北京が「特別な歴史と文化の街」とされるのはなぜなのか―中國(guó)メディアが解説

中國(guó)新聞社    2022年8月8日(月) 5時(shí)0分

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北京はさまざまな意味で、中國(guó)だけでなく世界にとっても特殊な都市だ。寫真は北京市中心部にある故宮博物院。明朝(1368-1644年)と清朝(1644ー1912年)には皇帝が住み執(zhí)務(wù)する皇宮だった。

北京は中國(guó)だけでなく世界にとっても特殊な都市と言える?,F(xiàn)存する都市としての古さはギリシャのいくつかの都市やローマなどに匹敵する。そして、長(zhǎng)年にわたり中國(guó)という巨大國(guó)家の首都であり続けて現(xiàn)在に至る。幾何學(xué)的に東西対稱に構(gòu)築された巨大都市として世界に比類がない。中國(guó)メディアの中國(guó)新聞社はこのほど、歴史や文化を中心に北京を紹介し、今後の進(jìn)路についても言及する文章を発表した。以下は同文章の記述に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。

■悠久の歴史を通じて発展した北京、新たに目指す都市としての地位とは

北京には今から70萬(wàn)年前の人類の遺跡がある。都市建設(shè)の歴史は3000年以上で、「國(guó)都」としての機(jī)能が追加されてから860年以上の都建設(shè)史がある。北京は古くから多くの民族が交流し融合した場(chǎng)所であり、歴史の悠久さと重厚さ、文化の多元性では、現(xiàn)在の世界のさまざまな首都の中で、かなり際立っている。

現(xiàn)在の北京の地は、周代から燕と呼ばれた國(guó)の首都だった。唐代などに北方や東方を押さえるために設(shè)置された幽州の中心部も現(xiàn)在の北京市街地の南東部の一角だった。北京は一貫して中國(guó)の中央部と北方や東方の交通の要衝(ようしょう)だった。

中國(guó)の北部を支配した金朝は1153年に現(xiàn)在の北京に遷都して「中都」と名づけた。金朝は中國(guó)全國(guó)を統(tǒng)一したわけではないが、より広域を支配する國(guó)の首都としての機(jī)能が追加された?!钢卸肌工我?guī)模は現(xiàn)在の北京より小さく、その位置は現(xiàn)在の北京市市街地の南西部だった。そして元朝のフビライ帝は「中都」の北東に隣接する土地に改めて大規(guī)模な都市を建設(shè)して「大都」と命名した。北京の地は名実ともに中國(guó)全國(guó)の首都になった。

中華人民共和國(guó)が成立した後、政治の中心や文化の中心としての北京の地位はいっそう際立つようになった。中國(guó)政府は2014年、「四大センター」としての北京の位置づけを明確にした。すなわち、全國(guó)政治センター、文化センター、國(guó)際交流センター、科學(xué)技術(shù)革新センターだ。

北京市の最新の都市全體計(jì)畫では、歴史の長(zhǎng)い古都文化、豊かで重厚な紅色文化(革命文化)、特色のある京味文化(都としての食文化)、勢(shì)いよく勃興するイノベーション文化の伝承や発展に力を入れることが提唱された。北京は2035年までに、自らの文化に自信を持ち多元的包容力を示す世界における文化の名都市になり、2050年までには中華文化をさらに発揚(yáng)し、時(shí)代の流れをリードする世界的な文脈からしてもシンボル的な都市になる計(jì)畫だ。


■世界主要國(guó)の首都と比べても際立つ北京の特徴とは

世界に目を向ければ、特定のキーワードと共に語(yǔ)られる首都は多い。「ファッションの都」のパリ、「アニメの都」の東京、「クリエイティブの都」のロンドンなどだ。多くの首都都市は獨(dú)自の文脈を持ち続けてきた。これらの都市は他をリードする文化資源や文化施設(shè)、文化ブランドを有している。伝承してきた獨(dú)自の歴史文化絶えず革新して、文化のソフトパワーや発展のハードパワーを構(gòu)築している。

これらの著名都市と比べても、北京は獨(dú)特の競(jìng)爭(zhēng)力を持っている。例えば、北京は完璧に近いほど東西対稱に作られている。これは、パリにも東京にもロンドンにもない大きな特徴だ。北京市の南北を通る中軸は、北京城の「背筋」であり「魂」でもある。北京ではここ數(shù)年、この中軸線上の100項(xiàng)目以上の文化財(cái)修復(fù)プロジェクトが次々に開始された。

北京はまた大運(yùn)河、長(zhǎng)城、さらに盧溝橋が架かる西山永定河の3本の文化遺産を伴っている。北京は自然にも恵まれて、その上に都市発展の記憶をとどめており、中華文明の精華と言える地だ。北京の「首都の風(fēng)格、古都の風(fēng)格、時(shí)代の風(fēng)貌」という都市の特色は明確だ。

北京市でもかつては古い街並みの取り壊しなどが行われたが、現(xiàn)在では「舊市街をこれ以上取り壊すことはできない」という大原則が確立された。近年は、裏通りや路地を整備して質(zhì)を向上させている。歴史的な街並みは落ち著きを取り戻した。市民の昔の記憶を生かし環(huán)境を改善し、文化の伝承の中で市民生活が営まれる街になりつつある。

北京ではここ數(shù)年來、「大型ドラマで北京を見る」、「映畫やテレビで北京を見る」、「良書で北京を見る」という、文化創(chuàng)作活動(dòng)と連動(dòng)して北京を世界に知らせる努力が行われている。公共文化施設(shè)のネットワークシステムを整備し、「夏冬五輪大會(huì)の都市」、「書物の香り漂う都」、「博物館の都市」などのイメージを形成する努力もされている。


■「中國(guó)を物語(yǔ)る」ための重要な文化情報(bào)の発信プラットフォームを目指す

北京ではすでに中國(guó)全國(guó)及び世界に対する影響力がある各種プラットフォーラムが形成された。中國(guó)國(guó)際サービス貿(mào)易交易會(huì)、中関村フォーラム、金融街フォーラムなどの仕組みだ。

7月25日から26日にかけて開催された北京文化フォーラムでは、北京市に改めて文化プラットフォーム群を出現(xiàn)させることが提唱された。文化建設(shè)の成果の展示や交流のプラットフォーム、文化発展の協(xié)力プラットフォームなどの建設(shè)で、北京をこれまで以上に、「中國(guó)を物語(yǔ)る」ための重要な情報(bào)発信プラットフォームにしていくことを目指す。

歴史遺産や古く奧深い文化は、都市の生命の一部だ。北京は優(yōu)れた伝統(tǒng)文化をしっかりと伝承し、同時(shí)に開放的な気持ちで異なる文明と交流し、互いに參考にせねばならない。正統(tǒng)性を守ると同時(shí)に革新を進(jìn)めることで、中國(guó)全國(guó)の文化センターとしての建設(shè)を推進(jìn)し、文化のソフトパワーと國(guó)際的影響力を高めねばならない。さらには、素晴らしい文化を保持していることが、市民の素晴らしい生活につながる都市にならねばならない。(構(gòu)成 / 如月隼人

※記事中の中國(guó)をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

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