日本の「知中派」と中國の「知日派」、その違いはあまりにも大きい―華字紙

Record China    2014年6月21日(土) 1時56分

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20日、華字紙?中文導(dǎo)報はこのほど、「日本の『知中派』と中國の『知日派』の差」と題した記事を掲載した。資料寫真。

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2014年6月20日、華字紙?中文導(dǎo)報(電子版)はこのほど、中國社會科學(xué)院米國研究所の資中●(ズー?ジョンユン、●は竹かんむりに均)前所長の「日本の『知中派』と中國の『知日派』の差」と題した記事を掲載した。以下はその概要。

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湖南省の山奧の地下に無煙炭鉱があった。交通の便が悪いことから、大規(guī)模に開発されることもなく、村人だけが利用していたため、當(dāng)時この炭鉱の存在を知っている中國人は非常に少なかった。だが、私の父が日本に留學(xué)した際に、図書館にあった書籍にこの炭鉱に関する記述があるのを発見した。それは日本の同文書院が中國各省で実施した調(diào)査報告書だった。

父が日本に留學(xué)したのは1917年であることから、同文書院の調(diào)査はそれ以前に行われたことになる。偵察衛(wèi)星もない時代に、一體どうやって無煙炭鉱の存在を知ったのか。日本の中國研究はいつの時代も一貫して奧深い。だが、中國の日本研究は淺く表面的なものばかりだ。その理由として、日本を研究する「知日派」に「親日派」のレッテルを張り、非難する中國の國民性が挙げられる。また、日本を単に西洋文化を?qū)Wぶための窓口としか考えていなかったことや、政治的に実用性のない學(xué)術(shù)分野を軽視する國內(nèi)の風(fēng)潮も、日本研究が発展しなかった理由として考えられる。

中國人は中國と全く異なる西洋文化は研究するが、中國文化を源流に持つ日本文化は研究しようとしない。日本人は中國文化を継承していることを否定しないが、その文化は獨(dú)自の発展を遂げてまったくの別物になっている。日本は中國文化の影響を受けながらも、西洋文化の良いところを積極的に取り入れてきた。重要なことは自分たちでどれだけ新しいものを創(chuàng)造できるかだ。日本人の素晴らしいところは懐が深く、他者から積極的に學(xué)ぼうとする點(diǎn)であり、中國人はこれを大いに見習(xí)うべきだ。(翻訳?編集/本郷)

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