中國(guó)新聞社 2022年7月18日(月) 23時(shí)30分
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北京大學(xué)の馬戒教授は中國(guó)には排他的ナショナリズムが発生する土壌が存在ないと主張する。馬教授は內(nèi)モンゴルの大草原で5年に渡り暮らしたことがある。寫(xiě)真は內(nèi)モンゴル北部のフルンボイル草原に生きるモンゴル族。
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世界には現(xiàn)在も、排他的なナショナリズムが存在する。排他的ナショナリズムの危険性を叫ぶ聲は常に存在してきたが、それでも排他的ナショナリズムを公然と主張する人々が勢(shì)力を拡大することがある。北京大學(xué)社會(huì)學(xué)部の馬戒教授は、西洋には排他的ナショナリズムを発生させた土壌が存在するが、中國(guó)には存在ないと主張する。馬教授は中國(guó)メディアの中國(guó)新聞社を通じて、同主張を説明する文章を発表した。以下は馬教授の文章を再構(gòu)成したものだ。日本人読者のために若干の説明部分を加えたことと、原文は極めて長(zhǎng)大なので、一部?jī)?nèi)容を割?lèi)?ài)したことをお斷りしておく。
【その他の寫(xiě)真】
■人はさまざまな屬性を持つが、その屬性が変わる場(chǎng)合もある
現(xiàn)代社會(huì)では、全ての人にとって性別や職業(yè)、宗教、所屬する國(guó)籍や民族が、社會(huì)におけるその人のラベルになっている。人は本能的に、自分と同じラベルを持つ人に親近感を持つ。
では異なるラベルを持つ人々が調(diào)和して暮らしていけるのか。歴史を見(jiàn)れば、異なるグループが衝突したこともあり、協(xié)力しあったこともある。そして、自分とは違うグループの中に長(zhǎng)所を見(jiàn)いだせば、自分自身を改善してレベルを高められるかもしれない。そうすれば互いに協(xié)力もしやすくなるだろう。大切なことは、多様性を認(rèn)めて互いに尊重することだ。
人はさまざまな屬性を持つ。その屬性は変化する場(chǎng)合もある。私の場(chǎng)合、18歳から23歳になるまでの5年間を、內(nèi)モンゴル自治區(qū)の草原で暮らした。文革時(shí)代のいわゆる「都市部の知識(shí)青年を?qū)澫螭趣筏肯路拧工?。私が行った地域にもともと住んでいた漢人は1人だけで、その他のモンゴル族牧畜民は中國(guó)語(yǔ)が分からなかった。
我々は4、5人で一つのゲル(モンゴル式テント)で生活した。我々はモンゴル語(yǔ)を?qū)Wび、草原での生活や仕事を?qū)Wんだ。そして2000頭以上の羊の群れを管理する仕事をした。
モンゴル族の牧畜民はとても親切で純樸だ。北京から來(lái)た我々をわが子のように扱ってくれた。私の母親ぐらいの年齢の女性がモンゴル服を縫ってくれた。彼らは羊の出産のさせ方から群れの移動(dòng)、毛刈り、そして屠殺法までの全てを手取り足取り教えてくれた。私たちは何年かすると、全身から羊の匂いを発散するようになっていた。顔には日焼けや凍傷のためにまだら模様ができた。それから「がに股」になった。これは毎日馬に乗り両足で馬の胴を締めることを繰り返す牧畜民の典型的な體形だ。そして周?chē)欷违猊螗触胱迥列竺瘠工伽皮?、我々を「モンゴル人」と認(rèn)識(shí)してくれるようになった。私は誇らしく感じた。
それから40年が経過(guò)したが、私も私と一緒に內(nèi)モンゴルで過(guò)ごした仲間も、現(xiàn)地のモンゴル族牧畜民と連絡(luò)し合っている。互いに訪問(wèn)することもある。つまり私の屬性、言葉を変えればアイデンティーに、「モンゴル族牧畜民」が追加されることになった。
■最終的に獲得した屬性は教師だった
私の第二の屬性は、社會(huì)學(xué)博士であることだ。幸運(yùn)なことに奨學(xué)金を得て、米國(guó)のブラウン大學(xué)社會(huì)學(xué)部で學(xué)ぶことができた。ブラウン大學(xué)は米國(guó)北東部にある名門(mén)大學(xué)だ。そこで5年に渡り學(xué)び、また米國(guó)の名門(mén)大學(xué)の運(yùn)営方法を知ったことは、私が帰國(guó)してから大學(xué)の教員になる基礎(chǔ)になった。
帰國(guó)した私が北京大學(xué)の教員になったころ、費(fèi)孝通先生が學(xué)內(nèi)に社會(huì)學(xué)研究所を創(chuàng)設(shè)された。そして費(fèi)先生が中心になって、少數(shù)民族やへき地の発展を促す政策に役立てるために少數(shù)民族の実態(tài)調(diào)査をすることになった。
私も參加して、チベット、新疆、內(nèi)モンゴル、甘粛、青海に行き現(xiàn)地調(diào)査を行った。私は同時(shí)に、北京大學(xué)社會(huì)學(xué)部で「民族社會(huì)學(xué)」などの大學(xué)院課程の講座を開(kāi)設(shè)した。私は14種の民族の學(xué)生を指導(dǎo)した。私の人生の中で、最後にして最も重要な屬性は教師だ。
■「信者」と「異教徒」を峻別(しゅんべつ)する一神教と進(jìn)化論の亂用がが排他的ナショナリズムの土壌になった
主要な歐米諸國(guó)はキリスト教の伝統(tǒng)を持つ。一神教の屬性概念で最も重要な特徴は「信者」と「異教徒」を全く異なるグループと見(jiàn)なすことだ。この考えが狂信性に結(jié)びつき、「異教徒」大虐殺が発生したことがある。
