香港誌が沖縄問題を特集、石破茂議員が述べた「負(fù)擔(dān)」についての見解とは

亜洲週刊    2022年5月24日(火) 5時(shí)50分

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香港メディアの亜洲週刊が、米國(guó)から日本に復(fù)帰して50周年を迎えた沖縄の狀況を紹介する特集記事を発表した。記事は、基地問題などについて石破茂衆(zhòng)議院議員が語った「沖縄と本土の負(fù)擔(dān)分配」にも觸れた。

香港メディアの亜洲週刊はこのほど、米國(guó)から日本に復(fù)帰して50周年を迎えた沖縄の狀況を紹介する、毛峰東京支局長(zhǎng)の署名入りの特集記事を発表した。記事は、沖縄が日本領(lǐng)內(nèi)で第二次世界大戦での地上戦が行われた唯一の地であることや、現(xiàn)在に至るも基地問題など軍事面で大きな負(fù)擔(dān)を強(qiáng)いられていることを紹介し、さらに中國(guó)との特殊な歴史についても言及した。記事は、防衛(wèi)問題に詳しい石破茂衆(zhòng)議院議員も、沖縄の現(xiàn)狀について「そのまま是認(rèn)」しているのではないと紹介した。

■沖縄復(fù)帰50周年記念式典での天皇陛下のお言葉は前例のないものだった

記事は沖縄と東京をオンラインで結(jié)んで15日に開催された沖縄復(fù)帰50周年記念式典におけるさまざまな発言を、字?jǐn)?shù)を特に多く使って紹介した。東京の御所でオンライン方式で出席された天皇のお言葉については、沖縄について「大戦で多くの尊い命が失われた」、「その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます」などと紹介。天皇が沖縄復(fù)帰に関する式典に出席したのは、「1972年の昭和天皇の沖縄復(fù)帰式典出席と、1992年の明仁上皇の復(fù)帰20周年式典出席に次いで3回目」と紹介した上で、天皇が沖縄にさまざまな問題があることに言及し、沖縄の現(xiàn)実を直視する発言をしたのは初めてと指摘した。

記事は岸田首相の発言については、沖縄が終戦後も長(zhǎng)期にわたる米軍の管理下に置かれたことに言及した上で、戦爭(zhēng)で失った領(lǐng)土を外交交渉で復(fù)活させたのは、歴史上も異例のことと述べたと紹介した。岸田首相の発言については、日本政府は復(fù)帰後の50年を通じてさまざまな開発計(jì)畫や特別措置により沖縄を支援し、沖縄は安定した発展を遂げてきたと論じたことにも觸れた。

■沖縄県関係者だけでなく石破茂議員も沖縄の現(xiàn)狀に問題あると認(rèn)める

玉城デニー沖縄県知事の発言については、「沖縄での地上戦では二十?dāng)?shù)萬の尊い命と貴重な文化財(cái)の大部分が失われた」と、沖縄は戦爭(zhēng)のために人命だけでなく文化も奪われたことに言及した點(diǎn)にも注目。さらに米國(guó)管理下の沖縄では工業(yè)の発展が遅れ、現(xiàn)在に至るも経済は自立しておらず、子どもの貧困など多くの問題を抱えていることや、現(xiàn)在も過大な基地負(fù)擔(dān)を抱えていることも述べたと紹介した。記事はさらに、玉城知事が「50年が経過しても沖縄を平和の島にするという目標(biāo)は達(dá)成されていないと強(qiáng)調(diào)した」と伝えた。

記事は沖縄の基地問題の現(xiàn)狀について、日本の他の地域における在日米軍の軍事施設(shè)は縮小が続いているため、沖縄の土地面積は日本全國(guó)の0.6%にすぎないが、日本に存在する米軍施設(shè)のうち、沖縄にある施設(shè)の割合は減少することなく増加し、かつての58.7%から70.3%にまで増加したと紹介。さらに、在沖縄米軍には多くの特権が認(rèn)められており、米兵による少女暴行事件や殺人事件も発生しており、沖縄の人の強(qiáng)い反発を招いていると論じた。

香港メディアの亜洲週刊の取材に対して、自民黨幹事長(zhǎng)や防衛(wèi)庁長(zhǎng)官の経験がある石破茂衆(zhòng)議院議員は、「沖縄の米軍基地は必要だが、日本本土が耐えうる負(fù)擔(dān)は日本本土が負(fù)擔(dān)せねばならない」と語ったという。

基地は、沖縄における防衛(wèi)力について、中國(guó)軍に対抗し軍事行動(dòng)を抑止するために、沖縄本島だけでなく奄美大島や與那國(guó)島、石垣島なども含め、最先端の裝備が追加されつつあると紹介した。

■沖縄の歴史に言及、臺(tái)灣が米國(guó)に「尖閣諸島を含む沖縄返還」を抗議したことも紹介

記事は、沖縄の歴史についても紹介した。まず、琉球王國(guó)は中國(guó)と極めて密接なつながりがあったと指摘。明代(1368-1644年)からは中國(guó)の年號(hào)が使われていたと紹介し、徳川幕府の命により1609年に薩摩藩が琉球王朝を軍事侵略したことにより、沖縄が薩摩藩に服屬することになったと論じ、明治維新後の1879年には、日本が沖縄を強(qiáng)制的に日本に編入して琉球王國(guó)は滅亡したと論じた。

また、第二次世界大戦で日本が敗北した際に、中華民國(guó)を率いていた蔣介石は沖縄を米中で共同管理する意向を示したこともあり、1972年の沖縄返還の際には、中華民國(guó)政府(臺(tái)灣政府)は、「琉球諸島の地位は未定」と米國(guó)に抗議したという。

當(dāng)時(shí)の臺(tái)灣政府は沖縄返還に関連して、米國(guó)に対して、日本は尖閣諸島の主権は有せず、沖縄返還と尖閣諸島の処理は分離すべきと抗議した。しかし米國(guó)からは臺(tái)灣側(cè)の主張に好意的な回答は得られなかったという。(翻訳?編集/如月隼人

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