なぜ他の古代帝國とは異なり分裂しなかったのか―専門家が「中國の特異性」を説明

中國新聞社    2022年7月16日(土) 15時0分

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ローマ帝國など世界的に有名な古代帝國とは違い、中國は分裂しても再び統(tǒng)一された。その大きな原因には儒教の定著がある。寫真は山東省?曲阜市にある孔廟。

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ローマ帝國やアラブ帝國など、世界では古い時代から多くの「大帝國」が出現(xiàn)した。しかし、それらはいずれも分裂してしまった。中國もしばしば分裂狀態(tài)になったが、結(jié)局はそのたびに統(tǒng)一された。どうしてなのだろう。國家統(tǒng)治協(xié)同イノベーションセンターの教授なども務(wù)める吉林大學(xué)行政學(xué)院の周光輝教授はこのほど、中國メディアである中國新聞社の取材に応じて、中國が長い歴史を通じて維持した特徴と、その伝統(tǒng)的特徴が現(xiàn)代において持つ意義を解説した。以下は周教授の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。

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■世界各地の大帝國が苦しんだ「あちらを立てればこちらが立たず」現(xiàn)象

中國は世界の中でも大きな國だ。分裂狀態(tài)になった時期もあるが再び統(tǒng)一された。長い歴史を通じて、中國と同様、あるいはそれ以上の規(guī)模の國はしばしば出現(xiàn)した。ローマ帝國、アラブ帝國、オスマン帝國など枚挙にいとまがない。

しかし規(guī)模が大きな國は、情報伝達と統(tǒng)治の上で難題を抱えた。中央政府の命令に頼るだけでは、國家としての意思決定や行政管理のコストが極めて高くつく。そのため多くの古代國家は創(chuàng)設(shè)期には中央集権色が強い制度を創(chuàng)出しようとしたが、年月が経過すると軍事や人事、財政の権限を地方に移譲せざるをえなくなった。事実上の間接統(tǒng)治だ。

例えばペルシャ帝國の各地域の総督は軍事、行政管理、対外交流の上で自主権を持っていた。しかし、このような権限委譲は、古代帝國の中央集権と官僚システムの虛弱化をもたらし、帝國崩壊の伏線となった。

中國はその他の古代帝國とは異なる道をたどった。まず、秦代に文字の統(tǒng)一が進められた?!笗任摹工未_定は、大統(tǒng)一國家が歴史的連続性を持つ文化共同體を形成するために初期條件を提供した。中國では極めて古い時代から歴史を通じて、文字を使える階層であれば異なる地域の者でも意思疎通ができた。

対照的だったのはローマ帝國だ。ラテン語の書き言葉と話し言葉が乖離(かいり)して、話し言葉は地方化していった。その結(jié)果、いったん崩壊してしまった後には、再統(tǒng)一が不能になった。

■世俗的な「儒教の価値観」が定著したことで政治を脅かす宗教勢力は出現(xiàn)せず

中國では、儒教に基づく「価値観」が定著したことも重要だ。儒教は中國全國の人々の価値観の共有をもたらしただけでない。一つの王朝が滅んでも、次の王朝は儒教の価値観を継承した。つまり時間軸方向にも人々の精神性を結(jié)び付けた。少數(shù)民族が樹立した政権であっても、それまでの「中華」の精神を大きく取り入れることになった。

そして儒教の価値観は科挙という高級役人の登用方法でも採用された。このことにより、中國では極めて早い時期に「學(xué)びのシステム」が確立された。西洋で大學(xué)のシステムが登場したのは15世紀だった。中國と比べれば「晩熟」だったと言える。

そして文化人階層である「士大夫」には常に、統(tǒng)一志向があった。動亂と分裂の時代が到來すれば、士大夫階層は再統(tǒng)一を望んだ?!笇W(xué)びのシステム」が確立されていたため、士大夫階層は常に存在した。彼らは新たな王朝が成立すれば、國家を管理する官僚を輩出する主たる母體となった。

統(tǒng)一された価値観を持つ點では、キリスト教が定著した歐州やイスラム教地域も同様だった。しかしキリスト教やイスラム教は超絶した存在である神を信じて従うことを根本とする。それに対して儒教の學(xué)説は、現(xiàn)実世界のこの世についての考え方や倫理を中心とする。

中國の支配的思想であった儒學(xué)は超絶的な存在である神とは無縁であったために、中國では世俗的権力を超越する可能性がある宗教的権威を持つ存在は出現(xiàn)しなかった。政治システムとは別に存在する教會組織なども発達しなかった。そのため中國では宗教面の対立を原因とする戦爭も発生しなかった。

歴史學(xué)と中國學(xué)を研究した米國人のジョン?キング?フェアバンク氏(1907-1991年)は「世界の大多數(shù)の帝國支配者は、主に宗教的権威に頼った。中國では儒教が現(xiàn)政権の権力行使に理論面と倫理面の根拠を與えた。これは政治における大発明だ」と指摘した。

■世俗性主體の価値観で統(tǒng)一されたことで「教化」の考え方が定著

中國の文化文明の在り方を示す用語の一つに「教化」がある。人々に儒教の価値観を身に付けさせ、それを行動規(guī)範とさせることだ。中國では國家が民を「教化」しようと努力した。そのことは、統(tǒng)一王朝が思想や生活様式、風俗を社會に定著させることだった。

國によって伝統(tǒng)的な文明はそれぞれ異なっている。その國の文明の伝統(tǒng)は、どのような現(xiàn)代化の道を選択するかに、極めて大きな影響を與える。中國で実踐されてきた「儒教による教化」を考えることは、現(xiàn)代中國の統(tǒng)治の在り方を観察して理解するために有効だ。例えば中國の學(xué)校教育では「立徳樹人」、つまり道徳を重視した人材育成が基本的理念だ。これはまさに「教化」と同じ考え方だ。

中國が歴史を通して行ってきた教化政治の手法の中には、現(xiàn)代を生きる我々にとっても參考にする価値がある有益な內(nèi)容や手法が存在する。もちろん、過去と全く同じことをすべきと言うのではない。過去と現(xiàn)在では狀況が大きく異なる。たとえば現(xiàn)在は、國境を超えた経済や文化の交流が極めて重要だ。つまり國際化という狀況が存在する。そのような現(xiàn)代社會に適合した価値體系を形成せねばならない。

しかし中國が現(xiàn)代化と発展、変革を推し進めようとするこの重要な時期に、「教化」の伝統(tǒng)は人心と士気を凝集し、國家の安定と発展を守る上で依然として積極的な役割を発揮すると考える。(構(gòu)成 / 如月隼人

山東省?曲阜市にある孔廟

山東省?曲阜市にある孔廟

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※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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