中國新聞社 2022年8月22日(月) 23時30分
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中國文化は自然と融和的だった。歴史の成り行きでそうなったのではなく、さまざまな思索により歴史的に形成されてきた文化という。寫真は安徽省の古い建物。やはり自然との調(diào)和が感じられる。
近代から現(xiàn)代に至るまで、工業(yè)が急速に発展したことで多くの人々の生活は豊かになった。平均壽命は延びた。何よりも、近代文明が発達(dá)する前は、地球がこれほど多くの人口を養(yǎng)うことはできなかった。しかし負(fù)の側(cè)面もある。工業(yè)により汚染物質(zhì)が大量に排出された。生物種の多様性が失われつつある。そして気候変動が深刻さの度合いを強めている。
過去數(shù)百年の期間に人類を取り巻く環(huán)境を大きく変化させたのは、疑いなく西洋近代文明だ。だとすれば、西洋近代文明がもたらした負(fù)の側(cè)面を軽減するために、西洋以外の伝統(tǒng)的な考え方が有効なのではないか。中國の著名な哲學(xué)者?哲學(xué)史研究者である清華大學(xué)國學(xué)研究院の陳來院長はこのほど、中國メディアの中國新聞社に、中國文化はエコ文明の建設(shè)に役立てられると論ずる文章を寄稿した。以下は陳院長の主張に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
■「自然とは人による征服の対象」と考える西洋式の発想ではエコ文明を構(gòu)築できない
自然と共生して持続可能な文明をエコ文明と呼ぶことにしよう。エコ文明の確立は、強力な規(guī)則を作るだけで実現(xiàn)できるものではない。規(guī)則に機械的に従うようにするだけでは不足なのだ。社會文化全體の変化が求められる。自然に対して根本的に友好的な文化的態(tài)度を築き、エコ文明を構(gòu)築せねばならない。人類にとっての価値観の再構(gòu)築が必要だ。
文明の核心とは価値観であり価値の原理だ。エコ文明を築くにも価値とその原理が必要だ。近代西洋は自然を人の征服対象と見なし、人が操作できる対象と見なした。人間の知識は自然を上回ると考えた。このような考え方では、世界規(guī)模のエコ文明を確立できない。価値観のモデルチェンジが必要だ。
中國文明が數(shù)千年も続いてきたことは、環(huán)境や生態(tài)の持続可能性を重視していることと切り離せない?!刚撜Z」、「孟子」、「荀子」、「大戴禮記」、「小戴禮記」、「周禮」、「管子」などの紀(jì)元前から書かれてきた多くの著作には、環(huán)境保護(hù)の規(guī)範(fàn)が説かれている。それらは人としての規(guī)範(fàn)である「禮」にも組み込まれ、関連法令の根拠となった。
特に孟子では、持続可能な自然の利用が説かれている。例えば「沼や池で幼魚まで捕まえてしまう目の細(xì)かい網(wǎng)を使わないようにすれば、魚やスッポンは食べきれないほど多く捕れるようになる。樹木を切る季節(jié)を限定すれば、使いきれないほど多くの材木が手に入るようになる」(梁恵王章句?上)だ。紀(jì)元前以前の諸子は、このような考え方で一致していた。すなわち、中華文明は2000年以上も前に、生態(tài)バランスを深く理解していた。
中華文明には早い時期から、時と節(jié)度をわきまえ、バランスを考え、秩序をもって生態(tài)に接する知恵があった。この自然に対する態(tài)度は、自然界から無制限に搾取を行う態(tài)度と比べて、極めて成熟したものだ。
■儒教、道教、仏教のいずれもが、人と自然の調(diào)和と合體を考察した
中華文明の自然観は、さらに進(jìn)歩した。生態(tài)を保護(hù)する考え方を、哲學(xué)の域にまで高めたのだ。その代表的な概念が「天人合一」だ?!柑烊撕弦弧工趣?、天すなわち自然と人の全體的な調(diào)和を説く考えだ。両者が対立?衝突するものとは見なさない?,F(xiàn)代に生きる我々がエコ文化の基礎(chǔ)として実現(xiàn)せねばならないのは、人の自然に対する態(tài)度だ。自然を搾取の対象と考える考え方を、自然に近づき自然と調(diào)和して付き合う方式に転換せねばならない。これはまさに、「天人合一」の知恵だ。
