世界の大手企業(yè)が深センに投資しない理由

吉田陽介    2022年8月17日(水) 6時30分

拡大

中國の対外開放で重要な役割を果たした深センに変化が起きている。

改革開放路線が取られてから40年以上がたち、急速な経済成長によって中國は大きく発展した。改革開放が大きな成果を得た大きな要因は資本主義経済の利點を大きく取り入れたことだ。

市場経済を取り入れて経済発展を図ることは、改革開放前にも試みられたが、政策決定層やブレーンからは「市場経済=資本主義の復(fù)活」と認識されていたため、このような政策は「社會主義の道から外れた修正主義」と批判された。それに対し、改革開放は伝統(tǒng)的な社會主義理論にこだわることなく、國の生産力を発展させるものなら、資本主義國のものであろうと容認し、各種の改革が進められた。

中でも、対外開放は社會主義を発展させるのにプラスになるとされ、深センも資本主義國との交流の「窓口」となり、多くの外資を引きつけた。2001年の世界貿(mào)易機関(WTO)加盟により、中國経済はグローバル経済にますます組み入れられた。

中國の対外開放で重要な役割を果たした深センに変化が起きている。

7月末に『財経』に掲載された記事は、世界の多國籍企業(yè)が深センに投資しなくなったことを明らかにした。

データだけ見れば、「外資が好む都市」といえる。例えば、2015年からの7年間、深センの外資実質(zhì)利用額はそれぞれ、65億ドル、67億3200萬ドル、74億100萬ドル、82億300萬ドル、77億1000萬ドル、86億8300萬ドル、11億200萬ドルとなっている。2021年には過去最高の100億ドルを突破した。

『財経』記事は外資がどこから來たものかに注目した。深センの対外開放についての研究によると、香港?澳門資本と外國資本に分けられ、香港?澳門資本が多く、外國資本は日本、米國、韓國、フランス、英國がメインだ。

2015年以降の毎年の海外直接投資(FDI)トップ5は、香港のほかに、最もよく見られるのは英領(lǐng)バージン諸島、ケイマン諸島などのオフショア金融センターで、シンガポールもたまにトップ5に入っているが、米國、日本、歐州がトップ5に入ることはほとんどなく、トップ10にさえ姿を見せていない。

また、近年、深センが受け入れたFDIのうち、不動産業(yè)投資が常に1位で、不動産業(yè)を含むサービス業(yè)投資が占める割合は約80%に達しているが、科學(xué)技術(shù)製造業(yè)の多國籍企業(yè)の姿は見當(dāng)たらない。香港資本は、中小規(guī)模の労働集約型の企業(yè)が多い。

ただ、2015年に深セン前蛇口自由貿(mào)易區(qū)がスタートし、広東自由貿(mào)易の重要な一部分にして中國政府が進める「一帯一路」の重要拠點としても位置付けられている。

■家電市場での競爭激化、中國北部への投資を好む日系家電企業(yè)

家電市場の発展の歴史を概観すると、1950年代前は、米國が世界の家電市場のトップだったが、1970年代に入ると、日本の家電製品が臺頭し、過去の「安かろう、悪かろう」のイメージを一変させ、世界各國で受け入れられた。2000年代になると、韓國の家電製品が臺頭した。このことから、中國が改革開放によって経済発展を?qū)g現(xiàn)した時期と日本家電の「黃金時代」の時期が重なっていたことが分かる。

中國の家電需要が旺盛だった1980年代には、日系家電大手が中國大陸に生産拠點を置くことはあまりなく、日本で生産したものを中國に輸出するという形をとっていた。當(dāng)時の中國の家電市場は日系をはじめとする外國ブランドが80%のシェアを占めていた。

1996年以降、康佳、創(chuàng)維、TCL、長虹、海爾、海信という中國大陸の家電企業(yè)が臺頭し、日系企業(yè)を主とする外國ブランドの市場シェアは急速に中國企業(yè)に奪われ、2010年までに、中國における外資ブランドの市場シェアは20%に低下した。さらに、中國系カラーテレビ大手が國際市場に參入し、日韓のカラーテレビ企業(yè)と競爭するようになった。その中で、日系カラーテレビ企業(yè)は中國に生産拠點を設(shè)けて自社の生産コストを引き下げることを余儀なくされた。

