中國新聞社 2022年7月26日(火) 15時30分
拡大
三國志の英雄である関羽にまつわる文化現(xiàn)象などを研究しているのは中國人學者、あるいはアジアの學者だけではない。研究を続ける非アジア圏の研究者もいる。寫真は関羽を祭る河南省洛陽市內(nèi)にある関林廟。
それぞれの國の文化を研究するのに最も有利なのは、その國の狀態(tài)に問題さえなければ自國の研究者だろう。しかし外國の研究者が果たしうる役割りも大きい。その國で生まれ育った人は見落としがちな文化の「特異性」にも気付きやすく、新たな手法も導入しやすいからだ。自國の研究者と外國の研究者が成果の紹介や意見交換を活発に行うことが理想であるはずだ。また交流を重ねれば學術分野を超えた相互理解や相互信頼も深まるだろう。獨ハンブルグ大學のバレント?テア?ハール教授は、中國の民間にある関羽信仰などを研究してきた。教授は中國メディアの中國新聞社の取材を受け、関羽信仰の経緯や中國人との交流についての思いを語った。以下はハール教授言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構成したものだ。
■関羽信仰は「三國志演義」の影響で出現(xiàn)したのではなかった
私が中國では関羽信仰が盛んであることに注目したのは1980年代だった。當時の西洋では、関連する研究がとても少なかった。私は中國、特に宋代以降の社會構造とその変化を理解したいと思っていた。そのためには祭祀や先祖崇拝を知ることが重要だ。関羽信仰もその一例と考えてよい。
私は當時、日本に留學していた。そして関羽を祭る関公廟や関帝廟の分布に興味を持った。廟の分布は客観的な情報であり、関羽信仰がいつどこで発達したかを分析できる。関羽を有名にしたのは、明代(1368-1644年)の小説である「三國志演義」と考えられがちだ。しかし私は研究を通じて、「三國志演義」が成立する前に関羽信仰が存在していたことに気付いた。
さまざまな事情があり、私の関羽信仰についての研究は中斷した。しかし2010年には研究を再開した。すでに中國や日本で、関羽に関する良い研究が多く発表されていた。私はそれらの研究を參考にしながら、學生時代に集めた資料を整理をし始めた。
識字率が高い社會では、「三國志演義」のような歴史小説などを読める人が多い。しかしかつての中國で、文字を読める人は少なかった。その場合、彼らの価値観は何からどのように影響を受けるのか。私はそう考えて、口承文蕓を重點に研究することにした。
話し言葉は考えを伝える最も基本的で効果的な手段だと思う。文字や絵でも意思を伝えることはできるが、少なくとも感情については、目の前の人に聲や表情を通じて伝えるのが本來の姿だ??诔形氖|の研究には大量の資料が必要だ。だが関羽信仰については資料も豊富だ。だから口承文蕓が中國の歴史にどのように影響しているかを分析することがしやすい。
■関羽信仰の拡大を後押しした、お告げを伝える“こっくりさん”
関羽信仰、つまり関羽の「神格化」には偶然の要素が大きく影響した。つまり関羽の出身地は塩湖の近くで、製塩や塩の取引を行う商工業(yè)や交通が発達していた。このことで、情報は「口コミ」によって拡散しやすかった。民衆(zhòng)の心情としては、義兄弟の契りを交わした劉備、関羽、張飛が漢王朝の再興という理想を抱いたことを信じたかった。だから関羽にまつわる話も広がった。実は張飛もさまざまな物語を持つ人物だったが、張飛の出身地には商業(yè)や交通という條件がなかった。劉備は「皇帝になるべき」人だった。中國で皇帝が「神」になることは、歴史を通じて通常はなかった。関羽については「信仰」が発生しやすい下地があったわけだ。
