中國人にとって「家」とは何なのか―専門家「日本のたどった道にも類似」と紹介

中國新聞社    2022年12月24日(土) 16時0分

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中國人は古來、「家」を格別に重視した。この伝統(tǒng)的な家の概念は、なぜ成立したのだろう。そして、現(xiàn)代人は、伝統(tǒng)的な家の概念をどのように理解すべきなのだろうか。

中國人は古くから「家」を格別に重視した。この伝統(tǒng)的な概念は、なぜ成立したのだろう。そして現(xiàn)代人は、伝統(tǒng)的な家の概念をどのように理解すべきなのだろうか。長春師範大學外國語學院の綦天柱教授は中國と西洋の文化文明の相互伝播などを研究してきた。綦教授はこのほど、中國メディアの中國新聞社を通じて、中國人にとっての「家」の問題を説明する文章を発表した。綦教授は一部で、日本における狀況との比較にも言及した。以下は、綦教授の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。

■中國において「家」は社會を安定させる役割りも果たした

「家」という漢字は、「家庭の場」と「家族」の二つの意味を含む。中國の伝統(tǒng)文化の中で、「家」は個人の出発點であり帰結(jié)點であり、伝統(tǒng)文化の根幹だ。

「伝統(tǒng)の家」は先祖崇拝に根ざしている。道家は「子孫、以(もっ)て祭祀して輟(や)まず」、すなわち「このようにすれば、子孫が(祖先を)祭ることは途絶えない」と主張した。儒家は「鬼神を敬してこれを遠ざく」と言った?!干瘛工洹柑臁工细撙恢盲扭堡郡?、意味も扱いも曖昧にした。そして同時に「人」と「人」との関係を強調(diào)した。中國人の自然や神についての想像は、先祖崇拝に変換された。

先祖崇拝には、祭祀、墓參りなどの固定された儀禮を通じて、生者には先人が必ず存在し、子孫の盡きることがないことを再認識させる側(cè)面がある。そのことによって、死に対する恐怖を減らし、克服することができた。同時に死者あるいは死に対する畏敬は、宗教心を駆動する原動力になった。

外來宗教である仏教は、徹底的に中國化して融合を図った。明清時代に伝わったキリスト教も、中國の祖先崇拝の體系を揺るがすことはできず、まして中國の「伝統(tǒng)の家」を揺るがすことはできなかった。

この先祖崇拝を源泉として、中國人の「家」の概念が形成された。為政者の側(cè)から見れば、家の制度は官僚集団を最小限に保つ効果をもたらし、さらには中國社會の「超安定構(gòu)造」を?qū)g現(xiàn)した。庶民の側(cè)から見ると、家の制度は生存のためのコストを最小化し、対外的には力を合わせることで大きなことを成し遂げることができた。家族や一族內(nèi)部の助け合いは、「金融部門」や「慈善機関」などの役割も果たした。今でも中國南部の一定の地域では、商売人が宗家から多額の資金を調(diào)達することが容易だ。

中國の「家」には、一族內(nèi)部の競爭を促進する効果もあった。三國時代(220-280年)の袁氏一族からは、勢力を持つ人物を輩出したが、最後に頭角を現(xiàn)したのは二人だけだった。そして、庶出の袁紹が嫡出の袁術(shù)を完全に圧倒した。袁紹を倒して中國北部を統(tǒng)一した曹操も庶子の長男だった。

もっとも、唐や宋になると科挙制度が確立された関係で、一族內(nèi)での競爭はそれ以前ほどには重要でなくなった。さらに法律により、嫡子であれば親の遺産を均等に相続できるようになった。中國では一族內(nèi)での格差は解消される方向に向かった。これに対し、中世の歐州では爵位も財産も「長男の総取り」だった。殘りの子は別の道を求めなければならないなどで、不公平さが際立っていた。

■伝統(tǒng)的な「家」の在り方を全否定すると弊害がもたらされる

家長が強い権限を持つ中國の家の制度は、生活環(huán)境に根差すものでもあった。中國では耕作可能地が非常に限られていた。農(nóng)民は通常でも半年分の食糧を確保できただけだった。中國ではまた、自然災害が多かった。水害、干ばつ、蝗害、疫病、地震、霜害など各種の災害が多発した。過去3000年の平均では、災害は6カ月に1回発生したとの研究もある。

