中國(guó)新聞社 2022年10月24日(月) 21時(shí)30分
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中國(guó)では「わが國(guó)の考古學(xué)研究は約20年前から、特に10年前から黃金期に入った」と言われている。寫(xiě)真は北京市內(nèi)の中國(guó)國(guó)家博物館に展示されている出土品の數(shù)々。
中國(guó)では「わが國(guó)の考古學(xué)研究は約20年前から、特に10年前から黃金期に入った」と言われている。たしかに新発見(jiàn)が相次いでいる。そして、最も強(qiáng)い関心が持たれているのは「中華文明はいつごろいかにして形成されたか」だ。2004年から18年にかけては「中華文明起原探査プロジェクト」が実施された。もちろん研究は現(xiàn)在も継続中だ。中國(guó)考古學(xué)界の王巍理事長(zhǎng)はこのほど、中國(guó)メディアである中國(guó)新聞社の取材に応じて、中國(guó)における最近の考古學(xué)の動(dòng)きを紹介した。以下は王理事長(zhǎng)の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
■文明の誕生とは何か、解明のために自國(guó)についての知識(shí)だけでは足りない
中國(guó)考古學(xué)に「黃金期」をもたらした大きな要因としては、大勢(shì)の研究者が手を攜えて努力した「集団の力」と、先端的な科學(xué)技術(shù)が広範(fàn)に利用されるようになったことがある。さらにもう1點(diǎn)、中國(guó)の國(guó)內(nèi)だけでなく、他の文明にもより注目せねばならないとの認(rèn)識(shí)が普及したことも重要だ。そのためには、もっと他の文明を知らねばならない。過(guò)去10年の間に、中國(guó)から延べ30のチームが20カ國(guó)以上に足を運(yùn)んで考古學(xué)調(diào)査を?qū)g施した。このことは中國(guó)考古學(xué)界の視野を広めると同時(shí)に、國(guó)際的な學(xué)界において、中國(guó)考古學(xué)界への評(píng)価が高まる効果をももたらした。
もちろん、あらゆる問(wèn)題が順調(diào)に解き明かされているわけではない。例えば「中華文明はいつ始まったか」という重要な問(wèn)題だ。これまでは、「中華5000年の歴史」などとよく言った。しかし、河南省にある今から約8000年前の舞陽(yáng)賈湖遺跡では、當(dāng)時(shí)の人々が稲作や豚の飼育、酒の醸造、トルコ石を使った石器づくりをしていたことが分かった。
楽曲を奏でることができる、七つの指穴を持つ骨笛も見(jiàn)つかった。また、何らかの意味を込めたと考えられる線刻がある亀の甲も見(jiàn)つかった。舞陽(yáng)賈湖遺跡だけでなく、內(nèi)モンゴル自治區(qū)東部から遼寧省にかけても、紅山文化と呼ばれる、5000年よりも古い時(shí)期の遺跡のあることが分かっている。これらの遺跡や出土品を証拠として、社會(huì)の階層分化が出現(xiàn)していたと考えられるようになった。
そのため、一部の研究者から、中華文明の起原は8000年前にさかのぼれるのではないかとの聲が出た。このような問(wèn)題は、過(guò)去の事実についての情報(bào)を増やしただけでは解決できない場(chǎng)合がある。過(guò)去の事実をどのように理解するか、つまり見(jiàn)解あるいは認(rèn)識(shí)の問(wèn)題が伴う。
私は、こう考える。まず、今から5000年前に中華文明が出現(xiàn)していたことに間違いはない。しかし5000年前に突然に、一つの文明が発生したとは考えられない。今から8000年程度前には、その文明の萌芽が出現(xiàn)し、6000年前ごろには発展が加速し、5000年前にはしっかりとした文明が形成されていた。そう考えるのが自然だと思う。
そう考えれば、今から8000年よりさらに前、例えば1萬(wàn)年以上前に、文明のより初期の萌芽が出現(xiàn)していたのではないかと研究することに、さらに意義が出て來(lái)る。
■新発見(jiàn)も多いが「大きな謎」はまだ多い、特に解明が望まれることとは
