FIFAが「サッカーの発祥地は中國」と認(rèn)定、英國の専門家は激怒―中國メディア

Record China    2014年6月13日(金) 3時(shí)20分

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11日、サッカーの世界一を決定するワールドカップ2014ブラジル大會(huì)の開幕を目前に控え、中國でもサッカー一色のムードになっている。資料寫真。

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2014年6月11日、サッカーの世界一を決定するワールドカップ2014ブラジル大會(huì)の開幕を目前に控え、中國でもサッカー一色のムードになっている。そんな中、國際サッカー連盟(FIFA)のゼップ?ブラッター會(huì)長が山東省にある斉文化博物院に、中國が「サッカー発祥地」であるとする認(rèn)定証を送る様子を捉えた畫像が、英國の専門家を激怒させている。法制晩報(bào)が伝えた。

その他の寫真

英國の専門家は、古代中國には蹴鞠と呼ばれるボールを蹴るスポーツはあったが、それが今のサッカーにつながったとは考えられないと反発し、FIFAが認(rèn)定証を発行したことに疑問を呈している。

10日、FIFAのメディア関係のスタッフは取材に対して、「現(xiàn)代のサッカーには100年以上の歴史があり、1863年にロンドンで設(shè)立されたフットボール?アソシエーション (The FA) の設(shè)立にその起源を持つ。しかし、科學(xué)的根拠があるサッカーの起源は、紀(jì)元前2-3世紀(jì)の中國にまで遡る」との見方を示した。

フランス通信社の報(bào)道によると、英國の歴史學(xué)家トム?ホランド氏は、「サッカーは19世紀(jì)に始まった。殘念なことに、私はサッカーの古代の起源について何も知らない。理由は簡単で、その種の起源は存在しないから。何かを蹴って遊ぶというのは、よく見られるゲーム。世界各地の多くの民族がこの種のゲームを楽しんでいるだろう。しかし、彼らがサッカーの発明者であると証明することはできない」との見方を示している。

英國の専門家を激怒させているのは、FIFAが10年前に山東省がサッカーの発祥地であると認(rèn)定したことだ。

報(bào)道によると、斉文化博物院のサッカー博物館に展示されているサッカー発展の歴史を示した地図では、中國から伸びた細(xì)い線がエジプト、ギリシャ、ローマ、フランスをなぞり、最後にイングランドに到達(dá)している。サッカーの起源はイングランドにあり、試合のルールも19世紀(jì)にイングランドで形作られたという一般論に関して、同博物館は、「地図上の軌跡はサッカーの発展の道。ブラッター會(huì)長が署名した認(rèn)定証は、中國がサッカー発祥の地であることを認(rèn)めるもの」としている。

この見方に関して、英國の専門家は疑問を呈し、「蹴鞠と現(xiàn)代のサッカーには大きな差がある」と反論している。

英國スタッフォードシャー大學(xué)のカシュモア?エリス教授もフランス通信社の取材に対して、「そのようなルーツはこじつけで、成り立たない」と指摘している。

▼「サッカーの起源は蹴鞠」を示す記載あり

10日午前、同博物院の馬國慶(マー?グゥオチン)院長は取材に対して、「確かにブラッター會(huì)長は、サッカーの発祥地は山東省と認(rèn)めた。英國が言っているのは『現(xiàn)代サッカー』のルールが英國で確立されたという點(diǎn)。確かに『現(xiàn)代サッカー』の発祥地は英國と言える」との見方を示した。

同博物館のスタッフが編集した書籍「斉文化」や「中國蹴鞠」もこの點(diǎn)に言及し、後者の動(dòng)畫篇、宣伝篇、確認(rèn)篇などでも、蹴鞠が世界に伝わって行った過程を説明している。

FIFAのあるメディア関連のスタッフは「世界で最も人気のあるスポーツ?現(xiàn)代サッカーの歴史は100年を超えている。1863年に英國で始まり、ラグビーとサッカーが別々に発展し始めたのもこの時(shí)期だ。もちろん、起源を同じにするこの2種類の競技には、分かれる前の長く複雑に入り組んだ枝と幹もある。ここからさらに數(shù)百年遡ると、少なくとも6種類のゲーム方式がある」と語る。

つまり、別の観點(diǎn)から見ると、科學(xué)的根拠のあるサッカーの起源は、紀(jì)元前200-300年の中國にまで遡ることができるのだ。

蹴鞠は、中國漢の時(shí)代(紀(jì)元前202-220年)に広く伝わり始めた。直徑30-40cmの羽根の詰まった革製の球を蹴り、地面に立てた竹竿で「ゴール」を作り、入れた數(shù)を競った。その後、手を使わずに、足や胸、背中、肩だけを使って、相手の攻撃を防御するようになり、シンプルな攻撃が難しくなった。同じようなルールは現(xiàn)代のサッカーにも見られる。

それから500-600年後、日本にも蹴鞠(けまり)という遊戯があった。中國の蹴鞠との違いは、対抗性がない點(diǎn)で、4人、6人、8人で構(gòu)成された1チームが鞠を一定の高さで蹴り続け、その回?cái)?shù)を競う競技だった。古代ギリシャの「エピスキロス」や古代ローマの「ハルパスタム」も、人気を700-800年保った。

ハルパスタムが英國に伝わったという説もあるが、同競技は足をほとんど使わないため、サッカーとは別物だ。(提供/人民網(wǎng)日本語版?翻訳/KN?編集/武藤)

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