「東洋の魔女」、ソ連をヤッツケ金メダル=1964東京五輪時(shí)代から〝敵役?は「ロシア」

アジアの窓    2022年5月22日(日) 13時(shí)0分

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1964年の東京五輪、女子バレー。大松博文監(jiān)督、俺についてこい、日本中が感動(dòng)に包まれましたよね。

1964年の東京五輪、女子バレー。大松博文監(jiān)督、俺についてこい、日本中が感動(dòng)に包まれましたよね。女子選手たちの涙の猛練習(xí)とその大活躍、これが感動(dòng)の源になっていることは間違いありませんが、さらにいえば、あのソ連相手に勝ったというところがナショナリズムを大いに刺激してくれました。よくやったお手柄爽快感激快感。もしも決勝の相手がその後の女子バレー強(qiáng)豪國(guó)となる、たとえばブラジルとかキューバであったとしますと、これほどの感動(dòng)を巻き起こしたかどうか。

この頃のソ連、オリンピックを?qū)gに騒がせてくれました。その8年前、1956年オーストラリア?メルボルン大會(huì)(南半球なので會(huì)期11月22日~12月8日)。おりあしくもメルボルン五輪開(kāi)會(huì)直前にハンガリー動(dòng)亂(10月23日ー11月11日)、ソ連の戦車(chē)、ブタペスト市民を踏みにじり多數(shù)を殺害。

両國(guó)がただでさえエキサイトしているところに、男子水球でハンガリーVSソ連。両國(guó)選手、水中の摑み合い毆り合い流血騒ぎ。私、このメルボルン五輪、他のことは何も覚えていませんけど、これだけは頭にしっかりと殘っています。

そして1964年?yáng)|京五輪。チェコ女子體操五輪の花と謳われたベラ?チャスラフスカが大活躍。體操王國(guó)でありかつ衛(wèi)星國(guó)元締めのソ連の鼻を明かした。その次の1968年メキシコ大會(huì)(10月12日ー10月27日)に登場(chǎng)した時(shí)、ベラは過(guò)酷な運(yùn)命を背負(fù)っておりましたね。

プラハの春(同年1月5日から8月21日)の直後。ベラ自身も自由化を求める2000語(yǔ)宣言に署名した知識(shí)人有名人の一人。かろうじて出國(guó)して、メキシコの體操競(jìng)技場(chǎng)に立てば、もうソ連とその衛(wèi)星圏內(nèi)指導(dǎo)者同調(diào)者を除く世界の応援、聲援を一身に受けたような狀態(tài)でした。

反対にソ連の女子選手には冷たい視線。チャスラフスカ、時(shí)に26歳。期待にこたえてたくさんの金メダル獲得。ソ連とその衛(wèi)星圏內(nèi)指導(dǎo)者同調(diào)者を除く世界からの喝采を浴びました。私もその一人でした。

さて、東京五輪の女子バレー、私、結(jié)論のところのソ連相手に金メダルはさすがに知っていましたけど、これもいくぶん反ソ連プロジェクトから始まり、ついにしっかり反ソ連だったんですね。

調(diào)べものがあって『1964東京ブラックホール』、DVD に録畫(huà)してあったNHK の番組と番組を元にした NHK出版の書(shū)籍(貴志謙介著)で見(jiàn)たり読んだり、さらに関連をネット検索していた時(shí)のことです。

日本は開(kāi)催國(guó)として金メダルを一定數(shù)獲得しなきゃならない。そこで、御家蕓柔道を競(jìng)技種目として採(cǎi)用するように IOC に働きかけ、男子柔道は1960年ローマでの IOC 総會(huì)で、4年後の東京大會(huì)で実施することになりました。しかしそれだけではメダル數(shù)で不安だったのでしょう。そこで目を付けたのがバレー。とりわけ女子バレー。というのもあの大松博文監(jiān)督が率いるニチボー貝塚が、1960年バレーボール世界大會(huì)(ブラジル)で、決勝まで進(jìn)んだものの、優(yōu)勝はソ連。しかしかなりの実力がついてきた。1961年大松博文チームは歐州遠(yuǎn)征をすると、各國(guó)のナショナルチームを一企業(yè)チームニチボー貝塚が次々と撃破、24連勝とか。この辺りから「東洋の魔女」となる。

連勝街道を続けているうちに、各國(guó)のホテルの待遇が違ってきた。黒い酸っぱいパンではなくて、白いパンにバターとジャムを食べたいと言っても見(jiàn)向きもされなかったのが、白星を重ねるうちに、白いパンにバターとジャムが出てきた。東洋の魔女も勝つ味を覚えたわけですね。

これに目を付けたのでしょう。 JOC はブランデージIOC會(huì)長(zhǎng)にバレーボールを?qū)g施種目として採(cǎi)用してもらいたいと働きかける。ブランデージはバレーボールは費(fèi)用もかからず、簡(jiǎn)単にできる、アマチュアのみんなのスポーツと前向きでした。

1961年6月に男子バレーボールが東京五輪実施種目に決定。続いて「東京大會(huì)に関する限り」という特例で、1962年6月 女子バレーも正式種目に採(cǎi)用。ところが「東洋の魔女」たちは、東京五輪で女子バレーやるんだ、とどこか他人事(ネット番組by中西美雁、メンバーの一人、谷田絹?zhàn)婴丹?、結(jié)婚して井戸川)。

