中國新聞社 2023年2月6日(月) 23時30分
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中國では古くから「廟會(ミャオフイ)」と呼ばれる、日本の縁日と同様の催しが行われてきた。この廟會は中國文化においていかなる意味を持つのだろうか。寫真は北京でも最大規(guī)模の廟會の一つである地壇公園の廟會。
中國では古くから、「廟會(ミャオフイ)」と呼ばれる催しが営まれてきた。宗教とつながりがある一方で、娯楽やにぎやかさを求めて人々が集まる點、さらに決まった時節(jié)に行われる點でも日本の「縁日」と同様だ。中國文化の中で、廟會はどのような意味を持つのだろうか。北京民俗學會の高巍會長はこのほど、中國メディアの中國新聞社の取材に応じて、廟會の歴史や廟會が果たしてきた役割、さらには廟會の変遷や変化を説明した。以下は高會長の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構成したものだ。
中國では、體系が整った宗教が出現(xiàn)する以前から、人々の心の中に祖先を敬う、素樸ではあるが強い感情があった?!笍R」の本來の意味は、祖先を祭る場所だ。古い時代の祭祀では、人々は主に祖先神や自然神を祭って加護を祈った。人々は祭りの場に集まって儀式を行い、供え物を捧げ、音楽を演奏した。これが「廟會」の原型だ。
後漢(西暦25-220年)時代になると、仏教が中國に伝わりはじめ、道教も體系づけられた。仏教の寺院や、道教の宗教施設である道観では、さまざまな行事が開催された。時代が下ると、行事の一環(huán)として関係者が街に出て練り歩くようになった。その行列に參加する人は信仰の対象物を掲げ、邪気を払う獅子に扮するなどした。寺院や道観には大勢の人がやってきて祈禱した。そのため、周辺では商売人が屋臺を出すようになった。軽業(yè)や芝居などの見世物も行われるようになった。これが「廟會」だ。
廟會の大衆(zhòng)性や娯楽性が強まり、商業(yè)との結合が進んだのは唐代(618-907年)から宋代(960-1279年)にかけてだ。宗教儀式は毎年、決まった期日あるいは時節(jié)に行われる。そのため、「廟會」も舊正月や舊暦の1月15日、2月2日、3月3日などの特定の日につきものの催しになった。
廟會のことを「廟市(ミャオシー)」とも言う。催される日には、寶石や衣服、骨董品、書畫、花や鳥、蟲や魚など、ありとあらゆる商品を扱う店が出る。もちろん、日用品を売ったり、飲み食いをさせる店も出る。占いの屋臺も出る。つまり、廟會には金銭の移動もつきものだ。だから「廟におけるマーケット」、すなわち「廟市」という言葉もふさわしい?!笍R會」は信仰、宗教、娯楽、商業(yè)活動が融合し、さらには家族や友達と足を運ぶ楽しみの場になった。
中國政府が定めた國家級非物質(zhì)文化遺産(無形文化遺産)の民俗の部門のリストには、北京の廠甸廟會、山西の晉祠廟會、上海の龍華廟會など、38の「廟會」が含まれている。北京の廠甸廟會の歴史は400年あまりだ。祭祀から「廟市」に発展し、書籍市も開催されるなどの特徴も加わった。まさに「雅」と「俗」の共存だ。この「廟會」が催される場所は、北京市街地南部の和平門から虎坊橋にかけての一帯だ。このあたりはかつて、庶民が集まって暮らしていた場所であり、その獨特な文化は宣南文化と呼ばれている。北京廠甸廟會は北京文化、さらには宣南文化を広く紹介する役割りも果たしている。
山西の晉祠廟會は山西省太原市で舊暦7月1日から5日まで行われる。その起原は、邑姜の生誕を祝する儀式だ。邑姜は西周を興した武王の正妃であり、現(xiàn)在の山西省を主要な版図とした春秋時代(紀元前771-同453年)の晉の始祖である叔虞の母親だ。この廟會は地元の古くからの民俗の雰囲気が濃厚だ。