そして成功者よりも失敗した者に強い関心を持つことは、多くの文化で見られる現(xiàn)象だ。中國の「水滸伝」、「三國志演義」、「紅樓夢」などの小説には失敗した人の物語があり、彼らがなぜ失敗したのか、本來ならば成功するはずなったのかなどが説かれている。また、失敗者は一般にはっきり分かる子孫が少ない。だから、史実を下敷きにしている物語で時代の経過とともにいろいろな「版」が出現(xiàn)しても、自分は子孫だとして反論する人が出て來ることも少ない。関羽についても同様だ。
関羽信仰は、まず地方的な現(xiàn)象として出発した。出身地である山西省付近で発生し、その後中國北部に広がった。私は、中國の南北で関羽信仰の狀況が違うことに気付いた。中國北部では一般に、村や都市、軍隊が関羽を崇拝とした。皆で関羽を信仰することが共同體としての結束のシンボルになった。中國南部でも関羽を崇拝した人はいたが、比較すれば限定的で、共同體としての崇拝は明代になってから発生した。
中國には「玉皇大帝」に対する信仰がある。玉皇大帝は天界や地上、地底などあらゆる存在の支配者と考えられてきた。つまり事実上の最高神だ。そして、玉皇大帝は「代替わり」をするという考え方がある。清朝末期には、「関羽が新たな玉皇大帝に即位した」との考えが発生した。玉皇大帝は扶箕(フーチー、日本の「こっくりさん」に類似)を通じて人々にお告げをもたらす。この扶箕と結びついた関羽信仰は臺灣にも伝わった。臺灣ではそれまで、関羽を崇拝する人は限定的だったが、臺灣でも関羽に対する民間信仰が盛んになった。
■中國と西洋の違いと共通點を知り、さまざまな階層の交流を進める
西洋のキリスト教は、イエス?キリストや神という完全に別格の存在を強調(diào)する點が中國の文化背景とは大きく異なる。しかしカトリックなども、普通の人が聖人になった奇跡を認めてきた。その點は、中國で関羽が崇拝されるようになった狀況に似ている。人類社會では説明が難しい偶然の現(xiàn)象が數(shù)多く発生してきた。宗教はその現(xiàn)象を説明するのに「奇跡」という考え方を使って人々の心を落ち著かせた。人類は奇跡を必要としてきたとも言える。関羽信仰の存在と聖人崇拝の存在は、中國文化と西洋文化には近い面があることを示すと考える。
新型コロナウイルスの感染癥の流行は、ドイツと中國の交流に影響を與えた。相手を深く知り、文化交流を強化するには、やはり文字や動畫などのコミュニケーションだけでは不十分で、実際に相手の國に行く必要がある。特に意見や見方が異なる場合は、コミュニケーションを通じて相手を理解し、文化交流を通じて関係を改善していくべきだ。
文化交流においては人と人との関係が重要だ。歐州からの観光客が中國を観光し、中國人観光客が歐州を訪れるのは良いことだ。また、學術交流やメディアの仕事も大切だ。學術研究はその性質上、簡単そうに思える問題を複雑化して思索することが多い。メディアは大衆(zhòng)が容易に理解できるように工夫して、思想を伝えねばならない場合がある。
具體的に言えば、例えばドイツの中國學者は基本的な中國語を話す能力があり、ドイツと中國のより良いコミュニケーションを実現(xiàn)するのを助けることができる。西洋の歴史や文化を研究する中國の學者もドイツを訪れて交流することができる。また、両國が相手國の作品の翻訳作業(yè)を強化することは、相手國をよりよく理解するために有効だ。このように、さまざまな分野と階層における交流や相互理解が必要と考える。(構成 / 如月隼人)
この記事のコメントを見る
中國新聞社
2022/7/23
2022/7/19
Record China
2022/7/6
2022/6/28
2022/7/16
2022/6/18
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問い合わせ
Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら
業(yè)務提攜
Record Chinaへの業(yè)務提攜に関するお問い合わせはこちら
この記事のコメントを見る