中國新聞社 2023年1月3日(火) 18時40分
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中國の長城は、世界最大規(guī)模の建造物として有名だ。ところが「長城の長さは実は、まだ決められないでいる」という。どういうことなのだろうか。寫真は北京市郊外の八達(dá)嶺長城。
「萬里の長城」の呼稱でも知られる中國の長城は、世界最大規(guī)模の建造物として有名だ。ところが、長城などの古建築研究の専門家である中國長城研究院の趙琛院長によると「長城の長さは実は、まだ決められないでいる」という。どういうことなのだろうか。趙院長はこのほど、中國メディアの中國新聞社の取材に応じて、長城の長さを決めるために解決せねばならない問題について説明した。以下は趙院長の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
■長城の長さを確定するために、測量に先立ってせねばならない仕事
長城の長さの算出は単純な作業(yè)ではない。まず大前提として、関係者の長城に対する認(rèn)識を統(tǒng)一し、測量基準(zhǔn)を統(tǒng)一し、計算方式を統(tǒng)一せねばならない。
長城と言えば普通、北京市郊外の八達(dá)嶺で見られる巨大な壁を連想するだろう。だが、長城はさまざまな造られ方をしてきた。そもそも、長城が長大な防御壁として機能するためには、何が必要だったのか。長城が防御システムとして機能するための諸施設(shè)を考えねばならない。中國共産黨と中國政府は2019年に「長城?大運河?長征國立文化公園建設(shè)方針」を発表した。同「方針」は、長城を定義し直した。新たな定義によれば、のろし臺や駐屯施設(shè)、宿舎、関所、塹壕、城壁、物見やぐらなどすべてを長城の構(gòu)成要素とした。
長城は戦國時代の諸國や、中國の複數(shù)の王朝が建設(shè)した。中には地方政権に終わった王朝もある。そこで「方針」は「戦國諸國、秦と漢の長城、北魏、北斉、隋、唐、五代、宋、西夏、遼が建設(shè)した長城としての特徴を持つ防御システム、さらに(金が築いた堀である)金界壕、明の長城」すべてを長城の概念に含めることにした。
■現(xiàn)在も続く「長城施設(shè)」についての新たな発見
新たな定義で発生する問題は、「長城の長さとは何か」を改めて考えねばならないことだ。長城は一本の線ではなく、體系的に分布する帯狀の建築群だ。長い壁だけでなく、壁に付隨して壁とは別の方角に伸びるのろし臺や駐屯場所がある。長城の壁から枝分かれする支城が存在する場合もある。それらについても長さの計算法を決定せねばならない。
また長城の多くの部分は壁を建築するのではなく、厳しい山の尾根などの天険を利用している。川によって守りを固めていた部分もある。これらの部分を長城の長さに算入すべきかどうかは、學(xué)界でも意見が一致していない。計算方式の決定は、早急に解決すべき問題だ。
また、中國には陸上の長城のほかに、水上の長城もある。例えば、河北省秦皇島市山海関區(qū)の老龍長城、遼寧省興城古城の山海城島防衛(wèi)システム長城、浙江省臨海市の江南長城、明と清が建設(shè)した海防軍事システムだ。中國大陸部の省レベル行政區(qū)は31あるが、長城はうち15の行政區(qū)に存在する。文化財調(diào)査の際には、多くの省が、長城として申請されていない文化財の場合は長城としての計算に含めていない。
長城の長さなどについてかつて得られた數(shù)字は、間違っていなくてもそのままでは使えなくなってしまった。われわれの認(rèn)識が変化し、長城の定義も変更されたために、長城の長さの算出法も変化したということだ。
一方で、長城についての新しい具體的発見もあった。1980年代の研究者は、「明史?兵志」の記述に基づき、長城の西端は甘粛省にある嘉峪関と考えていた。しかし、嘉峪関より直線距離で西に300キロ余り離れた場所に、漢代(紀(jì)元前202年-紀(jì)元220年)に設(shè)けられた長城の重要な関所の玉門関がある。長城は玉門関まで続いていたことになる。では、玉門関より西は?學(xué)術(shù)界は1997年に、新疆ウイグル自治區(qū)のベダル(別迭里)ののろし臺を長城最西端ののろし臺と認(rèn)定した。ではそれよりも西は?
それを調(diào)べるために、中國長城研究院は新疆での調(diào)査を繰り返し行った。その結(jié)果、ベダルののろし臺から西に約395キロのウルグチャト(烏?。┍hで、長城の遺跡を発見した。ウルグチャト県は、中國最西端の県だ。この場所で見つかったのろし臺が、現(xiàn)在のところ長城の最西端だ。
とはいえ、中國長城研究院は、長城の最西端は1カ所だけに絞り込めないとの立場だ?,F(xiàn)在のところ、新疆ウイグル自治區(qū)內(nèi)で存在が確認(rèn)された長城の四つのラインの西端を、いずれも長城の西端と認(rèn)定している。
また長城の東端についても、さまざまな追加は認(rèn)識の変更が繰り返されてきた。
■長城の長さを知る意義とは、歴史を通じて防衛(wèi)に費やした努力を數(shù)字化すること
ではいったい、長城の長さはどれぐらいなのか。かつての歴史の教科書には、長城は東端の山海関から西端の嘉峪関に至る全長約6700キロと書かれていたが、この長さは明代に建設(shè)された長城だけを指している。長年にわたり、一般にはこの約6700キロが長城の長さと考えられていた。しかし中國國家文物局(文化財局)と國家測絵局(測量局)は共同調(diào)査の結(jié)果として、明代の長城の長さは8851.8キロと発表した。
われわれが知りたいのは、我々の祖先が累計でどれだけの長さの長城を築いたかということだ。史料と実地調(diào)査に基づいて推定されている長城の全長は2萬5000キロ以上だ。ただし、実際に調(diào)査を行った省などの記録も基準(zhǔn)が統(tǒng)一されておらず、この數(shù)字も完全に正確とは言えない。初歩的な參考値としか言いようがない。
長城の研究は、學(xué)際的であらねばならない??脊艑W(xué)は長城遺跡の年代問題を解決してきた。建築學(xué)の研究は長城本體の保護(hù)問題を解決した。軍事學(xué)は長城による防御システムについて解き明かしてきた。民族學(xué)の研究は長城がなぜ建てられたのか問題を解決してきた。哲學(xué)研究は、長城という存在が人々の精神にもたらしてきた象徴性の問題に取り組んできた。長城學(xué)とは、これらの多くの分野の學(xué)問の境界を越えて研究するものだ。そのような學(xué)際的な研究の結(jié)果として、長城の長さの問題を解決せねばならない。(構(gòu)成/如月隼人)
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2022/12/26
2022/12/25
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