐を知るまで、私は目標(biāo)を失っていた。書きたいことが見つからない。中國のおもしろい豆腐は私の新しい目標(biāo)となった。取材を続けていると、次に行くべき場所が見えてくる。雲(yún)南省の黒井古鎮(zhèn)、巍山古城、四川省の羅城古城、自貢、重慶の中山古鎮(zhèn)、古城など、珍しい豆腐がある町や豆腐と関係が深い塩業(yè)の町の取材を重ねていた。それがコロナでプチンと途切れてしまった。まさか疫病で中斷されるなんて。フリーランスのライターなので定職を失ったわけではない。でも、定期的にあった仕事がなくなり、ほぼ無収入になった。そんなとき、右膝の半月板が割れていることがわかった。階段の上り下りすら大変になり、普通に歩けない。病院で2カ月以上リハビリをすることになった。こんな狀態(tài)で取材の仕事が入ったら、私はどうしていたのだろうか。新型コロナの時(shí)期のケガは、私には逆に良かったのだと慰めた。
今もいつ、中國の仕事が再開できるかどうかわからない。再開できても旅行事情がどれほど変わっているかと思うと、不安でたまらない。今は聲をかけてもらった國內(nèi)の中華料理にまつわる文章を書かせてもらっている。日本在住の中國人が増え、日本でも大陸と全く変わらない味を出す中國人経営の食堂が増えているのだ。少しでも中國の豆腐とつながれる仕事ができるのは、本當(dāng)にありがたい。
中國のおもしろい豆腐を探す旅は、中斷しているが、今後も続けるつもりだ。ワクチン接種が進(jìn)み、中國に行ける日が近づいたと思う。建水駅から乗ったバスを降り、赤い朝暘樓が目に入ると、自然と小走りになる自分の姿が見える。もう一度、建水に行く日は、必ず來る。
※本記事は、『和華』第31號(hào)「日中100人 生の聲」から転載したものです。また掲載內(nèi)容は発刊當(dāng)時(shí)のものとなります。
■筆者プロフィール:浜井幸子(はまいさちこ)
旅行ライター。1966年、神戸市生まれ。京都女子大學(xué)東洋史學(xué)科卒業(yè)。19歳の時(shí)、鑑真號(hào)で上海と蘇州に行き、何が飛び出すかわからない中國の魅力につかまる。著書は、『おいしい中國屋臺(tái)』『中國まんぷくスクラップ』『中國おもしろ商人スクラップ』など?,F(xiàn)在の主なテーマは、中國各地の珍しい豆腐と古鎮(zhèn)。
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