中國(guó)新聞社 2022年4月30日(土) 13時(shí)0分
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明代(1368-1644年)に成立した儒教の一派である陽(yáng)明學(xué)は、明治維新を起こした幕末の志士に大きな影響を與えたとされる。寫(xiě)真は中國(guó)陽(yáng)明文化園で撮影。
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明代に生きた王陽(yáng)明(1472-1529年)が起こした儒教の一學(xué)派である陽(yáng)明學(xué)は、行動(dòng)の必要性を説く思想などによって、明治維新の原動(dòng)力の一つになったとされる。吉田松陰、高杉晉作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山といった、幕末から明治維新にかけての“主役級(jí)”人物に、信奉者が極めて多かったからだ。陽(yáng)明學(xué)とはどのような教えだったのか。そして中國(guó)外にどのように伝わったのか。中華儒學(xué)會(huì)の副會(huì)長(zhǎng)などを務(wù)める張新民氏は王陽(yáng)明研究を約30年間も続けている専門(mén)家だ。張氏はこのほど中國(guó)メディアの中國(guó)新聞社の取材に応じて、陽(yáng)明學(xué)について詳細(xì)に語(yǔ)った。以下は張氏言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
【その他の寫(xiě)真】
■「人には良知がある」、「良知にもとづく実踐が必要」と主張
王陽(yáng)明の思想は、比較的初期の「心即理」(心と條理の合體)、「知行合一」(良知と行動(dòng)の同時(shí)進(jìn)行)から晩年の「至良知」(私欲に曇らない心は本來(lái)の狀態(tài)である良知に至る)まで、陽(yáng)明の思想は人生の各段階おける苦難や命に磨きをかけた境涯から出たものだ。陽(yáng)明の學(xué)問(wèn)は活気に満ちた命の実踐であり、中國(guó)文化特有の本體実踐學(xué)の內(nèi)容と精神を最も具體的に表している。
現(xiàn)代人にとって陽(yáng)明學(xué)とは、自らを本質(zhì)的に學(xué)ぶことを意味する。騒々しい世界から自分自身を取り戻し、自らを完成させることと自らが依拠するところのものを探求する。人としての本質(zhì)に戻り、是非を判斷できる良識(shí)を活性化し、人類社會(huì)をよりよくするための道徳的実踐に勇猛果敢に身を投じる。人類運(yùn)命共同體の存続と自らの生活の意義を絶えず充実させ、豊かにしにし、実現(xiàn)させねばならない。そのことにより、人類社會(huì)全體の改造と完備化という究極の目的を達(dá)成せねばならない。
■日本には大きな影響を及ぼしたが、韓國(guó)ではそれほどでもなかった
朱子學(xué)や陽(yáng)明學(xué)、その他の儒學(xué)の各派は日本や韓國(guó)に伝わり、より広い地域と人々による東アジア儒學(xué)思想資源が形成された。その意味で日韓はいずれも儒教文化圏なったことでも、中國(guó)文化の恩恵を長(zhǎng)期にわたって受けたと言える。
陽(yáng)明學(xué)は17世紀(jì)初頭までに日本に伝わった。影響力は次第に拡大した。陽(yáng)明學(xué)による思潮のピークは江戸時(shí)代末期だった。明治維新に至るまで、倒幕や維新の志士が陽(yáng)明學(xué)に心酔し、世論そのものが陽(yáng)明學(xué)の宣伝役を果たした観すらあった。明治維新を果たした日本は、中國(guó)人にとっての第1の留學(xué)先になった。多くの中國(guó)人留學(xué)生が日本で「陽(yáng)明學(xué)熱」に接したことは、中國(guó)における陽(yáng)明學(xué)の評(píng)価向上に影響した。
韓國(guó)には陽(yáng)明學(xué)が日本より早く伝わったが、日本ほどの影響は及ぼさなかった。韓國(guó)の陽(yáng)明學(xué)者は「真の心」や「実行の重要性」を強(qiáng)調(diào)し、あらゆる「虛學(xué)」や「虛行」に反対した。このことは、韓國(guó)に伝わった陽(yáng)明學(xué)が“現(xiàn)地化”したことを示す。
