野上和月 2022年7月13日(水) 8時0分
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7月1日に中國返還25年を迎えた香港の街は今、25という數(shù)字とともに、中國語で書かれたスローガンや祝賀飾りがあふれかえっている。
7月1日に中國返還25年を迎えた香港の街は今、25という數(shù)字とともに、中國語で書かれたスローガンや祝賀飾りがあふれかえっている。企業(yè)も香港政府と同じ図柄を飾って統(tǒng)一感を出していて、目にする景色は自由都市?香港の変貌ぶりだ。
香港は1997年7月1日に英國から中國に返還後も、「一國二制度」のもとで中國とは異なる50年間が約束されている。今年は、その約束の折り返し地點となる年だ。
この節(jié)目に、習(xí)近平國家主席が5年ぶりに來港し、祝賀式典と新たに行政長官に就任した警察出身の李家超(ジョン?リー)氏の宣誓式に參加した。習(xí)主席は、「香港は困難を乗り越えて生まれ変わった」と稱え、引き続き「一國二制度」を堅持し、香港が國際金融センターとして機能を発揮していくことなどを期待した。
一方、李長官は、2019年の大規(guī)模反政府デモや新型コロナウイルスの感染拡大で混亂した香港社會を立て直し、住宅問題などの社會問題に対策を講じていくとともに、落ち込んだ香港経済を復(fù)活させる使命に応えていく意欲を示した。
そんな香港の街には「25年間頑張った。手を攜えてさらに前に進もう」という、香港政府の赤紫色の祝賀飾りがあふれている。バスやトラム、フェリーはもちろん、ビルの壁や橫斷幕など、ありとあらゆるところでこのスローガンを見かける。企業(yè)も政府に追隨して同じ図柄の祝賀飾りを取り付けて慶祝モードを盛り上げている。
このスローガンに呼応するかのように、親中派組織などは、「心を一つにして返還を祝い、共に未來を創(chuàng)っていこう」という祝賀広告で盛り上げているから、こちらのスローガンもあちこちで見かける。
他にも、中國の五星紅旗や香港特別行政區(qū)區(qū)旗、赤い提燈飾りも登場している。高層ビル群の祝賀ネオンが放つ赤い電光がビクトリア灣に反射して、海面まで赤く染まるといった具合だ。
香港の若者たちは「スローガンを掲げるのは中國大陸っぽくて、ダサい」、「25年頑張ってようやく香港は中國と同化したとでも言いたいのか」と皮肉るが、これほど香港政府に足並みをそろえた祝賀飾りなど、以前は見られなかったこと。まるで企業(yè)も団體組織も、中國政府や香港政府への忠誠心をアピールしているかのようだ。統(tǒng)制社會を連想し、中國化が進んでいることを印象付けている。
極めつけは、習(xí)近平國家主席の來港に合わせて、來港歓迎の橫斷幕が香港島中心部の沿道にお目見えしたことだ。
この橫斷幕の登場には驚いたが、5年前の來港時に、同じ物を同じ場所に掲げたら、きっと心無い市民がいたずら書きをするか破損させていただろう。以前、香港の政治家の橫斷幕でそういう光景をよく目にしたからだ。しかし、今回はそうしたことは起こるはずもなかった。それが、今の香港だからだ。
理由は、習(xí)主席が來港した日のちょうど2年前の6月30日にさかのぼる。この日、反體制活動を取り締まる「香港國家安全維持法(國安法)」が施行され、國家の安全や主権を脅かす動きを取り締まることが可能になったからだ。
社會の空気は一変した。あの日から約2年かけて、民主活動家、民主運動を主導(dǎo)してきた組織、民主派寄りのメディア、反中的な組織はほぼ排除された。選挙も、愛國者でないと立候補できない制度に変わり、今の立法會(議會)は親中派が議席の9割以上を占めている。李長官も愛國者統(tǒng)治の選挙制度で選ばれた初の長官だ。
そんな中で、國家主席の來港を歓迎する看板を故意に汚そうものなら、國安法に抵觸する可能性が高い。
これまでの返還記念日は、祝賀活動と並んで、民主化を望む市民による「7?1民主化デモ」が恒例行事だった。しかしデモを主催していた団體は昨年8月に解散に追い込まれ、市民の間でデモを強行しようという動きは起こらなかった。
03年に香港政府から「國家安全條例」法制化の撤回を勝ち取り、市民が民主化や政治に目覚めるきっかけになった市民50萬人による平和的デモも、午前中に華やかな祝賀パレードが行われた同じ道路を午後には民主化を訴えて行進したデモも、辛辣なイラストや自前のプラカードなどを手に「行政長官は辭任しろ!」などとシュプレヒコールを上げていたデモも、中國本土とは異なる自由都市?香港の姿だった。しかし、19年のデモを最後に歴史の1ページになったといえる。
香港社會のこうした急激な変化に香港人自身が驚いている?!?9年の反政府デモでの破壊活動はやり過ぎだった。あそこまでエスカレートしなければ、ここまで民主が抑えつけられることはなかっただろう」(40代女性)と振り返る。
今の香港は、街に平穏と日常生活が戻った。でも「民主運動や反政府デモは過去のもの」(28歳男性)となり、「政府への抗議活動はもはや意味がない。そんなことに時間を費やすのは無駄だ」(35歳男性)と思うようになった。関心は、お金もうけや身の回りの生活に移り、今もことあるごとに過剰な警備體制を敷く警察を冷ややかな目で見ている。
例えば、會社の若い同僚たちが毎朝出社するや話題にするのは、前の晩の米株式市場でテスラ株がどうだったとか、いくらもうかった/損したという投資話だ。仮想通貨や円安を話題にすることもある。
移民による人材流出が相次ぎ企業(yè)は人材に窮しているため、「転職しようとしたら昇給して引き留められた」と高笑いの若者(30代女性)もいる。上層部のポジションが空席となり、昇進や昇給した人もいる。労働市場は人手不足で、大學(xué)新卒の初任給は高騰している。
このため、世界情勢が不安定な中で、移民先で差別されたり、職探しや現(xiàn)地の環(huán)境に慣れるのに苦労したりするよりも、香港に留まって稼げるだけ稼ごうという考えも出てきているのだ。就職は売り手市場だし、國家戦略でもある広東省とマカオ、香港が一體化した巨大経済圏「粵港澳大灣區(qū)(グレーターベイエリア)」構(gòu)想に絡(luò)んでいる香港にいた方が、ビジネスチャンスもある。移民するのはその後でもいいのだ。
市民が政治に無関心を裝い経済活動に邁進するのは、返還前の香港と同じだ。ただ當(dāng)時と違うのは、今後ますます中國化が進み、以前のようになんでも自由な社會ではなく、統(tǒng)制色が強まる社會で生きていくということだ。
「自由を謳歌したかつての香港は戻ってこない」(前出の40代女性)ことは香港人自身が一番知っている。「過去のことをとやかく言っても仕方がない。前を見るだけだし、いやなら香港から出ていけばいい」(同)だけだ。もともと香港を仮の宿と思い、変化に順応し、転んでもただでは起きないのが香港人だ。街を覆い盡くす祝賀飾りを見て、中國との一體化が一層進むと察し、したたかに立ち回っていく決意をした香港人は少なくないだろう。(了)
■筆者プロフィール:野上和月
1995年から香港在住。日本で産業(yè)経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機関に勤務(wù)。1987年に中國と香港を旅行し、西洋文化と中國文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中國返還を見たくて來港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執(zhí)筆。読売新聞の衛(wèi)星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、寫真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。 ブログ:香港時間インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89
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