『財経』記事は、「康佳、創(chuàng)維、TCLの生産拠點が深セン地區(qū)に集中するようになってから、日韓などのカラーテレビ企業(yè)が深センにあまり投資しなくなった。松下も東芝もシャープも、ソニーもサムスンも、中國の北部へ投資するようになった」と指摘し、松下、東芝、シャープ、ソニーの例を挙げた。

松下電器は1980年代末に中國に合弁工場を設(shè)立し始めた時、北京市と天津市を選んだ。その後、松下電器は中國大陸に80社以上の企業(yè)を設(shè)立し、上海、済南で事業(yè)展開したが、深センにはほとんど進出しなかった。

東芝は1991年に大連にテレビ工場を設(shè)立し、杭州に輸出拠點を置いた。東芝は中國の24都市に33の工場と研究開発機関を相次いで設(shè)立したが、いずれも深センとは関係がなかった。その後、東芝は中國の電化製品の生産工場を閉鎖し、すべてベトナムに移転し、研究開発と精密部品生産は本土に移転した。

シャープは中國本社を上海に置き、生産拠點は上海市や常熟市などに置いている。

ソニーの中國での投資総額は8億ドルを超え、カラーテレビ関連の生産拠點は主に上海市、江西省、廈門(アモイ)市にあり、広東省では中山市にテレビ工場を投資し、恵州市に部品工場を建設(shè)した。

■コンピュータ時代、多國籍企業(yè)の出入りが頻繁に

カラーテレビ市場の競爭が激しさを増していた1990年代、深センと周辺地域のコンピュータハードウェア製造業(yè)も急速に発展してきた。當(dāng)時、深センは多國籍企業(yè)のIT大手から特に重視されていた。當(dāng)時、深センに投資していた多國籍企業(yè)は米國企業(yè)がメインで、深センのコンピュータ産業(yè)発展で大きな役割を果たした。1992年には米國のシーゲートが深センに投資し、1994年にパソコンのハードディスクを生産した。

だが、現(xiàn)在の深センでは、こうした多國籍企業(yè)の姿を見かけることはほとんどない。

深センに投資した大手多國籍企業(yè)の大半は中國を離れていない。多くのコンピュータ企業(yè)は自社で生産するのではなく、OEM工場にアウトソーシングしているが、依然として深セン以外の中國各地に多くの工場と研究開発センターを持っている。『財経』記事はコンパック、中國恩普(深セン)有限公司、デル、レノボなどの例を挙げている。

1995年、米國系コンパック(Compaq、株式の90%を占める)と中國四通集団(株式の10%を占める)は合弁でコンパックコンピュータ技術(shù)(中國)有限公司を設(shè)立し、深セン華僑城東部工業(yè)區(qū)に、1本の本體組立生産ラインと3本のコンピュータ電源生産ラインを含むコンパックの世界第5の生産工場を設(shè)立した。

だが、2001年にHPがコンパックと合併すると、深セン工場が廃止された。HP自體は上海市、重慶市(2010年)にパソコン生産拠點を持ち、臺灣の精英(エリート)、和碩(ペガトロン)、富士康(フォックスコン)がOEM工場としている。

中國恩普(深セン)有限公司が1988年に設(shè)立され、インテグレータ、醫(yī)療製品、ケーブルを生産している。だが、1992年にHPが北京市に中國本社を設(shè)置すると、HPの中國での生産の中心は、青島市、上海市を含む華北と長江デルタにシフトした。1996年、中國恩普(深セン)有限公司がSMK會社に株式を譲渡した後、HPは再び深センに投資していない。

遅い時期に深センに工場を設(shè)立したデル(Dell)は、2004年にアモイに移転し、2005年に第2工場を設(shè)立し、2010年には売り上げ340億元を達成した。