■陽(yáng)明學(xué)を海外に伝えた宣教師や中國(guó)系學(xué)者
陽(yáng)明學(xué)を最も早く西洋に伝えたのは、中國(guó)に來(lái)たキリスト教宣教師らだったかもしれない。近現(xiàn)代になると、米國(guó)籍の中國(guó)系學(xué)者の貢獻(xiàn)が軽視できない。例えば、米國(guó)で長(zhǎng)きにわたり教職に就いた陳栄捷先生は、中國(guó)哲學(xué)を西洋の學(xué)界に紹介する重要な懸け橋になった。陳先生は王陽(yáng)明の著作である「伝習(xí)録」を翻訳した。陳先生のこの仕事は、宣教師だったフレドリック?G?ヘンケ氏による王陽(yáng)明の著作の翻訳より遅かったが、より精密で正確だ。
杜維明氏が米國(guó)で執(zhí)筆した博士論文の「青年王陽(yáng)明」は、主に陽(yáng)明の早期の思想を紹介し、海外に一定の學(xué)術(shù)的影響を及ぼした。成中英先生が1972年にハワイ大學(xué)で主宰した大規(guī)模な王陽(yáng)明學(xué)術(shù)思想シンポジウムは、北米における陽(yáng)明學(xué)の検討と研究を強(qiáng)力に推進(jìn)した。
海外における陽(yáng)明學(xué)の紹介や研究は、西洋人による中國(guó)文化の理解や研究の一部にすぎないが、中國(guó)と西洋の思想の対話と融合という、時(shí)代の発展の流れを示している。
■西洋思想を受容し比較対照することで「新心學(xué)」の樹(shù)立を
王陽(yáng)明や王陽(yáng)明と立場(chǎng)が近い陸象山の思想は「心學(xué)」と呼ばれる?,F(xiàn)代社會(huì)における王陽(yáng)明研究では、世界的な視野を備え時(shí)代の要請(qǐng)に合致する「新心學(xué)」を確立せねばならない。「新心學(xué)」に求められる特徴とは、中國(guó)固有の精神伝統(tǒng)と精神哲學(xué)を継承?発揚(yáng)する一方で、西洋の思想資源と精神哲學(xué)を包容?統(tǒng)合せねばならない。外國(guó)人による優(yōu)秀な成果を排他的に拒絶してはならない。
まず、世界の各大宗教や思索と積極的かつ効果的な交流と対話を展開(kāi)する必要がある。陽(yáng)明が説いた「心」も「良知」は単純化?平面化された世俗倫理に留まるものではなく、形而上學(xué)の側(cè)面が強(qiáng)い。そこで西洋の形而上學(xué)を考えてみよう。カントは理性的な分析により「物自體」という考え方を得た。物を理解しようとしても、理解する者に意識(shí)が作用するので「物をあるがままには認(rèn)識(shí)することはできない」と結(jié)論づけたわけだ。陽(yáng)明は直感的な知恵を用いての物を認(rèn)識(shí)するアプローチが可能とした。カントで陽(yáng)明を解釈しても、陽(yáng)明でカントを解釈しても、存在論のレベルで新たな発見(jiàn)を得ることができるはずだ。
また、世界の各文化の思想資源を持ち寄ることも重要だ。王陽(yáng)明が唱えた「良知良能は愚夫愚婦も聖人と同じ」の主張と、「人には誰(shuí)もが従わねばならない究極のルールがある」とするカントの道徳法則、陽(yáng)明學(xué)の美學(xué)思想とカントの美學(xué)思想、王陽(yáng)明が説く「天人合一」(天と人は本來(lái)、融合したものである)とハイデガーが説いた「天?地?神?人」の関係など東西のあらゆる思考を比較することが「新心學(xué)」の形成を後押しする。
また、王陽(yáng)明は「體?心?意?知?物」は一つにつながっていると強(qiáng)調(diào)した。したがって「新心學(xué)」も人の心理や意識(shí)活動(dòng)、社會(huì)行為に注目しないわけにいかない。西洋の心理學(xué)などは極めて発達(dá)している。その成果を取り入れて、「新心學(xué)」として人の複雑な心理構(gòu)造や意識(shí)を分析すれば、人の心の病の解決につながり、心の鍛錬と良知(愛(ài))の実踐を中核とする治療學(xué)を追求することも可能になるだろう。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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