凌星光 2022年9月8日(木) 8時(shí)0分
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ゴルバチョフが91歳で亡くなったが、彼に対する評価が大きく二つに分かれている。
凌星光(福井県立大學(xué)名譽(yù)教授)
ゴルバチョフが91歳で亡くなったが、彼に対する評価が大きく二つに分かれている。ロシアと中國では否定的、西側(cè)諸國では肯定的である。筆者はここに、トウ小平および歴代中國指導(dǎo)部の冷徹かつ理性的な対応を振り返ってみたい。當(dāng)面の國際情勢を分析する上で有益と思うからである。
1991年12月、ソ連が崩壊した。その時(shí)、トウ小平が発した有名な16字方針がある?!咐潇o観察、沈著対応、韜光養(yǎng)晦、決不當(dāng)頭」(冷靜に観察し、沈著に対応、爪を隠して力を蓄え、決して先頭に立たない)。何と的を射た名言であるか、當(dāng)時(shí)の國際情勢を顧みながら解説してみよう。
1.中國の改革開放政策成功へのソ連の危機(jī)感(1980年代)
ゴルバチョフがペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報(bào)公開)に乗り出したのは、もちろんソ連內(nèi)部の経済停滯および閉塞感によるものだが、80年代に展開された中國の改革開放政策の成功が大きく影響している。ひそかに調(diào)査員を深センに派遣したとも言われる。また極東地域の科學(xué)アカデミーが調(diào)査報(bào)告をモスクワに提出し中國の発展ぶりを稱えたようだ。米國や日本は対ソ連戦略という角度から、中國の改革開放政策を大歓迎し、経済ばかりでなく軍事的にも中國に協(xié)力的であった。米中連攜による対ソ圧力強(qiáng)化に、ソ連は大きな危機(jī)感を抱き、ゴルバチョフは全面的デタント、すなわち対米対中関係の改善に乗り出したのである。
中國は當(dāng)初、ソ連の変化、ゴルバチョフのペレストロイカを好意的に見ていたが、ベルリンの壁崩壊、東歐の離脫には警戒心を抱いていたものの、まさかソ連崩壊につながるとは夢にも思っていなかった。ソ連の崩壊は社會(huì)主義の崩壊であり、共産黨の崩壊でもある。社會(huì)主義を堅(jiān)持する中國共産黨は大きなショックを受け、アジア社會(huì)主義國への影響を懸念する。この肝心な時(shí)期に臨んで、トウ小平は16字方針を提示し、中國獨(dú)自の基本的姿勢を固め、國際情勢のその後の変化に柔軟に対応することができたのである。
2.中ロ関係改善と良好な中米関係の維持(1990、2000年代)
中國はソ連崩壊の原因を徹底的に究明し、國內(nèi)統(tǒng)治の強(qiáng)化策を講じた。それは、いかに人民の意見を吸収し、大衆(zhòng)から遊離しないこと、および西側(cè)諸國による「和平演変」(平和的に変質(zhì)させる)を防ぐかの両面がある。他方、中ロ関係の改善に努めた。ロシアのエリツィン大統(tǒng)領(lǐng)は歐米寄りで、市場経済を一気に取り入れるショック療法を?qū)g行して失敗した。が、彼は同時(shí)に、ゴルバチョフの切り開いた中國との関係改善を継承した。中ロ間の領(lǐng)土問題が解決され、上海協(xié)力機(jī)構(gòu)が発足した。プーチン大統(tǒng)領(lǐng)も當(dāng)初はヨーロッパを重視し、その仲間入りを試みたが拒絶され、結(jié)局、ますます中國寄りとなっていった。
他方、米國は常に仮想敵國を必要としており、ソ連が崩壊した後は必然的に中國がそれに代わった。米國の対中姿勢は徐々に強(qiáng)硬となり、米中間のもめ事は絶えなかった。しかし、中國はトウ小平の16字方針に従って、辛抱強(qiáng)く柔軟に対応し、江沢民、胡錦濤時(shí)代の20年間は総じて良好な米中関係が維持された。中國は中米、中ロ、中歐、中日など全方位の良好関係の下、経済は大きな発展を見、世界第二の経済大國となった。軍事および科學(xué)技術(shù)の面でも大きな発展を遂げた。ハードの実力は2008年のリーマンブラザーズの危機(jī)の時(shí)に十分示され、腳光を浴びた。
3.米中対立と中ロ準(zhǔn)同盟関係(2010年代)
米國では前世紀(jì)末から、中國は米國を追い越す、米國の覇権が危ういという意見が出始めていた。それが2010年代において徐々に勢力を得て、世論の主流を占めるようになった?!钢袊讎俗筏い膜挨艘证ㄞzめ、殘された時(shí)間は余りない!」という危機(jī)感がアメリカ社會(huì)を覆うようになった。それは17年にトランプ政権が発足して露骨に現(xiàn)れるようになった。その背景には、習(xí)近平政権が不正腐敗退治に成功し、米國の在中國情報(bào)源が打撃を受けたこともある。中國の「和平演変」は不可能、関與政策による中國政治の変質(zhì)は不可能と認(rèn)識するに至る。そして、三つの米中共同コミュニケを無視した対中挑発が仕掛けられるようになった。
