中國新聞社 2022年8月31日(水) 22時30分
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仏教は中國にとって外來宗教だ。伝來してから儒教などの立場との摩擦はあったが、対立が激化することはなかった。寫真は仏教が中國社會に融合した象徴と言える南岳衡山。
中國に伝わった仏教には、もともと中國の伝統(tǒng)思想と「折り合いが悪い」面があった。例えば、仏道修行者グループに參加することを「出家」という。家を出てしまうのだ。となれば、中國人が極めて重視する親に対する「孝」はどうなるのか。中國に伝來した仏教は、「一人が出家すれば9世代にさかのぼって功徳が施される」などの理論を強調(diào)した。このような積み重ねがあって、中國では伝統(tǒng)的な儒教や道教と仏教が融合した。
中國における仏教聖地としてはよく「四山五岳」が挙げられる。五岳の一つである湖南省の南岳衡山は、仏教という外來宗教と中國古來の宗教や思想が融合する上で、とりわけ重要な地だったとされる。湖南省仏教協(xié)會船山仏教文化研究センターの劉立夫秘書長はこのほど、中國メディアである中國新聞社の取材に応じて、南岳衡山における仏教の歴史や文化について解説した。以下は劉秘書長の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
■中國で花開いた禪宗の重要拠點になった南岳衡山
中國仏教の五岳は四山とは別の系列だ。五岳は本來、皇帝が封禪を行う地だった。封禪とは、皇帝などの帝王が自らの即位を天と地に報告し、天下が泰平であることを感謝する儀式だ。必然的に、五岳はいずれも皇帝との関係が比較的強い。四山の場合には、どちらかと言えば仏道を自由に修行をする場として設けられた。
南岳衡山は晉代(256-420年)に仏教寺院ができたが、影響力は大きくなかった。南北朝(439-589年)後期になると、天臺宗の三祖である慧思(515-577年)がやって來て、10年をかけて福厳寺、大善寺、蔵経殿などの布教の拠點を築いた。南朝の一つだった陳の宣帝の強力な支持も得て、南岳衡山の仏教、すなわち南岳仏教は急速に発展した。
南岳仏教は隋代(589-618年)から唐代(618-907年)にかけてピークを迎えた。現(xiàn)在でも湖南省及び全國の仏教にとって重要な地だ。中國では多くの宗派が成立したが、南岳は天臺宗、禪宗、浄土宗、律宗の重要な発祥地であり、特に禪宗南派にとっては重要な地だ。
8世紀に活躍した禪の高僧として重要な人物に馬祖道一(709—788年、異説あり)と石頭希遷(700-790年)がいる。馬祖道一の師は南岳衡山の南岳懐譲(677-744年)で、石頭希遷の師は江西にいた青原行思(671-740年)だ。
馬祖道一は後に湖南の南岳衡山を出て江西に行き、江西にいた石頭希遷は湖南に移った。全國各地の禪宗の若い僧侶が、この二人の居場所を往復して法話を求めた。そのため、湖南と江西では禪宗が極めて盛んになった。そのため「江湖禪宗」という言い方も発生した。
中國禪宗の開祖とされるのは、6世紀初頭に中國にやってきたインド人僧の菩提達磨(ボーディダルマ、生沒年不詳)だ。彼は不思議な言葉を殘した?,F(xiàn)代語にすれば「我は慈しみある土であり、法を伝えて迷いを救う。一つの花が五枚の葉を伴う。結(jié)果は自然に成る」といった意味だ。「一つの花が五枚の葉を伴う」とは本來、修行者の五つの心の狀態(tài)や、五つの知恵を指す。しかし偉大な宗教者の言葉は、しばしば予言として理解される。
「一つの花が五枚の葉を伴う」は、まず「一つの花」である菩提達磨が中國に現(xiàn)れて、その後に潙仰宗、臨済宗、曹洞宗、雲(yún)門宗、法眼宗の禪宗の5流派が成立したことと符合すると考えられるようになった。この「一つの花」から「五葉」までの約300年間は、禪宗の「黃金時代」とされている。
この5宗派のうち、潙仰宗と臨済宗は師をたどれば南岳懐譲につながり、殘りの3宗派は青原行思につながる。南岳衡山と縁が深いことにおいては同じだ。
■儒仏道三教の調(diào)和共存の模範、そして中國仏教の対外発信拠點に
南岳衡山は仏教で重要な地位を持つだけでなく、儒仏道三教の調(diào)和共存の模範でもある。南岳は道教にとっては神仙が住み仙人が修行をする「洞天福地」だった。南岳衡山では、仏教と道教が調(diào)和し共存し、共に発展していくことが主たる動きになった。南岳衡山はまた、國の政治とのよい関係の構(gòu)築も重視した。國の運営者の支持を得られなければ、仏法を広めることは難しいと考えたからだった。
そのため、南岳には湖南省で仏教寺院や道観(道教の宗教施設)が集中して保存されているだけでなく、多くの儒家書院も保存されることになった。
南岳衡山に足を運んで南岳大廟を見れば、その機微が分かる。中央に聖帝を祭る大廟があり、東側(cè)には8棟の道観、西側(cè)に8棟の仏教寺院がある。儒?道?仏がここまで融合した施設は、中國でもここだけだ。
建物だけではない。例えば、南岳慧思の「立誓願文」は明らかに道家の神仙信仰を參考にしており、石頭希遷の「參同契」は道家の「參同契」に啓発されている。
南岳仏教は仏教が中國化する上での重要な拠點であったと同時に、中國外への交流伝播の発信地でもあった。最初の事例とされているのは慧思大師だ。慧思大師の弟子の玄光は新羅の出身で、帰國後は弘法に努めた。玄光は海外で天臺宗を広める先駆者になった。朝鮮半島で最初に禪を広めた道義や體澄も、南岳仏教の系譜の僧だ。
日本で最初に禪宗を広めた栄西は、臨済宗黃竜派の虛庵懐敞に師事した。もう一人の大日坊能忍は、臨済宗柳岐派の大慧宗杲的弟子である拙庵徳光に印可を授かった?,F(xiàn)在も、南岳にある南臺寺は曹洞宗の発祥の地とみなされており、韓國と日本の僧侶が毎年參詣に訪れる。
■対立と各種の危機が渦巻く現(xiàn)代社會とって、仏教の考え方は有益
現(xiàn)在の國際情勢についても、異質(zhì)な文化の交流と相互參考を?qū)g現(xiàn)した「仏教の中國化」は、人類運命共同體にとって豊富な事例と有益な參考を提供することができる。まず、仏教は東アジア、東南アジア文化圏の文化的同心円であり、仏教は幅広い文化的影響力を持っている。従って、「海のシルクロード」の発展により多くの文化的支持を提供することができる。
また、仏教はすべての極端かつ邪悪な執(zhí)著を離れた「中道」思想を提唱する。そして、全てが平等とみなす思想もある。米國人學者のハンチントンは「文明の衝突」という書物を著した。しかし、異なる文明は必ず衝突するとの考えは打破せねばならない。仏教思想から衝突回避の知恵を得ることは可能なはずだ。
さらに、現(xiàn)在の世界が直面するさまざまな危機は、根源をたどれば人が欲望を過度に膨らませた結(jié)果と考えることができる。仏教が提唱する慈悲、平等、友好、節(jié)制などの理念は、人々の発想を是正する上でも有効だ。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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