「中國の新年」それとも「陰暦の新年」?韓國とベトナムが文化戦爭巻き起こす―華字サイト

Record China    2023年1月28日(土) 23時(shí)0分

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中國発祥の舊正月ははるか長い歳月を経て、今では中國、朝鮮半島、東南アジアの一部國家および世界に広がる中國系の人々の共通した祝日となっている。寫真はロンドンのチャイナタウン。

中國、韓國、ベトナムでは最近、「舊正月」の英語表記に関する話題が注目を集め、海外在住中國人向け情報(bào)サイト?留園網(wǎng)には、「舊正月」の英語表記をめぐって韓國とベトナムが文化戦爭を巻き起こしたとする記事が掲載された。

中國発祥の舊正月ははるか長い歳月を経て、今では中國、朝鮮半島、東南アジアの一部國家および世界に広がる中國系の人々の共通した祝日となっている。海外で最もよく用いられるのは「Chinese New Year(中國の新年)」という訳だ。他には「Lunar New Year(陰暦の新年)」の訳もある。

近年、韓國、ベトナム両國では、「中國の」と掲げる「Chinese New Year」の呼び方を止め、より多元的で包摂?shù)膜室馕钉虺证摹窵unar New Year」を使うよう求める行動(dòng)が官から民に至るまで見られる。この2種類の訳が今、激しい文化戦爭を巻き起こしている。

中國の舊正月の始まりは紀(jì)元前104年にさかのぼる。前漢の武帝が公布した「太初暦」は正月を「歳首(年初)」とし、これが今日まで引き継がれてきた。紀(jì)元前1世紀(jì)以降、関連した風(fēng)習(xí)が今の韓國、ベトナム両地に伝えられ、隋、唐の時(shí)代に中國の暦法や徹夜での年越し、新年のあいさつ回りなどが定著し始めた。

近代に入り、西洋の工業(yè)國家の勢(shì)力拡張に伴い、東アジア諸國の舊正月の風(fēng)習(xí)も大きな打撃を受けた。1884年、ベトナムはフランスの植民地になり、1910年、朝鮮も日本の植民地になった。フランス、日本の入植者は民族意識(shí)を削ごうと、現(xiàn)地の風(fēng)習(xí)を強(qiáng)制的に変える措置を次々行った。

同じ時(shí)期、半封建半植民國家となった中國で庶民は生きるための移住を余儀なくされ、現(xiàn)在の広東、広西、福建、浙江では多くの人が経済が相対的に発展していて労働市場のある東南アジアに移った?,F(xiàn)地には巨大な中國人コミュニティーができ、舊正月も各國に持ち込まれて重要な祝いの日となった。また、米國に渡った多くの中國人労働者は、最も早い時(shí)期に米國に移り住んだアジア系グループの一つだ。陽暦の正月と區(qū)別するため、舊正月は「Lunar New Year」「Chinese Calendar New Year」の名を得たが、最も一般的なのは「Chinese New Year」だった。

第2次世界大戦後、朝鮮半島とベトナムは獨(dú)立を手に入れ、冷戦期間は多くの韓國人、ベトナム人が米國に移り住んだ。人々は「Chinese New Year」を認(rèn)めず、「Korea New Year(韓國の新年)」「Vietnamese New Year(ベトナムの新年)」という呼び方が生まれた。だが、「Chinese New Year」が歐米で定著して半世紀(jì)余りが過ぎる中、こうした動(dòng)きが「Chinese New Year」の地位をぐらつかせることはなかった。

1960、70年代以降、韓國経済は急成長し、韓國は大量の中國の文化要素、例えば祝祭日、箸、服裝、食事で「韓國文化」とのアピールを始めた。一方、ベトナムも1975年、北ベトナムが南ベトナムに勝利し、統(tǒng)一を?qū)g現(xiàn)した後、民族の物語の築き上げに力を入れ、中國の王朝による統(tǒng)治の歴史をぼかして自らの文化的特性を強(qiáng)調(diào)した。ベトナムで舊正月は「テト」などと稱され、ベトナム外務(wù)省の中國語版サイトでは「ベトナムは舊正月発祥の地」となっている。

2004年に米國の韓國系市民とベトナム系市民は連攜して舊正月のイベントを開き、米政府と商業(yè)団體に「Chinese New Year」ではなく、より多元的で包摂?shù)膜省窵unar New Year」を使うよう呼び掛けた?!窩hinese New Year」は米國で比較的強(qiáng)い影響力を持ち続け、グーグルで「Lunar New Year」を検索するとヒットするのは大部分が「Chinese New Year」に関するコンテンツだったが、2018年以降、韓國系、ベトナム系市民はグーグルが「間違いを改める」ことを強(qiáng)く要求し、両國官民の広報(bào)活動(dòng)と圧力の下、グーグルは最終的に「中國」の文字のない「Lunar New Year」を選んだ。

2023年の舊正月前、大英博物館が「Korean Lunar New Year(韓國の舊正月)」に関するイベントを開催して物議を醸した?,F(xiàn)地の中國人留學(xué)生の抗議を受け、博物館側(cè)は関連する宣伝を止めたが、韓國、ベトナム両國の「舊正月の名を正す」活動(dòng)は激しい勢(shì)いを保っている。

この他、歐米において「Lunar New Year」の使用はいわゆる「政治的正しさ」となり、文化の多元性の優(yōu)れたマークと考えられている。「Lunar New Year」は各國の政治家や在中國大使館の新年のメッセージにもより多く見られるようになった。

ちなみに岸田文雄首相が20日に発表した春節(jié)(舊正月、2023年は1月22日)の祝辭では「Lunar New Year」と表記されている。春節(jié)祝辭について仏メディアは21日付の記事で、日本の首相による春節(jié)祝辭はこれまで、中國系報(bào)道機(jī)関のホームページなどに掲載され、日中関係や日中友好に言及するのが一般的だったが、岸田首相就任後は中國系報(bào)道機(jī)関経由ではなく直接、首相官邸のホームページに掲載され、日中関係や日中友好には言及せず、(臺(tái)灣などで使われる)繁體字が追加されたと指摘。「臺(tái)灣出身の華僑?華人やその他の春節(jié)を祝う習(xí)慣のある地域の人々にも気を配っていることがうかがえる」と伝えた。

ただ、中國にしてみれば、「Chinese New Year」であれ「Lunar New Year」であれ、その源は中國にあるのだから「Lunar New Year」を拒む必要はないのかもしれない。記事の筆者は、「もともと中國のもの。中國人は気にすることはない」と呼び掛けている。(翻訳?編集/RR)

※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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