中國新聞社 2022年7月10日(日) 22時20分
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英語で磁器を「china(チャイナ)」と呼ぶことで象徴されるように、磁器づくりは中國で完成されて世界に広まった重要な技術(shù)の一つだ。歴史を通じて磁器づくりの技術(shù)は世界各地に伝わった。
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英語で磁器を「china(チャイナ)」と呼ぶことで象徴されるように、磁器づくりは中國で完成されて世界に広まった重要な技術(shù)の一つだ。歴史を通じて朝鮮や日本、東南アジア、西アジア、さらに歐州でも磁器づくりが行われるようになった。中國の磁器づくりの技術(shù)は、世界に「パクられた」と言うべきなのだろうか。南京大學(xué)歴史大學(xué)で考古學(xué)を研究する張良仁教授はこのほど中國メディアの中國新聞社の取材に応じて、磁器づくりの世界への拡散は「學(xué)び合いの歴史」だったと積極的に評価する考えを披露した。以下は張教授の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
【その他の寫真】
■西洋人は「清潔さを保ちやすく伝染病が発生しにくい」と磁器を評価
磁器の登場時期については議論があるが、私は後漢(西暦25-220年)の時代には磁器づくりが始まっていたと考える。もちろん、その基礎(chǔ)となったのは長年にわたる陶器づくりの経験だ。學(xué)界では、磁気が海外に輸出されはじめた時期について、早ければ三國時代(220-280年)、遅くとも南北朝時代(439-589年)と考えられている。當時の磁器は現(xiàn)在の浙江省に分布していた窯で焼かれ、日本や朝鮮に輸出された。その時代に東南アジアまでもたらされたかどうかは不明だ。
中國の磁器が海外に大量に売られるようになったのは9世紀だ。この時代には東南アジアと西アジアを結(jié)ぶ海路が確立された。大まかに言えば、中國の商人は磁器を東南アジアまで運んだ。そこからはアラブの商人が磁器をさらに西に運んだ。ただしアラブの商人が中國に直接來て磁器を買い付けたこともあった。
こうして中國の磁器はペルシャ灣沿岸やエジプト、シリアに運ばれ、さらに歐州にももたらされた。16世紀になるとポルトガル人などがアジアへの貿(mào)易ルートを構(gòu)築して、磁器貿(mào)易の主導(dǎo)権を握った。17世紀以降はポルトガル人に代わってオランダやスウェーデン、英國が設(shè)立した東インド會社が中國磁器の輸出の主力になった。
磁器は表面が極めて滑らかだ。昔の西洋人は中國の磁器は表面についた食品などを洗い落とすのに適しており清潔な狀態(tài)に保ちやすいので、病気の流行を抑えられるとして絶賛した。
■中國で完成された磁器づくりの技術(shù)は世界に伝わった
中國の陶磁器はアラブの陶工の情熱をかき立てた。彼らが中國の唐三彩、唐青花、白磁を模造していた証拠も発見されている。ただし彼らは磁器づくりに最も適した土を使えなかった。適した土はあるのだが、當時はまだ発見されていなかったからだ。しかし西アジアでは陶器をつくる経験が豊富でガラスづくりも発達していた。そこで釉薬なども工夫して中國の磁器によく似た作品を作れるようになった。
アラブの陶工が開発した中國磁器を模倣する技術(shù)は歐州に伝わった。もちろん日本や朝鮮、東南アジアでも中國の磁器が模倣されるようになった。
それぞれの地域で、人気がある磁器の種類は異なる。西アジア人は家族全員を連れて屋外で食事を楽しむことを好んだ。そこで大皿や大きな壺への需要が高まった。また彼らは青色を好んだ。そのため、元明時代の景徳鎮(zhèn)の窯では多くの大きい青花磁器が焼かれ、西アジアの消費者の需要を満たした。西洋人は茶を飲むためのティーポットやティーカップを多く求めた。特に16世紀以降は、茶器を多く注文するようになった。
歐州で磁器づくりが始まったのは15世紀で、金融業(yè)などで莫大な財産を築いたイタリアのメディチ家が資金を投じたことがきっかけだった。18世紀になるとフランス人宣教師が景徳鎮(zhèn)における粘土の配合を歐州に伝えた。そのため、歐州で作られる磁器は硬くなり、彩色の鮮やかさも向上した。指で弾いた場合も、高く澄んだ音が出るようになった。
歐州では19世紀、磁器生産の産業(yè)化が進んだ。その結(jié)果、製品が大量に市場に出回り、中國製磁器の販売もある程度まで圧迫されるようになった。すると中國の窯元は20世紀初頭になり、西洋式の生産ラインや経営方法を取り入れ、規(guī)模が大きな磁器工場を設(shè)立するようになった。
アジアや歐州の多くの地域の職人が中國の磁器づくりに學(xué)んだ。各地の業(yè)者は時代や地域によって異なる市場ニーズに対応しようと努力した。近代になると中國の業(yè)者が西洋式の経営手法を?qū)Wんだ。磁器の歴史は総じて言えば、中國と世界各地の雙方向の學(xué)び合いの歴史だった。
■現(xiàn)代も「開かれた心での學(xué)習(xí)」が求められている
現(xiàn)代の磁器づくりでも開かれた心で學(xué)習(xí)を続けねばならない。中國製磁器は世界各地の窯元を刺激している。世界各地の磁器の作り手は、自らの能力を高めて新たな製品づくりに努力している。日本や歐州で作られた良質(zhì)な磁器が、今度は中國の業(yè)者を刺激する。中國の業(yè)者は外國で作られた製品を參考にして新たな磁器を作り出している。このような循環(huán)は、今後も継続させる価値がある。人類社會の発展とは、模倣と革新で成り立つからだ。
世界の磁器市場には激しい競爭があるが、「誰かが得をすれば別の誰かは必ず損をする」というゼロサムゲームの狀態(tài)ではない。競爭の中で互いに學(xué)び合ってよりよい製品を作れば、市場規(guī)模をさらに拡大できるからだ。われわれがせねばならないことは、常に開発とイノベーションを行い、競爭力ある製品を作ることだ。
私はニューヨークのメトロポリタン博物館で、新しい発想や技術(shù)で作られた陶磁器の美術(shù)品を見たことがある。陶磁器製品にはまだ大きな潛在力が秘められている。だから、伝統(tǒng)的な技術(shù)を受け継ぐだけでなく、新技術(shù)や新製品を絶えず開発せねばならない。陶磁器の世界は業(yè)者や蕓術(shù)家にとって、生産性や想像力を発揮するための大きな舞臺を提供している。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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