ベトナム人の本音、「中國は大國なのに、なぜ小國のベトナムと爭うのか」―中國紙

Record China    2014年6月13日(金) 6時(shí)30分

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11日、中國紙?環(huán)球時(shí)報(bào)は「中國はベトナムよりずっと大きいのに、なぜ南シナ海でわれわれと爭うのか」と題した記事を掲載した。寫真は1288年にベトナムで行われた陳朝ベトナム軍と元軍との戦い「白藤江の戦い」を描いた絵。ハノイの博物館に展示されている。

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2014年6月11日、中國紙?環(huán)球時(shí)報(bào)は「中國はベトナムよりずっと大きいのに、なぜ南シナ海でわれわれと爭うのか=ベトナム人」と題した記事を掲載した。以下はその概要。

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中國の歴史上、ベトナムは「南方の國土」であり「屬國」、「藩」、「フランスの植民地」だったが、「兄弟同然の友好的隣國」でもあった。だが、ベトナムにとって中國はいつの時(shí)代も「北方の支配者」であり、これと戦う人物は常に人々から英雄視されてきた。彼らの存在によってベトナム國民は団結(jié)し、中國に対する強(qiáng)い警戒心を維持し続けている。

紀(jì)元前214年、秦の始皇帝は現(xiàn)在のベトナム北部?中部から広西チワン族自治區(qū)南部一帯を平定した。當(dāng)時(shí)のベトナム地方には青銅器時(shí)代の文明を有する原始的な部落しか存在していなかったが、現(xiàn)在のベトナムの歴史の教科書では、紀(jì)元前214年を「中國がベトナム侵略を開始した年」と記述している。

ベトナムの歴史では、これ以降に中國の侵略と戦った民族的英雄が多數(shù)生まれている。彼らの功績は歴史文獻(xiàn)や教科書に記載され、その姿が彫像になり、その名前が通りに付けられている。ベトナム戦爭後に生まれた若者たちは、小さい頃から「抗中」の物語を聞いて育った世代だ。中國に対して非常に敏感であり、強(qiáng)い警戒心を抱いている。そして誇り高い民族意識と小國であるが故の実用主義の間で揺れ動(dòng)いている。

ハノイの軍事博物館を案內(nèi)してくれたベトナム人の中國語ガイドは、「1979年の中越戦爭では女や子供も勇敢に中國と戦い、ついには中國を撤退に追い込んだ」と説明する一方で、現(xiàn)在の南シナ海領(lǐng)有権紛爭については、「ベトナムはこんなに小さいのだから、中國の領(lǐng)土を占領(lǐng)するわけがない。中國はベトナムよりも大きいのに、なぜわれわれと爭おうとするのか」と訴えていた。(翻訳?編集/本郷)

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