<香港中心部占拠事件>ちらつく臺灣「ひまわり運動」の影―「中國人は大陸に帰れ」「香港政府は恥を知れ」

Record China    2014年7月3日(木) 18時40分

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香港の中國返還17周年記念日の7月1日、中國政府に民主化を要求する大規(guī)模なデモが行われ、主催者発表で51萬人(警察発表では9萬8600人)が參加した。寫真は香港のデモ風(fēng)景。2枚目は6?4記念館。

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香港の中國返還17周年記念日の7月1日、中國政府に民主化を要求する大規(guī)模なデモが行われ、主催者発表で51萬人(警察発表では9萬8600人)が參加した。その後、學(xué)生ら數(shù)百人がデモ行進の最終地點であるビジネス街の中環(huán)(セントラル)地區(qū)で座り込みを行ったが、2日未明には警官隊によって排除された。

その他の寫真

香港では6月下旬の10日間、香港政府の次期トップを選ぶ2017年の行政長官選をめぐり、直接投票による普通選挙制度の導(dǎo)入を求める香港の民主派による民間の市民投票が市內(nèi)15カ所の投票所で行われ、インターネットを通じた電子投票も含めて、約80萬人が投票した。香港の人口は約700萬人なので、1割以上の市民が投票したことになる。さらに、今回のデモに多くの市民が參加したこともあり、完全民主化への支持が高まっている。

中國政府は、親中派候補以外は事実上、立候補できない制度で香港の民主派を押さえ込む意向だが、香港では現(xiàn)在、『セントラル地區(qū)占拠運動』という民主派団體が1萬人程度の活動家によって、香港政府や金融機関などが集中する香港中心部の官庁?ビジネス街で座り込みを行うという運動を計畫。香港の都市機能を麻痺させることで、香港民衆(zhòng)は完全で民主的な自由選挙システム導(dǎo)入を望んでいることを明確に示し、北京の中央政府に圧力をかけ、香港の民主化を?qū)g現(xiàn)しようというのだ。7月1日の夜の學(xué)生らによる座り込みはその予行演習(xí)で、民主派は年內(nèi)にも大規(guī)模なセントラル地區(qū)占拠を?qū)g施する構(gòu)えだ。

▼立法會に市民が突入

このようななか、香港では6月6日夕、セントラル地區(qū)占拠を思わせる事件が発生した。同日午後5時半ごろ、香港中心部セントラル地區(qū)にある立法會(國會に相當(dāng))に50人の市民が突入し、地下1階の議場前で座り込みを開始したのだ。支援の市民らも加わり座り込み參加者は100人以上になった。

「香港政府は恥を知れ!」「中國人は香港から出て行け!大陸に帰れ!」などとの怒號が飛び交うなか、警官隊が出動し警棒でデモ參加者を毆打する。デモ隊側(cè)も必死の抵抗を試み、両者が激突し多數(shù)の負(fù)傷者が病院に運ばれる流血の事態(tài)になった。

香港滯在中だった筆者はテレビニュースで事件を知り、すぐに現(xiàn)場に駆けつけた。筆者のように、ニュースで事件を知った300人あまりの市民らが立法會周辺に集まり、警官隊とにらみ合った。救急車のサイレンの音がけたたましく鳴り響くなか、多くの野次馬も押し寄せるなど、異様な雰囲気が辺りを包んだ。一時は「一觸即発の事態(tài)は不可避」と思われたが、結(jié)局、デモ隊側(cè)が7日未明、自主的に撤退を決め、さらなる流血の事態(tài)は繰り返されなかった。

▼なぜ「立法會占拠」を試みたのか

このデモ隊は主に香港東北部?新界地區(qū)における香港?中國大陸間の高速鉄道建設(shè)予定地の住民らだ。この日、立法會では高速鉄道の建設(shè)予算に関する委員會が開かれており、鉄道建設(shè)が決まれば、彼らは農(nóng)地を手放さなければならなくなる。折から、臺灣では3月から4月にかけて、學(xué)生らが立法院(國會に相當(dāng))の議場を占拠するという「ひまわり學(xué)生運動」が大成功を収めたことから、彼らも香港での議會占拠を試みたのだ。

ただ、臺灣で成功したからといって、香港の農(nóng)民が「立法會占拠」という、まかり間違えば逮捕されてしまう“犯罪行為”を思いつき、それを安直に実行に移してしまうというのは、どう考えても現(xiàn)実性を欠く。

香港の親中左派勢力である「民主建設(shè)協(xié)進聯(lián)盟」の立法議員(國會議員に相當(dāng))は匿名を條件に、「彼らのバックには臺灣のひまわり運動関係者と交流がある民主派勢力がついている。今回の騒動は來月1日の香港返還17周年記念日に予定されている『セントラル地區(qū)占拠運動』の予行演習(xí)と言ってもよいだろう」と指摘する。

◆筆者プロフィール:相馬勝

1956年、青森県生まれ。東京外國語大學(xué)中國學(xué)科卒業(yè)。産経新聞外信部記者、次長、香港支局長、米ジョージワシントン大學(xué)東アジア研究所でフルブライト研究員、米ハーバード大學(xué)でニーマン特別ジャーナリズム研究員を経て、2010年6月末で産経新聞社を退社し現(xiàn)在ジャーナリスト。

著書に「中國共産黨に消された人々」(小學(xué)館刊=小學(xué)館ノンフィクション大賞優(yōu)秀賞受賞作品)、「中國軍300萬人次の戦爭」(講談社)、「ハーバード大學(xué)で日本はこう教えられている」(新潮社刊)など多數(shù)。

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