山本勝 2022年6月16日(木) 8時(shí)30分
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アナログの象徴のような大型帆船がいまだに船員教育、社會(huì)人への海事の普及活動(dòng)に使われている。寫真は橫浜。
アナログの象徴のような大型帆船がいまだに船員教育、社會(huì)人への海事の普及活動(dòng)に使われている。シーマンシップとは何か。帆船教育は是か非か。デジタルの世紀(jì)に問われているのは、人間の原點(diǎn)に立ち返って考えるべきことかもしれない。
“I must go down to the seas again, to the lonely sea and sky,And all I ask is a tall ship and a star to steer her by:”
これは20世紀(jì)のイギリスの桂冠詩人ジョン?メイスフィールドの詩 “Sea Fever” の一節(jié)である。メイスフィールドは若いころ水夫としての経験があり、海へのあこがれ、まったき自然への憧憬をみごとに謳いあげて、こころを揺らす詩として名高い。
◆白帆のはためき、打ち寄せる潮の音、アメリカ大陸の「香り」
もちろんここで謳われる“toll ship“とは帆船のことであり、このあとも“白帆のはためき”、“打ち寄せる潮の音”、“任務(wù)が終わったあとの靜かな眠り”(三木菜緒美訳による)、と自然と一體化した船と人のゆるぎない関係のみがそこにあるように詩はつづく。
筆者も、半世紀(jì)以上も前になるが、大型帆船に実習(xí)生として乗船して米國西岸、カナダ、ハワイを回って日本に帰ってきた経験がある。日本を出て太平洋橫斷の30日余、くる日もくる日もメイスフィールドが謳う世界にドップリ浸かったあげく、初めてはるかにアメリカ大陸を望んだときのなんともいえない高揚(yáng)感は記憶に新しい。長いあいだ潮の香しか嗅いでこなかった嗅覚は、肉眼で陸影を見つける前から、大陸から漂ってくる針葉樹のほのかな香りをとらえていたことも、きわめて新鮮な體験として忘れがたい。このように非日常の極みともいえるのが帆船による航海といっていい。
日本には船員になるための訓(xùn)練船として、大型帆船「日本丸」、「海王丸」があるのはご存知の通りだ。近い將來、船の自動(dòng)運(yùn)航、自律運(yùn)航が実現(xiàn)しようというデジタル萬能の世界において、その対極にあるアナログを象徴するともいえる帆船を訓(xùn)練船として使う意味があるのか、あるいはもうなくなったのか、近年議論が続いている。
現(xiàn)在の「日本丸」、「海王丸」は二代目だが、一代目はいずれも1930年から1984年まで54年間、航海訓(xùn)練所(現(xiàn)海技教育機(jī)構(gòu))の練習(xí)船として延べ2萬人をこえる実習(xí)生を育ててきた(戦時(shí)中を除く)。現(xiàn)在も両船の役割は変わらないが、「海王丸」は社會(huì)人に帆船航海を體験してもらうという事業(yè)にも一部使われている。また一代目「日本丸」は橫浜港、「海王丸」は富山港に係留されて、一般公開とともに、展帆ドリルなどをつうじて子供たちや社會(huì)人に海や船についての理解と知識(shí)の普及活動(dòng)をおこなっていることはご存知のとおりだ。
19世紀(jì)後半、帆船から汽船の時(shí)代に移行して久しいが、船員になるための教育?訓(xùn)練、そして國民の海事に関する理解や知識(shí)の普及という目的ために、長らく帆船が使われてきたのには理由がある。
◆船乗りに必須な“シーマンシップ(seamanship)”
“シーマンシップ(seamanship)”という言葉をご存じだろう。この言葉をどう定義付けるかは、さまざまに議論、研究がなされてきているが、ひとつは船乗りとしての技能、もうひとつは船乗りとしてのマインド、という二つに集約できそうだ。
千変萬化の海という自然をのりこえて安全に船を操る技術(shù)、社會(huì)から隔絶された運(yùn)命共同體である船で守るべき規(guī)律、マナー、あるいは心構(gòu)え、順応性といった人格的なものの総集が “seamanship” というわけだ。 船員になるには船乗りの技能とマインドの原點(diǎn)を?qū)Wべる帆船航海を経験させること、日頃海とは縁遠(yuǎn)い社會(huì)人、子供たちにもひろく人間社會(huì)に通ずる規(guī)律やマナーを?qū)Wんでもらう、あわせて海や船に関する理解や知識(shí)を得てもらいたい、というのがいまだに帆船が使われる理由といえる。
筆者の経験でも、すべてがマンパワーでおこなわれる大掛かりな帆の操作などを通じて、一人ひとりの役割の自覚とチームワークの結(jié)集があってこそ物事が成し遂げられることを身をもって教えられたこと、自然の過酷さと美しさを自分も自然の一部であるとの自覚とともに生に感ずることができたこと、なににもまして総帆をひろげて大洋を進(jìn)む大型帆船の人工物とも思えない美しさを?qū)g感できたこと、などなど確かに人間の原點(diǎn)を考えさせてくれる現(xiàn)代に殘された貴重な場ではないかと思う。
◆諸外國でも、官民が「練習(xí)船」として活用
諸外國においても、主として海軍の練習(xí)艦として大型帆船が使われ、また民間でも大小さまざまな帆船がつくられ、教育の場としても使われていることは同様の理由によるものだろう。
船員の教育?訓(xùn)練のため大型帆船を保有することに否定的な意見は、やはりすべてデジタルで用が足る現(xiàn)在、高額な費(fèi)用をかけて大型練習(xí)帆船を建造?保有する合理的な理由が見いだせないというところに集約される。
二代目「日本丸」、「海王丸」も2024年には40歳を超える。船員養(yǎng)成機(jī)関から輩出される船員の數(shù)もかつてと較べ大幅に減少した。アナログの象徴である帆船を船員の練習(xí)船として、今後も保有をつづけるのか否か、そろそろふたたび議論が活発になる時(shí)期を迎える。
“seamanship” の精神の涵養(yǎng)は、このデジタルの時(shí)代にあってこそ社會(huì)的に見直してみるべきテーマかもしれない。帆船教育の是非の議論は、単に船員教育の枠を超えて、広く國民にも考える機(jī)會(huì)を與えてくれるはずだ。
■筆者プロフィール:山本勝
1944年靜岡市生まれ。東京商船大學(xué)航??谱洹⑷毡距]船入社。同社船長を経て2002年(代表)専務(wù)取締役。退任後JAMSTEC(海洋研究開発機(jī)構(gòu))の海洋研究船「みらい」「ちきゅう」の運(yùn)航に攜わる。一般社団法人海洋會(huì)の會(huì)長を経て現(xiàn)在同相談役?,F(xiàn)役時(shí)代南極を除く世界各地の海域、水路、港を巡り見聞を広める。
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