それもそのはず、「東洋の魔女」たちは1962年10月の世界選手権(モスクワ)で、2年前の雪辱を果たすべく猛練習(xí)の日々。世界一となって大松監(jiān)督共々引退して普通の生活に戻る。その頃、結(jié)婚適齢期でもあったのでしょう。モスクワでは見(jiàn)事、ソ連をくだして優(yōu)勝。日本選手が団體の世界大會(huì)で優(yōu)勝するのはこれが初めて。こうなると周?chē)欷郅Δ盲皮胜ぁ?/p>

ハンガリー動(dòng)亂以來(lái)、ソ連の圧政に苦しめられている東歐諸國(guó)はヤッタ、次はオリンピックでソ連を倒してほしい、ブランデージもオリンピックという場(chǎng)に舞臺(tái)はこしらえた、まさかソ連に金メダルをさらわれることはないだろうな、とにらみをきかす。「東洋の魔女」には全國(guó)から、東京五輪でも日の丸を、金メダルをとの手紙が殺到する。あの8月9日、日ソ中立條約を踏みにじりソ連參戦、満州の地で我が國(guó)居留民を散々痛めつけたソ連兵にお返しだという気持ちの人もあったかもしれません。ついに大松博文とキャプテン河西昌枝さんを筆頭とする東洋の魔女は要請(qǐng)を受諾。猛練習(xí)を再開(kāi)することになりました。

大會(huì)の直前に衝撃が走ります。6カ國(guó)の參加がないと競(jìng)技は成立しないことになっていたのですが、北朝鮮がボイコット。5カ國(guó)では女子バレー競(jìng)技は成立しない。これは北朝鮮の意地悪ではなく、インドネシアのスカルノ大統(tǒng)領(lǐng)が、その前年企畫(huà)し実施したオリンピックそっくりの新興國(guó)スポーツ大會(huì)にIOC が激怒。これに參加した國(guó)は、東京五輪に參加させないということだったとのことで、北朝鮮はこれに抵觸してしまったのでした。

そのピンチを救ったのがなんと韓國(guó)?!笘|洋の魔女」が東京五輪で大活躍できたのも、これ、みんな、韓國(guó)のおかげ。裏には翌年の1965年日韓基本條約締結(jié)に向けての交渉が進(jìn)んでいる大事な時(shí)という判斷もあったのでしょうけども。韓國(guó)チームが到著したのはバレーボール競(jìng)技開(kāi)始の當(dāng)日であった。

大松博文監(jiān)督の猛特訓(xùn)の成果で、東洋の魔女は連戦連勝、決勝戦はもちろんソ連。3セット取得したほうが勝ちなのですが、早くも2―0。3セット目、14対9のマッチポイントを握った場(chǎng)面からソ連の粘りが続いた。テレビ中継していたNHK のアナウンサーは「金メダルポイント」を6回も繰り返し、3回目ぐらいからまた言わないと引っ込みがつかないよねと、多くの人たちの失笑をかった。貴志謙介氏の著作には実況擔(dān)當(dāng)アナウンサーは「金メダルポイント」を繰り返し、とはありますが、NHKの放送であることは觸れていません。よほどみっともないと思ったのでしょう。

東洋の魔女とチェコのベラ?チャスラフスカ 、オリンピックに政治を持ち込むなとはいうもののソ連をギャフンと言わせ、東京五輪を盛り上げてくれました。

かくして「東洋の魔女」はその伝説を殘し、それぞれお相手を見(jiàn)つけて家庭生活にはいり、大松博文監(jiān)督は自民黨から參議院議員。次は落ちましたけどね。世間というのは熱しやすく冷めやすい、そんなものです。

さて、ソ連ですが、チェコ事件と1968年メキシコ大會(huì)の話は先に觸れました。

1980年7月モスクワ五輪を控えた1979年暮れ。ソ連、アフガニスタン侵攻。米國(guó)はモスクワ五輪ボイコット、日本もそれに続きます。當(dāng)時(shí)、大平內(nèi)閣でしたね。柔道を通じてプーチン大統(tǒng)領(lǐng)と仲の良い山下泰裕氏などは、涙を飲んだ現(xiàn)役競(jìng)技者の一人。西側(cè)では西ドイツ、カナダはボイコットしたものの、多くの國(guó)が參加していました。その4年後のロサンゼルス五輪。今度はソ連がボイコット。なんとかまともに參加國(guó)が整うようになったのが1988年ソウル五輪。

「東洋の魔女」VSソ連の連想から、ソ連と五輪を振り返って參りましたが、その後「ロシア」、國(guó)家ぐるみのドーピングで、國(guó)家としての參加を認(rèn)められず、個(gè)人參加とか。

次のオリンピックは2024年パリ大會(huì)ですが、ついこの間まで新型コロナ対策はどうするか、2021年?yáng)|京五輪2022年北京冬季五輪を參考にして、みたいなのが大きな課題だったわけですが、もちろんこれも大事ですが、さらにロシア?ウクライナが加わると、大統(tǒng)領(lǐng)に再選されたマクロンも頭が痛いことでしょう。

■プロフィール:高谷尚志「アジアの窓」編集委員

1946年中國(guó)?大連生まれ。早稲田大理工學(xué)部工業(yè)経営學(xué)科卒。毎日新聞入社、靜岡支局、経済部記者、「週刊エコノミスト」編集長(zhǎng)などを歴任。2004年千葉科學(xué)大學(xué)危機(jī)管理學(xué)部危機(jī)管理システム學(xué)科教授。2015年4月よりフリー。

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