上海の竜華廟會の歴史は唐代にまでさかのぼることができ、近代にはインドの詩人タゴール(1961-41年)がこの廟會に來たことがある。この廟會に都市性、商業(yè)性、娯楽性が強い特徴があり、その発展の過程で多くの伝説物語が追加された。廟會にまつわる民俗はとても豊かだ。
廟會は絶えず発展して変化し、歴史の各時期における條件の下で民衆(zhòng)の精神面と物質(zhì)面の求めを満たして、地域の風土や人情、生活のさまざまな狀態(tài)を反映してきた。つまり廟會は社會と時代の変遷を反映してきた。だからこそ、廟會は中國各地で民衆(zhòng)に愛されてきた。特に春節(jié)(舊正月)は1年の中で最も重要な祝日だ。人々はすべてが一新された大きな喜びに浸る。年越しの際に廟會に足を運ぶことは、各地の人々にとって新年を祝う重要な活動だ。
中國のさまざまな廟會は無數(shù)の人々を引きつけてきた。香港?マカオ?臺灣地區(qū)は、広く信徒を持つ伝統(tǒng)的な廟會によっても、祖國とのつながりが維持されている。海外の華人居住區(qū)では、祖國から廟會が移された。楽しく賑やかな廟會は、中華民族の文化の血脈を受け継いでいく行事だ。
廟會は生きた民俗であり、多くの學者が「中國人のカーニバル」と呼んでいる。西洋のカーニバルやハロウィーンなどの祭りも、すべて宗教に由來し、歴史の発展の中で內(nèi)容が拡張され、地元の文化の特徴が追加されてきた。各地の祭りは民俗文化の縮図であり、民俗文化の延長線上にある。中國の廟會の場合は農(nóng)耕文化と密接に結びついている。
廟會の開催時期は現(xiàn)地の気候にも関係している。中國の舊暦は月の運行にもとづく太陰暦と考える人がいるが、少々違う。中國の舊暦は太陽の運行にもとづく「二十四節(jié)気」という年間の區(qū)分も設けている。従って中國の舊暦は月と太陽の運行の両方を勘案した太陰太陽暦だ。実際の季節(jié)の変動は、月の運行よりも太陽の運行にもとづく「二十四節(jié)気」の方により合致する。だからこそ、各種の農(nóng)作業(yè)を行う時期の目安になるわけだ。中國の廟會の開催時期は、この「二十四節(jié)気」にもとづく場合もある。つまり廟會は自然と人の調(diào)和と共生を強調(diào)する役割も果たしている。
中華民族が何千年も受け継いできたとりわけ重要な祝日が春節(jié)だ。そして、中國國外でも近年來「春節(jié)ブーム」が続いている。春節(jié)を祝うために廟會は欠かせない。年越しの廟會では竜の舞いや獅子舞いなども披露される。年越しの廟會の主たるテーマは歓喜であり、それに出店などが加わることで、祝日にまつわる民俗文化の雰囲気をさらに高めている。
改革開放に伴い出現(xiàn)した経済の多様性は、文化の多様化をももたらした。北京でも廟會は多元化しつつある。伝統(tǒng)的な廟會もあり、時流を反映した新しい廟會もある。北京の雰囲気が濃厚な廟會もあれば、西洋の要素を取り入れた廟會もある。大規(guī)模な縁日もあれば、小さなコミュニティーで催されるミニ廟會もある。最近では商業(yè)施設が廟會を主催する動きが目立つ。さらには博物館や科學技術館が廟會を催すことも盛んになった。
廟會とはすなわち、楽しくて和気あいあいとした雰囲気の祝賀の集いだ。廟會の內(nèi)容と形式は今後も絶えず豊かになり、変化していくはずだ。廟會は、各地の民衆(zhòng)に愛されてきた「文化空間」だ。この空間の中では、人と人が交わることのすばらしさを感じることができる。そして、中華の伝統(tǒng)的な民俗を、さらには悠久の歴史を感じることができる。(構成 / 如月隼人)
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