中國(guó)考古學(xué)のもう一つの大きな問(wèn)題は夏王朝だ。長(zhǎng)期にわたって夏王朝は、歴史書(shū)には記述があるが、存在した証拠はないとされていた。しかし、実在した確かな証拠が存在する商(殷)王朝より前に文明が存在したことも確かだ。それらの文明と夏王朝はどのように関係があるのか。
漢字の起原についても謎は多い。漢字の起原は、亀の甲や獣の骨に刻まれた甲骨文とされてきた。今から3000年前の甲骨文も見(jiàn)つかっている。8000年前の舞陽(yáng)賈湖遺跡では何らかの符號(hào)と思われる線刻のある亀の甲が見(jiàn)つかった。しかしこの線刻を、漢字のさらに古い祖先と単純に考えてよいのか。なにしろ、5000年もの時(shí)の隔たりがあるのだ。
また、紅山文化では、都市と呼ばれる人の居住地や宮殿など、文明の形成において「決定的」と言える証拠に欠けている。このような問(wèn)題を解決するために、われわれはさらに努力せねばならない。
どのような方向で努力せねばならないのか。まずは、研究の範(fàn)囲を広げることだ。従來(lái)は文明の起原についての研究の範(fàn)囲は主に今から5500年前から3500年前だった。この研究範(fàn)囲を、今から8000年以上前にまで広げねばならない。また、文明の発生期の最終局面について、従來(lái)は今から3500年前程度までの研究だったが、これを2800年前まで、つまり西周の末期にまで拡大すべきだ。なぜなら、中國(guó)文明の大きな特徴である禮制は西周末期までの年月を経て基本的に完成形になったと考えられるべきだからだ。
■考古學(xué)の役目は古い伝説の「実証」ではなく「検証」だ
もう一つは、考古學(xué)分野への人文社會(huì)科學(xué)の參畫(huà)を大幅に強(qiáng)化せねばならない??脊艑W(xué)分野では、科學(xué)技術(shù)との結(jié)合が先行して進(jìn)んだが、文明の特質(zhì)や文明の進(jìn)路を考える上では、人文社會(huì)科學(xué)の力が是非とも必要だ。さらに世界の各文明との比較研究も強(qiáng)化せねばならない。他者との比較をしっかりとしないと、我々自身の文明の特質(zhì)を正確かつ包括的に認(rèn)識(shí)することは難しい。
中國(guó)には極めて古い時(shí)代についての伝説を扱った古い歴史書(shū)がある。例えば三皇五帝、さらに舜禹の伝説などの記載がある。そのため、古い帝王の故郷を確定しようといった、通俗的な動(dòng)きも存在する。
私は初期の文明の解明はあくまでも、考古學(xué)上の成果を出発點(diǎn)にすべきと考える。まずは科學(xué)的な根拠をしっかりとさせることが必要だ。しかし一方で、古い伝説や民話も重要な參考になる。例えば山西省襄汾市の陶寺遺跡では、4300年から4100年前に王権が存在した証拠が次々と現(xiàn)れており、季節(jié)を観測(cè)する観象臺(tái)まで存在したことが分かった。これらは「尚書(shū)?尭典」の記述とよく一致している。
また山西省運(yùn)城市夏県師村遺跡では、6000年以上前の陶製の蠶のさなぎなどが発見(jiàn)された?,F(xiàn)地には、黃帝の妻で養(yǎng)蠶の技法を発明したとされる嫘祖(れいそ)の伝説が多く存在する。養(yǎng)蠶を行っていた証拠と伝説を結(jié)び付けるだけで嫘祖という人物の実在を決定することはできないが、今に殘る伝説が何らかの重要な手がかりになる可能性はある。
だから、極めて古い時(shí)代の伝説的物語(yǔ)が存在するだけで「歴史上の事実」とは言えないが、伝説的物語(yǔ)には全く根拠がないと決めつけることもできない。われわれの責(zé)務(wù)は、考古學(xué)調(diào)査によって検証することだ。われわれの仕事は、古い伝説が真実だったと「実証」することではない。考古學(xué)の手法を用いて、古い時(shí)代を扱う伝説を「検証」することだ。この作業(yè)を進(jìn)めることで、古い伝説が含む歴史の要素を分析して抽出することも可能になる。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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