道教も、人と自然の関係について深く考えを巡らせた。例えば「道法自然」の考え方だ。これは「道とは萬物の自己の生命の狀態(tài)に従うことだ」ということだ?!咐献印工摔稀ⅰ溉f物自然を輔(たす)けて、而(しこう)して敢えて為さず」と書かれている(第64章)。つまり「萬物がその本性に従うことをたすける。しかし余計なことはしない」ということだ。
儒教の場合には道教よりもやや積極的で、人が自然に対して何らかの手を加えることは認(rèn)める。ただしそれは、自然と対立することではない。まず人は天に従わねばならないと考える?!柑臁工趣献匀护螕斃恧趣饫斫猡扦搿¥饯巫匀护螕斃恧搜丐盲糠较颏?、自然と協(xié)力しあうべきだと考えたのだ。
中國哲學(xué)の普遍的な信念として「萬物一體」もある。荘子は「萬物と我は一をなす」と主張した。あらゆるものと自分自身は分離することができず、共に一體となって全體を構(gòu)成するとの考え方だ。このことも、人と自然は同様に世界の一部だとの認(rèn)識を示している。
仏教発祥の地はもちろんインドだが、中國では仏教思想についてさまざまな展開が出現(xiàn)した。例えば「一切衆(zhòng)生悉有仏性」との考えが重視された。すなわち「生きとし生けるものすべてが仏の性質(zhì)を持つ」だ。すなわち、いかなる生き物にも內(nèi)在的な価値があるとの主張だ。この場合の「衆(zhòng)生」は、現(xiàn)代的な用語で言えば「動物」に近い概念だが、宋代(960-1127年)から発展した儒教の一派である理學(xué)は、草木や瓦、石にも「善性」があると考えた。すなわち中國思想は「ありとあらゆるものに內(nèi)在的価値が存在する」と認(rèn)識する方向に発展した。
さらに仏教は「衆(zhòng)生平等」を強調(diào)した。つまり人という種は、他の種を支配する特権を持ち合わせていないと考えた。このような考え方により、「人は萬物を支配する存在だ」といった傲慢な発想を回避することができた。
孟子は君子の取る道として「仁民而愛物」とも説いている。「民に仁を施し、そして物を愛す」ということだ。これは、孔子が唱えた「仁」を政治の領(lǐng)域にまで拡大し、次にはその慈しみの心を物に対しても適用するということだ。ここにおいて、儒學(xué)は自然の事物をいつくしむことを、倫理に組み込んだ。
孟子の「仁民而愛物」については後世になり、ややニュアンスの異なる主張も出たが、自らと萬物を一體のものとみなす考え方は継続した。ニュアンスの異なる主張も結(jié)局は、萬物に対する愛を重視することでは、同じだった。
■世代を超越した責(zé)任感、「権利」ではなく「道徳」や「倫理」を重視
中國では「子孫のために」という考え方も確立された。これは後の世代に対する倫理的責(zé)任感だ。中國人は今だけの快適さを求めることを「よし」としなかった?!赶热摔兢蛑菠?、後代の人が涼を取る」が、中國文化の価値観になった?,F(xiàn)代社會に適用すれば、生活の改善を近視眼的に見ることはせずに、資源の開発や使用でも常に長期的な視野を持つということだ。
これらは全て、中國文化の本質(zhì)が個人本位ではないことに起因する。人は世代を超えて共生せねばならないと考える。自分の命は祖先の命の延長であると同時に、子孫にも引き継がれていくことを強く意識する。子孫は祖先によって大きな恩恵を受けている。だから中國人は先祖に感謝し、先祖を敬う。そして、自分自身は子孫に幸福をもたらさねばならないと考える。それらができて初めて、人生の使命と責(zé)任を果たすことができると考えるのだ。
現(xiàn)在のエコ文明についての言明には西洋文化に根ざしている部分が多い。一例として「権利」という言葉の多用がある?!缸匀护摔洗嬖跇丐ⅳ搿埂ⅰ竸游铯螛乩驃Zってはならない」、「後の世代は現(xiàn)在の世代と同じく生存権を持つ」などだ。しかし中國文明は、「権利」をあまり論じない。そうでなく、道徳や倫理の意識を高めることを重視する。
中國文明は、人が持つべき道徳の対象を「人」から「物」にも拡大した。そして自然を人の道徳の適用範(fàn)囲に含める。これこそが、現(xiàn)代社會が必要とするエコ文明の価値観たりえる思想ではなかろうか。このような価値観に気付き、その普遍化に向かうようになれば、それは中國文明のエコ価値観に対する大きな貢獻(xiàn)になるはずだ。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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