また、歐州では近代になり「進(jìn)化論」がもてはやされた。現(xiàn)生人類(lèi)はすべてホモ?サピエンスという同一の種だが、この同じ人類(lèi)の內(nèi)部にも「進(jìn)化論」が適用されるようになった。歐州人は一時(shí)期、アジア人やアフリカ人、アメリカ先住民を「劣った進(jìn)化段階にある」と見(jiàn)なした。
中國(guó)の伝統(tǒng)的な屬性観は、大きく異なる。一神教ではないので「異教徒を排斥する」という発想はない?!溉A夷の別」はあるが、本質(zhì)的に血筋あるいは人種に基づく區(qū)別ではない。倫理道徳の違いを問(wèn)題にしたものだ。だから中國(guó)には、人種を固定して彼我を?qū)澲扭丹护胗仓堡筏骏圣伐绁圣辚亥啶k生する土壌はない。
■西側(cè)諸國(guó)が中國(guó)を誤解するのは自らの性癖を當(dāng)てはめるから
西側(cè)諸國(guó)には、自らの文化と思考習(xí)慣で中國(guó)を読み解き、予測(cè)しようとする傾向がある。例えば「國(guó)が強(qiáng)くなれば必ず覇権を握ろうとする」と考え、中國(guó)が強(qiáng)大になれば國(guó)際的な支配力を奪取しようとするはずだと考える。このような発想は、中國(guó)社會(huì)の支配集団が考える自らの立場(chǎng)や、民衆(zhòng)が支配層に期待することを理解していないために生じる。
中國(guó)人が社會(huì)の支配層に何を求めてきたかは、例えば「禮記」を読んでみれば分かる。老人には安心できる晩年を與え、壯年には能力を発揮できる環(huán)境を與え、幼い者はきちんと成長(zhǎng)できる社會(huì)を手配することだ。夫を亡くした女性や身體障害者など生活能力のない者は社會(huì)が養(yǎng)う。このようにだれもが安心して生活でき仕事に勵(lì)める社會(huì)が理想とされたのだ。このような社會(huì)を中國(guó)人は「大同」と呼んだ。
言い方を変えれば、社會(huì)の支配者に求められたのは、家庭にあって家族全員のために盡くす親のような存在だ。今の中國(guó)でも、政府関係者はある程度、親のような存在と見(jiàn)なされている。だから行政について失敗があれば「親としての責(zé)任を果たさなかった」といった感覚で受け止められ、責(zé)任が追及される。
また、國(guó)力が充実すると侵略性をむきだしにした西洋諸國(guó)とは違い、中國(guó)の支配者が対外的に武力を行使した例は少ない。漢の武帝の外征などは有名だが、農(nóng)民が遊牧民族に襲われる事例が多かったからこそ、外征に力を入れたという側(cè)面を見(jiàn)落としてはならない。中國(guó)の支配者が対外戦爭(zhēng)に慎重だった理由は、戦爭(zhēng)により多くの將兵が死に、國(guó)家の財(cái)政が逼迫(ひっぱく)するからだ。だから中國(guó)の支配者は、遠(yuǎn)方にある勢(shì)力を武力を用いて屈服させるよりも、「徳の力」によって従わせる方がよいと考えた。
新たに支配した領(lǐng)域の住民を人間扱いせず、厳しい搾取をしたり奴隷として売買(mǎi)し、あるいは大量虐殺した西洋流のやり方と、中國(guó)の伝統(tǒng)的なやりかたは大きく違う。これらから、西側(cè)の一部の人が唱える、「中國(guó)は國(guó)力を増強(qiáng)したら覇権を握ろうとする」は杞憂(yōu)であることが分かるはずだ。
西側(cè)諸國(guó)の人にはそれ以外にも、自らの考え方や制度を絶対視する傾向が強(qiáng)い。例えば民主的選挙制度だ。たしかに、ある時(shí)點(diǎn)における人々の意見(jiàn)の大勢(shì)は反映されるだろう。しかし民衆(zhòng)の票は偶然の出來(lái)事にも左右される。一部の利益集団に支配されがちなメディアによる誘導(dǎo)も可能だ。英國(guó)のEU離脫のように、僅差だった選挙結(jié)果に基づいてその國(guó)の大きな分岐點(diǎn)が決められた場(chǎng)合には、社會(huì)に深刻な亀裂が生じかねない。民主的な選挙の結(jié)果が、大多數(shù)の民衆(zhòng)の長(zhǎng)期的な利益に合致するとは限らない。
■異なる屬性であっても相手を認(rèn)め尊重すべきだ
もちろん西側(cè)諸國(guó)でも、屬性に関連する問(wèn)題が改善された例はある。例えば米國(guó)は1960年代の公民権運(yùn)動(dòng)の結(jié)果、教育における人種差別が撤廃され優(yōu)秀なマイノリティーの若者が名門(mén)校に入りやすくする政策が実施された。オバマ前大統(tǒng)領(lǐng)も、そのような恩恵を受けた一人だ。
現(xiàn)代の法治國(guó)家では、それぞれの國(guó)民がどのような屬性を持とうとも、最も重要な屬性はその國(guó)の國(guó)民であることだ。そして國(guó)民という屬性をもっていれば、法の下で権利は平等でなければならない。人種などの屬性に伴う差別を撤廃すれば、國(guó)民という屬性をより強(qiáng)く感じるようになる。
中國(guó)の伝統(tǒng)である、異なる屬性の持ち主であっても相手を認(rèn)め尊重するやり方は、國(guó)を安定させるためにも、真に調(diào)和のとれた國(guó)際社會(huì)を?qū)g現(xiàn)させて人類(lèi)運(yùn)命共同體を構(gòu)築するためにも有効なはずだ。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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