大手米國企業(yè)のうち、IBMは深センに最も影響を與えているパソコン會社だ。1994年に中國の長城コンピュータグループと合弁會社を深センに設(shè)立して以降、IBMの中國投資の半分が深センに集中している。IBMグローバル調(diào)達センター本部、グローバルサービス執(zhí)行センター本部をいずれも深センに置いた。このことから同社の深センへの愛著がうかがえる。

レノボ?グループが2004~2005年にIBMのパソコン事業(yè)を買収した後、IBMの深セン工場はすべてレノボの生産拠點となっていた。レノボが深セン工場の閉鎖を計畫しているとうわさされてきたが、レノボは否定した。レノボは20億元を投じてつくった南部インテリジェント製造拠點が2020年3月に深センで著工したことで、このようなうわさに完全に終止符が打たれた。

リコーは1991年1月に深セン市皇崗北路に生産拠點を建設(shè)し、コピー機、ファックス、プリンター、軽量印刷機およびその部品の生産をメインとし、投資総額は7000萬ドルに達した。その後、寶安區(qū)福永街道にリコー工業(yè)団地を設(shè)立した。2020年までに、リコーは皇崗北の工場を閉鎖し、東莞市に移転した。

■天津を重視?世界の攜帯電話企業(yè)

80~90年代は、中國は固定電話をどう普及させるかということが大きな課題だったが、時代が進むにつれ、人々は攜帯電話を持つようになった。筆者が1997年に初めて北京を訪れた時は、攜帯電話を持っている人をあまり見かけなかったが、2001年に留學(xué)生活を始めた時は、多くの人が持っていた。

攜帯電話産業(yè)は1990年代末に臺頭し、華為(ファーウェイ)のスマートフォンが世界3位になった。中國産のスマートフォンが出てくるまで、中國の攜帯電話市場で見られたブランドはモトローラ、ノキア、シーメンス、エリクソン、ソニー、サムスンなどだった。これらの企業(yè)の中國での生産拠點は、おおむね深センを避けている。

1992年、モトローラは1億2000萬ドルを投じて天津開発區(qū)に中國生産拠點を設(shè)立した。10年後には、世界のモトローラの攜帯電話の9割がここで生産されている。最盛期にはモトローラの天津への投資額は30億ドルを超え、中國での総投資額は一時フォルクスワーゲンを上回ったこともあった。

モトローラと深センの主な直接的な接點は、2003年に75億ドルを投じるファーウェイ買収計畫だろう。交渉が最終段階まで進んだ時、新しく就任したサンダーCEOはファーウェイの提示額が高すぎたため、同社の潛在的価値を見出せず、この取引を白紙に戻した。この取引はサンダーCEOが中國市場で犯した最も重大な過ちの1つだといわれる。

2007年、モトローラの中國地區(qū)事業(yè)は完全に崩壊し、覇者の地位はサムスンに取って代わられた。2002年にサムスン電子が中國に進出した際も、同じく天津を選んだ。2003年、天津で生産された攜帯電話は5000萬臺で、中國全體の攜帯電話生産量の25%を占め、一時は天津が中國の攜帯電話製造センターの一つとなったようだ。

ノキアは1994年に中國に進出したばかりで、2008年末まで北京市と天津市に工場を設(shè)立した。

エリクソンは1995年に北京を中心に中國に工場を設(shè)立し、最高時には北京の生産拠點で年間4000萬臺の攜帯電話を生産していた。

シーメンスは1993年に上海に攜帯電話の中國生産拠點を設(shè)立した。

30數(shù)年にわたって、家電、パソコン、攜帯電話は、その時代を最も代表する3つの製品であり、中國もこれらいくつかの製品の世界的な生産拠點であり続けてきたが、この3つの製品を生産する大手外資企業(yè)が深センに工場を設(shè)立するのはまれだった。

■世界的大手企業(yè)、「深セン再認識」の風(fēng)潮

改革開放が始まってから多くの外資を引きつけていた深センにとって分岐點となったのは2001年のWTO加盟だった。2001年からの20年間、多國籍企業(yè)の投資は分散的なものだった。

