和華 2022年4月27日(水) 14時(shí)50分
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私はこれまで合計(jì)81回訪中しているが、2019年の三度の訪中が現(xiàn)在のところ最後になっている。寫真は修復(fù)中の環(huán)秀山荘。1985年撮影。
コロナ禍による研究環(huán)境の激変
私の研究室2階の窓から北を望むと、日によっては飛行機(jī)の離著陸がよく見える。そこに成田空港があるからだ。直線距離にして約10.5km程なので、エンジンの騒音もほとんど気にならない。
私が東京世田谷から研究室をここ山武市に移したのは、2006年12月のことである。それには二つの大きな理由があった。一つ目は書籍やネガアルバム等の研究資料が増えすぎて、とても収納できなくなったからである。私の所蔵書籍よりも、さらに量の多い難物が、日本庭園研究會(huì)會(huì)誌『庭研』の殘部であって、それだけで一部屋以上が占拠されている。二つ目は、私と中國(guó)との深い絆である。何時(shí)でも好きなときに訪中し研究が出來(lái)るから、この山武研究室は絶好の立地ということになる。
そんな折も折、2020年初頭からコロナが日本に侵入した。中國(guó)政府はただちに入國(guó)制限を決定し、15日間に限定許可されていたビザなし渡航も現(xiàn)在は停止中ということである。
私はこれまで合計(jì)81回訪中しているが、2019年の三度の訪中が現(xiàn)在のところ最後になっている。私は中國(guó)での研究拠點(diǎn)を江南の蘇州においている。今も研究したい課題は山積という狀態(tài)なので、早く戻りたいのだが、コロナがいつ終息するかは、誰(shuí)にも分からない狀態(tài)であろう。私の家內(nèi)は蘇州出身なのだが、困ったことに數(shù)年前から孫(小學(xué)2年生)の世話のため蘇州に戻っている。妻の話では、現(xiàn)在中國(guó)に入ることはビザさえあれば可能だが、その場(chǎng)合3週間の隔離が義務(wù)づけられているという。これでは訪中してもほとんど研究にならず意味がない。妻が日本に戻れたとしても、再度中國(guó)に入るときには、同じく3週間の隔離だという。結(jié)局コロナが終息しなければ、どうにもならないというのが現(xiàn)狀なのだ。したがって、私は現(xiàn)在、研究室で獨(dú)身生活を満?jiǎn)摔筏皮い毪趣いΔ长趣摔胜恧?。しかしながら、現(xiàn)在ではウイチャットという便利なアプリがあるから、私も妻や孫の顔を見ながら會(huì)話が出來(lái)るのは嬉しい。
日本における私の中國(guó)園林研究等
私は何よりも実地研究ということを重視している。日本庭園の場(chǎng)合でも、自らその美景をカメラに収めることに努力してきた。幸いにも亡父がカメラ愛好家であり、私も中學(xué)生の頃から寫真の現(xiàn)像などを手伝っていた。したがって、庭園研究よりも、カメラ撮影の経験の方が長(zhǎng)い。私自身の日本庭園関係著作も、すべて自らの撮影畫像を用いている。その點(diǎn)は中國(guó)園林でも同様である。
私の中國(guó)渡航歴は、前述のように81回を數(shù)える。その內(nèi)の約3分の2は江南園林の研究に費(fèi)やしてきた。すべてが目的を定めた訪中であり、ここ25年程は、1年を前半と後半に分け、合計(jì)1カ月の訪中を基本としていた。2000年頃からデジタルカメラの進(jìn)歩によって、撮影も非常に楽になり、多くの畫像が蓄積されている。
そんな私の中國(guó)園林研究にとって、突然のコロナによる中國(guó)への渡航制限は実に大きな痛手である。日本國(guó)內(nèi)でも、毎月の本會(huì)研究會(huì)が2020年3月から中止になったままである。私もほぼ研究室に籠もりきりという狀態(tài)が続いている。おそらく、さぞかし落膽しているに違いないと思われる方も多いであろう。しかし実はそうではない。もちろん、訪中が一刻も早く可能になることを願(yuàn)っているが、幸いにも、やりたいことは山ほどある。
私は23歳の時(shí)に「日本庭園研究會(huì)」を創(chuàng)立し、80歳の今日まで、休むことなく活動(dòng)を継続してきた。毎月の研究會(huì)での講義や、會(huì)誌『庭研』や『庭研通信』の編集発行など、かなり気力も體力も必要であった。そこへ、近年のこのコロナ禍である。感染しないように努力することは勿論大切であるが、何か長(zhǎng)期休暇を得たような不思議な自由さも感じている。
中國(guó)園林の寫真整理も大切な仕事の一つで、それをテーマごとに分類しパソコンと外部ハードディスクに保存する作業(yè)も、おかげでかなり進(jìn)展した。蘇州園林の寫真展等を空想し、その寫真選びと色調(diào)整等も行っている。寫真というものは今や誰(shuí)もが気軽にシャッターを切る時(shí)代となった。畫質(zhì)的には、問(wèn)題なく美しい寫真が撮れる。しかしそれが園林寫真ともなると、その寫真に撮影者の園林に対する理解度、センスの善し悪しが如実に現(xiàn)れる。一つの目的を持って撮り続けた畫像は、やがて歴史的価値さえ持つようになる。その一例として、私が1985年の第二次蘇州園林研修時(shí)に撮影した蘇州名園「環(huán)秀山荘」の修復(fù)工事現(xiàn)場(chǎng)寫真(カラーポジ)をここに紹介したい。これら2000年以前の貴重な記録寫真約2萬(wàn)枚は、私が蘇州市當(dāng)局に寄贈(zèng)したので、今は「蘇州市園林緑化管理局」內(nèi)に保管されているはずである。
私は現(xiàn)在、中國(guó)園林についての論文執(zhí)筆にも力を入れており、今年の日本庭園研究會(huì)々誌『庭研』419號(hào)(春號(hào))には、かねてから執(zhí)筆を計(jì)畫していた中國(guó)園林の造形に対する新見解を発表することが出來(lái)た。それは、日本庭園に多數(shù)実例のある神亀石組が、蘇州園林中にも明確に存在することを?qū)g証したものである。その表題は『「巨鼇負(fù)山」伝説の問(wèn)題點(diǎn)及び園林の神亀石組造形』である。何らかの參考にして頂ければ幸甚に思う。
※本記事は、『和華』第31號(hào)「日中100人 生の聲」から転載したものです。また掲載內(nèi)容は発刊當(dāng)時(shí)のものとなります。
■筆者プロフィール:吉河功(よしかわいさお)
作庭家。1963年日本庭園研究會(huì)を創(chuàng)立し、會(huì)長(zhǎng)に就任。同會(huì)20周年を契機(jī)として1983年3月中國(guó)園林研修団々長(zhǎng)として初訪中。以後中國(guó)園林研究に努力し、主として蘇州を中心とした江南園林を探求している。1994年には、蘇州市と杭州市の園林學(xué)會(huì)名譽(yù)理事に推薦された。日中の文化交流史も研究対象で、著作論文も多い。
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