バイデン政権はトランプの対中強(qiáng)硬策を継承し、さらに同盟國と共に対中圧力、「対中抑止力」を強(qiáng)化する政策をとる。中國を唯一の戦略的競爭ライバルと位置づけ、ロシアとも連攜して中國を孤立させようとした。が、ロシアのウクライナ進(jìn)攻でその思惑は破綻した。今や米國は歐州とアジアの二正面作戦を迫られている。米國の國力は相対的に低下し、今や単獨(dú)では中國を抑え込むことができず、日歐印を仲間にして抑え込もうとする。しかし、アメリカ國內(nèi)の分?jǐn)啶蓼工蓼惯M(jìn)み、歐州連合(EU)もまた分?jǐn)啶M(jìn)んでいる。それに対し、中國の習(xí)近平體制はますます強(qiáng)固になっており、諸分野の発展ぶりは目を見張るものがある。ロシアは難局を突破しようとして中國にすり寄る。ウクライナ戦爭はつまるところ米ロ戦爭であり、解決のカギを握るのは中國であるという見方が少なくない。
4.米國の覇権放棄とウクライナ戦爭の終結(jié)(2020年代?)
アメリカは覇権を維持しようとし、中國は覇権なき「人類運(yùn)命共同體」の構(gòu)築を目指している。ロシアのラブロフ外相とプーチン大統(tǒng)領(lǐng)はウクライナに対する特殊軍事作戦は米國の覇権主義打破のためと言っており、中國の人類運(yùn)命共同體論に賛同している。米國は覇権維持困難を自覚しており、オバマの時(shí)から「世界の憲兵にはならない」と言明した。しかし、覇権放棄はし難く、民主主義vs権威主義という対立軸を提示して、中國とロシアを悪魔化し、米國の覇権力を維持しようとしている?,F(xiàn)在、日歐がそれに乗ったような形になっているが、たぶん長続きはしないであろう。中國の社會(huì)主義民主政治が効果的に機(jī)能しており、その真実がますます知れ渡るようになるからである。
習(xí)近平體制は第20回黨大會(huì)を今年10月に終えた後、米歐日先進(jìn)國に平和攻勢を展開する可能性が高い。今、西側(cè)諸國において、中國がアメリカに代わって覇権を握ろうとしているという見方が支配的である。中國は自らの言動(dòng)によってその是正に努めるであろう。時(shí)間はかかるであろうが、米國が覇権を放棄する方向に進(jìn)まざるを得なくなる可能性が十分にある。アメリカ國民は生活改善を望んでおり、國民を犠牲にする覇権維持には興味がないからだ。その暁には、國連を中心とした有力國によって、ロシアとウクライナの両方が受け入れられる和平案が提示される環(huán)境が整ってくる。
結(jié)び
理想主義者ゴルバチョフは、歐米にすり寄れば歓迎され、ロシアの窮地を救えると考えた。それが片思いに過ぎないことが分からなかった。ワルシャワ條約を解消したが、北大西洋條約機(jī)構(gòu)(NATO)は解消せず、東方拡大を進(jìn)めた。ソ連、ロシアは完全にだまされたのである。ゴルバチョフは政治家としては大失敗者となった。ウクライナ戦爭はその付けが回ってきたものとも言える。この全てを見抜いていて、冷靜に対応してきた、そして対応しているのが中國だ。ロシアのグルジア侵攻、クリミヤ併合、ウクライナ進(jìn)攻を認(rèn)めてはいない。が、ロシアがNATOの東方拡大に危機(jī)感を抱くことには理解を示す。中國のこのような姿勢は、ロシアからもウクライナからも評価され、仲裁への期待が寄せられる。問題は米國とロシアの態(tài)度である。米國が自らの限界を悟り、決心した時(shí)が、中國の出番となるであろう。ゴルバチョフの実現(xiàn)できなかった理想は、中國によって実現(xiàn)されたと、後世の歴史家が書き殘すかもしれない。
2022年9月1日
■筆者プロフィール:凌星光
1933年生まれ、福井県立大學(xué)名譽(yù)教授。1952年一橋大學(xué)経済學(xué)部、1953年上海財(cái)経學(xué)院(現(xiàn)大學(xué))國民経済計(jì)畫學(xué)部、1971年河北大學(xué)外國語學(xué)部教師、1978年中國社會(huì)科學(xué)院世界経済政治研究所、1990年金沢大學(xué)経済學(xué)部、1992年福井県立大學(xué)経済學(xué)部教授などを歴任。
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