內(nèi)モンゴルに実在した「ザナドゥ」、今も自然豊かな桃源郷―専門家が解説

中國(guó)新聞社    2022年9月7日(水) 21時(shí)30分

拡大

英語(yǔ)の「ザナドゥ(Xanadu)」は、桃源郷を意味する言葉の一つだ。その由來は元朝の夏の都だった「上都(シャンドゥー)」だ。上都遺跡(寫真)は保存狀態(tài)も周囲の自然環(huán)境も極めて良好だ。

あなたは「ザナドゥ(Xanadu)」という言葉を耳にしたことがあるだろうか。英文學(xué)に詳しい方なら、「コールリッジの作品に出て來る桃源郷の名ね」とおっしゃるかもしれない。往年の洋畫やポップスに詳しい方ならば、オリビア?ニュートン?ジョンが主演して主題歌も歌った映畫作品としてご存じかもしれない。マイクロソフトを創(chuàng)業(yè)したビル?ゲイツの豪邸の名は「ザナドゥ2.0」だ。

この「ザナドゥ」の名には由來がある。元朝(1279-1368年)のフビライ?ハーンが建設(shè)した夏の都の「上都(シャンドゥー)」だ。イタリア人商人のマルコ?ポーロの口述に基づくとされる「東方見聞録」で取り上げられたことから、西洋人は「ザナドゥ」を知ったとされる?!干隙肌工芜z跡は內(nèi)モンゴル自治區(qū)シリンゴル盟(「盟」は內(nèi)モンゴル獨(dú)特の行政區(qū)畫)にあり、2012年6月にはユネスコ世界遺産に登録された。登録のための作業(yè)にも攜わった同自治區(qū)文物局元副局長(zhǎng)の王大方氏はこのほど、中國(guó)メディアの中國(guó)新聞社の取材に応じて、上都遺跡の持つ意義や保護(hù)について説明した。以下は王氏の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。

■モンゴル民族は自然を重視し、自らの習(xí)慣と中華の伝統(tǒng)文化を両立させた

上都は中國(guó)の元の時(shí)代に建てられた最初の都だった。東ヨーロッパにまで拡大したモンゴル勢(shì)力は、政権としては分裂していたが、東西の交通は極めて良好に保たれており、元は各地のモンゴル政権の「宗家」と見なされていた。したがって、上都は當(dāng)時(shí)の世界で極めて重要な役割を持ち、中國(guó)と世界のつながりを大きく推進(jìn)した。上都は世界文明のプロセスに影響を與え、変化をもたらした多くの重大な歴史的事件や人類文明の成果と密接に関連している。

また、上都遺跡がある場(chǎng)所は、最も典型的なモンゴル草原の一つともされている。すなわち自然環(huán)境も極めて良好だ。私は、自然環(huán)境や景観、人類の歴史と文化における際立った意義が、上都遺跡が世界遺産として認(rèn)められた主たる理由と考えている。

モンゴル語(yǔ)では上都を「ジョーナイマン?スム(108の寺院)」とも呼んでいる。周囲は金蓮川草原と呼ばれ、水と草が豊富だ。モンゴル民族の人々は多くの家畜を伴って移動(dòng)する関係で、昔から水と草が豊富な場(chǎng)所を重視した。

フビライが後に上都となる土地での新都市の建設(shè)を命じたのは1256年で、完成は1259年だった。當(dāng)初の都市名は開平城だった。モンゴルでは、地上最高位の支配者が「イフ?ハーン」すなわち「大ハーン」と呼ばれる。中國(guó)語(yǔ)の「大皇帝」と同様の概念だ。當(dāng)時(shí)の大ハーンはフビライの兄のモンケだった。しかしモンケは1259年に急死した。フビライは開平府でクリルタイを開催して大ハーンに推挙された。クリルタイとは有力者による會(huì)議で、モンゴルには有力者の合意を得てはじめて大ハーンに即位できる習(xí)慣があった。

フビライは中國(guó)を統(tǒng)治するにあたって中華の伝統(tǒng)文化を尊重した。まず「中統(tǒng)」という元號(hào)を定めた?;实郅卧t勅の立案や起草を行う重要な中央官庁の「中書省」を設(shè)立したが、やはりそれまでの中華の伝統(tǒng)にのっとったものだった。開平城は全領(lǐng)土を統(tǒng)治する中心になったので、開平府と呼ぶことにした。さらに1263年には、開平府を上都に改稱し、新たに建設(shè)した大都と合わせて全國(guó)の「ダブル首都」にした。上都よりも南にある大都は、現(xiàn)在の北京に直接つながっていく。

二つの國(guó)都を持つのは、元の獨(dú)特な制度だ。歴代大ハーンは春から秋までのほぼ半年には上都で政務(wù)をこなし、寒い季節(jié)は大都で執(zhí)務(wù)した。北には夏の宿営地、南には冬の宿営地を設(shè)けて、春と秋に移動(dòng)をするのはモンゴル遊牧民の伝統(tǒng)的な生活様式だった。

■かつては草原のシルクロードの中樞の地、観光客が絶賛する豊かな自然

草原地帯に作られた都の遺跡は上都以外にも存在するが、上都遺跡は保存狀態(tài)が最もよい。つまり往時(shí)の狀況を最もよく感じることができる。

上都はさらに、草原のシルクロードの重要な中樞だった。中國(guó)は世界と活発に交流したが、上都は中國(guó)への入口でもあった。また、上都の都市計(jì)畫では人と草原、人と動(dòng)物、人と水の調(diào)和が原則だった。上都遺跡の周囲の森林や、草原、河川、濕地は現(xiàn)在も良好な狀態(tài)だ。

世界遺産に登録されてから、上都遺跡を訪れる観光客は増えた。2018年には、毎年50萬(wàn)人以上が訪れた。特に夏には草が青々と茂り、青い空と白い雲(yún)の対比も見事だ。寫真を見ても、多くの観光客が上都遺跡の風(fēng)景を絶賛していることが分かる。

また、上都の周囲ではここ數(shù)年、以前にも増してノロジカ、キツネ、キジ、ハクチョウなどの野生動(dòng)物を多く見るようになった。このことは、環(huán)境がさらに改善されていることを示している。現(xiàn)地の野生動(dòng)物はまるで、上都遺跡が好きで寄ってくる「ファン」のように見える。

中國(guó)中央政府で文化財(cái)を所管する國(guó)家文物局は2020年11月に、「全國(guó)世界遺産管理會(huì)議」を開催した。同會(huì)議で発表された「中國(guó)世界文化遺産2019年度総報(bào)告」で、元上都遺跡は雲(yún)崗、西湖、さらには紀(jì)元前3500年から紀(jì)元前2200ごろまで続いた長(zhǎng)江文明の遺跡である良渚遺跡など、中國(guó)で最も有名な世界文化遺産と並んで「五つ星」の最高格付けを獲得した。われわれは、上都遺跡保護(hù)管理従事者の心血と獻(xiàn)身の結(jié)晶と考えている。

上都遺跡の保護(hù)管理活動(dòng)は2021年から2022年にかけて、オンラインサービスを?qū)g施するなどで、新型コロナウイルス感染癥による打撃を克服した。上都遺跡の保護(hù)と管理、広報(bào)、展示活動(dòng)はこれからの10年に、さらに大きな成果を収められるはずだ。(構(gòu)成 / 如月隼人






※記事中の中國(guó)をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