2001年以前には、日本はグローバル500社の企業(yè)28社が深センに投資しており、米國でも27社が投資しており、前述のIT企業(yè)のほか、米國のジョンソン?エンド?ジョンソン、ブリストル?マイヤーズ スクイブ、ワールプール、コダック、ダウなどの企業(yè)が深センの外資重點企業(yè)リストに入っていた。

だが、2001年以降、特に2008年以降、深センで比較的多額の投資を行った多國籍企業(yè)は數(shù)えるほどしかなく、同時期に多くの大手多國籍企業(yè)が長江デルタ地域、さらには中?西部地域で多くの投資を行ったのとは対照的だ。

ただ、2001年以降、多國籍企業(yè)に「無視」されていた深セン地區(qū)で、中國大陸の民営の科學(xué)技術(shù)企業(yè)が躍進し、深セン-東莞-恵州地區(qū)に中國大陸で最も豊かなイノベーション?エコシステムを構(gòu)築したことは注目に値する。2001から2014年までは、多國籍企業(yè)が深センにあまり進出しなかったため、同地域のイノベーション?エコシステムが形成されなかったが、多國籍企業(yè)が擔(dān)う役割を中國系の民間企業(yè)が果たした。

ただ、狀況は変わってきている。イノベーション?エコシステムが形成された深セン-東莞-恵州地區(qū)は、2014年以降、一部のIT多國籍企業(yè)を再び引きつけている。多國籍企業(yè)が注目しているのはこの地方のイノベーション?エコシステムで、20年前のように低コストの製造要素だけに注目しているのではなくなっている。このことは、多國籍企業(yè)が中國を「低廉な労働力の供給地」として見ておらず、「世界の市場」「イノベーションセンター」として見ていることを示している。

「深セン再認識」の風(fēng)潮を最初に巻き起こしたのは、インテルだと『財経』記事は指摘する。2013年にインテルのブライアン?クルザニッチ(Brian Krzanich)CEOが就任すると、深センを立て続けに訪問し、2014年2月に年次情報技術(shù)サミットを深センに移して開催しただけでなく、初のスマートデバイス?イノベーションセンターを深センに設(shè)立すると宣言した。クルザニッチCEOはまた、インテルが1億ドルを投資し、深センに「インテル中國スマートデバイスイノベーション基金」を設(shè)立し、新たな市場機會を開拓すると高らかに宣言した。

インテルの後に続いて、クアルコム、マイクロソフト、アップル、アクセンチュア、ABBは相次いで深センにイノベーションセンターを設(shè)立し、深センのイノベーションセンターがグローバルな連攜とイノベーションに位置づけられることを次々と宣言した。この傾向は今も続いている。

中國日本商會が公表した今年の『中國経済と日本企業(yè)2022年白書』は、ジェトロが行った調(diào)査を引用し、「今後海外て?事業(yè)拡大を図る國?地域で、中國と答えた日本企業(yè)は45.9%(1位は米國で49.0%)で、依然中國は重要な市場と認識している。

ただ「深セン再認識」については現(xiàn)在のところ、日本企業(yè)はその流れに積極的に乗ろうとする動きはないようだ。

■筆者プロフィール:吉田陽介

1976年7月1日生まれ。福井県出身。2001年に福井県立大學(xué)大學(xué)院卒業(yè)後、北京に渡り、中國人民大學(xué)で中國語を一年學(xué)習(xí)。2002年から2006年まで同學(xué)國際関係學(xué)院博士課程で學(xué)ぶ。卒業(yè)後、日本語教師として北京の大學(xué)や語學(xué)學(xué)校で教鞭をとり、2012年から2019年まで中國共産黨の翻訳機関である中央編訳局で黨の指導(dǎo)者の著作などの翻訳に従事する。2019年9月より、フリーライターとして活動。主に中國の政治や社會、中國人の習(xí)慣などについての評論を発表。代表作に「中國の『代行サービス』仰天事情、ゴミ分別?肥満?彼女追っかけまで代行?」、「中國でも『おひとりさま消費』が過熱、若者が“愛”を信じなくなった理由」などがある。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