和華 2022年5月2日(月) 20時(shí)50分
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私の母方の祖父?大平正芳は、1980年6月12日に現(xiàn)職の総理大臣のまま、その職に殉じた。大平家の初孫としてかわいがられた筆者。
この度のコロナ禍について、後世の歴史教科書ではどのように伝えられるのだろうか…?というのが、私がいま一番興味のあることかもしれない。何故なら、この地球規(guī)模の災(zāi)禍は必ずや我々人類の歴史に大きな影響を與えると考えるからである。
人と人が直接會(huì)うことが出來(lái)なくなり、共に食することも出來(lái)なくなったこの1年半、飲食店はもとより、舞臺(tái)蕓術(shù)をはじめとするエンターテインメントに攜わる人々も大変な困難に直面した。私は、NBS(日本舞臺(tái)振興會(huì))という公益財(cái)団法人の評(píng)議員として、東京バレエ団をはじめとする舞臺(tái)蕓術(shù)に觸れる機(jī)會(huì)が多いのだが、劇場(chǎng)に行けないこと、蕓術(shù)にふれられないことで、あらためて蕓術(shù)の素晴らしさを痛感した日々であった。感染の拡大が始まった當(dāng)初のドイツのメルケル首相は「蕓術(shù)は私たちの生活に不可欠なものです」という言葉と共に、直ちに行われた救済措置により、リーダーの矜持を示した。
私の母方の祖父?大平正芳は、1980年6月12日に現(xiàn)職の総理大臣のまま、その職に殉じた。亨年70。
実は祖父が亡くなったこの年の夏は、前年のソ連によるアフガニスタン侵攻を理由に西側(cè)諸國(guó)が不參加を決めた「モスクワオリンピック」の年だった。このたび、『なぜボイコットを決めたのか…モスクワ五輪40年目の告白』というNHKの番組で、當(dāng)時(shí)、総理秘書官を務(wù)めていた父?森田一(大平正芳の娘婿)がインタビューに応じた。この番組は、父をはじめとする政界関係者はもとより、選手たち、當(dāng)時(shí)のJOCの関係者への丁寧な取材で、政治とスポーツの関係を初公開の內(nèi)部文章と共に克明に描いている。
當(dāng)時(shí)、全盛期だったマラソンの瀬古利彥さん、金メダルを期待されていた柔道の山下泰裕さんが涙をのんだオリンピックへの不參加の決斷が下されたのは、1980年5月24日のことだった。番組では、ボイコットに至る経緯が時(shí)系列に淡々と描かれていくのだが、私にとっては祖父が倒れて亡くなるまでのカウントダウンとしか受けとめられず、見るのが辛くなる番組であった。
5月16日、野黨が形式的に提出した?jī)?nèi)閣不信任案が、福田派などの身內(nèi)である自民黨からの造反により不信任案が可決してしまい、祖父はただちに衆(zhòng)議院を解散した。そして、大平は史上初となる6月22日の衆(zhòng)參同日選挙を選択したのだ。
公示前日の5月29日夕刻、祖父は來(lái)日中だった中國(guó)の華國(guó)峰首相の答禮晩餐會(huì)に出席後22時(shí)前に帰宅。母(大平の娘?芳子)が「明日から選挙區(qū)(香川2區(qū))に帰るからね」と言うと、「よろしくたのむ…」と答え、これが父娘の最後の會(huì)話となった。
翌30日、華國(guó)峰さんの歓送式に出席後、選挙戦の第一聲演説の最中に心臓発作に見舞われ、2週間後に帰らぬ人となったのである。
このような経緯もあり、私にとってのオリンピックは、どこかもの悲しい想い出がつきまとう。同盟國(guó)であるアメリカのカーター大統(tǒng)領(lǐng)からの要請(qǐng)により、モスクワオリンピックの不參加を決斷するまでの間、祖父は「山下くんが可哀想だなあ…」と、移動(dòng)中の車內(nèi)で何度もつぶやいていた。
オリンピックはスポーツの祭典に違いない…しかし、政治とも密接に絡(luò)み合っているのも事実なのである。
世界的なコロナ禍により1年先送りとなった、今年2021年の東京オリンピック?パラリンピックは未だ収束がままならず、パンデミックの最中での開催となった。
そして、來(lái)年に予定されている北京での冬季オリンピックの開催地である張家口は、興亜院の事務(wù)官として、大平が29歳の時(shí)に一年あまりを過ごした場(chǎng)所である。祖父はかの地で、日本の軍部の橫暴ぶりを目の當(dāng)たりにし、この時(shí)に抱いた中國(guó)の方々への贖罪意識(shí)が日中國(guó)交正?;丐卧瓌?dòng)力となったのだと私は考えている。
來(lái)年はいよいよ日中の國(guó)交正?;?0年の節(jié)目を迎えるが、1972年9月、祖父は正?;粶hを終えた帰りの飛行機(jī)の中で、「今はお祭り騒ぎだが、30年40年後、中國(guó)が経済成長(zhǎng)した時(shí)には必ず難しい問題が起こるだろう…」と、つぶやいたという。そして、この予言はある意味的中したのかもしれない。
そのような中で私は、かねてから応援している、スキー競(jìng)技でパラリンピックに出場(chǎng)した日本の若者の応援で、パンデミックに打ち勝った張家口に駆けつけたいと夢(mèng)見ている今日この頃である。
※本記事は、『和華』第31號(hào)「日中100人 生の聲」から転載したものです。また掲載內(nèi)容は発刊當(dāng)時(shí)のものとなります。
■筆者プロフィール:渡邊満子(わたなべみちこ)
メディアプロデューサー。1962年?yáng)|京生まれ。慶應(yīng)義塾大學(xué)文學(xué)部仏文科卒業(yè)後、日本テレビ放送網(wǎng)株式會(huì)社入社。『キユーピー3分クッキング』、皇室特別番組などをプロデューサーを20年余り擔(dān)當(dāng)。『日本テレビ開局55年記念特番『女たちの中國(guó)』、『天皇皇后両陛下ご成婚50年記念特番』などをプロデュース。著書『祖父大平正芳』、『平成日本皇后美智子』を2020年中國(guó)で出版予定。
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