このように厳しい狀況にあって、意思決定を誤れば、生存の危機に瀕(ひん)する恐れがあった。そのため、「伝統(tǒng)の家」の中で、家族の構(gòu)成員が、家族內(nèi)で最も経験があり最も権威のある家長に決定権を委ねることは必然的な選択だった。

西洋の家族の概念は、宗教の影響から契約関係へと進化した。古代ギリシャと古代ローマは多神教で、古代ローマでは家神崇拝が出現(xiàn)した。家族と宗教が結(jié)びついた結(jié)果、祖先崇拝にも類似した考え方にもなった。その後、世界人口の半分以上が信仰することになったユダヤ教あるいは起源がユダヤ教に関係する唯一神侵宗教では、神に対する愛の方が親子の愛よりも重要と考えられた。家族は個人の出発點ではあるが、帰結(jié)點ではなくなった。

時代が下ると哲學者は、子は自らの意志で誕生したのではなく、親が「作った」のであるから、親は子に対する無償の扶養(yǎng)義務があると考えたが、子が自由意志を持つようになると親子の間に殘るのは契約関係と主張した。中華民國期の中國も、この考えの影響を強く受け、中國文化の根底にある「孝道」は大きく揺さぶられた。

中國共産黨の創(chuàng)設(shè)者の一人でもあった陳獨秀(1879-1942年)は、中國の家庭や家族倫理はすべて封建制度の遺物だと主張した。魯迅(1881-1936年)は「父子の間には何の恩もない」と論じた。

これらの主張にある程度の合理性はある。中國の家庭は、人としての天性を抑圧するものと考えられた。しかし、個人の自由を主張するために、「養(yǎng)育の恩」と「忠孝の道」をすべて放棄してしまうことは、望ましいこととは言えない。

というのは、現(xiàn)在に至ってみれば、個性と自由を過度に追求すれば弊害を伴うことが分かっているからだ。まさに「過ぎたるは及ばざるがごとし」だ。個人主義が歯止めのない利己主義に至り、養(yǎng)育の恩を完全に否定するようになれば、中國であろうが別の國であろうが、人と人の爭いが激増し、また國と國の戦爭が容易に発生してもおかしくない狀況に至る。

■西洋文化に対する態(tài)度で、中國は日本と同じ「第2段階」に達した

日本は東洋に屬する中國の隣國で、中國の影響を強く受けた儒教文化圏の一員だった。しかし日本では、中國より早い時期に、いわゆる近代化が始まった。日本の西洋化は中國より徹底的だった。西洋文明に接した日本の精神風土は、おおむね2段階を経て変化した。最初の段階は自己否定と歐米崇拝だ。次に発生したのは、歐米に追い付き追い越した部分が生じたことによる、自信の回復だ。そして伝統(tǒng)的価値観への回帰が発生した。日本のこれまでの推移を見ると、われわれ中國がまさに、日本が経験した第2段階に入ったことが分かる。

家族とは、構(gòu)成員が互いに互いを思いやるチームだ。中國人は「家」という場で、他人を思いやることを身につけてきた。そして、家への帰屬感覚によって、個人主義の過度な肥大化が食い止められてきた。

中國の若者の間では最近、「國潮」という傾向が強まった。中國に古くから伝わる「漢服」に身を包み、その自分の姿を撮影してネットに投稿する。また、外國製ブランドよりも中國ブランドを愛用する。この「國潮」は、消費傾向として語られることが多いが、それだけではなく、価値観や生活理念への伝統(tǒng)への回帰の表れだ。若い世代に「家風探し」が広まっていることも同様だ。このことを見ても、現(xiàn)在の中國では、日本と同様に価値観の回帰現(xiàn)象が発生していることが分かる。

中華の優(yōu)れた伝統(tǒng)文化の內(nèi)包を深く備えた「伝統(tǒng)の家」は、われわれがその合理性を改めて考え、その適応性を深く掘り下げ、その優(yōu)越性を発揚すべきだ。「伝統(tǒng)の家」を普遍的な「現(xiàn)代の家」として改めて最適化すれば、現(xiàn)代人に大きな「?!工猡郡椁丹欷毪诉`いない。(構(gòu)成/如月隼人

※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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