Record China 2023年2月12日(日) 12時0分
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中國では、広東省汕頭市內(nèi)で行われた舊暦1月15日の元宵節(jié)を祝う行事で「日本の旗」が用いられたとして非難が発生した。地元側(cè)は伝統(tǒng)的な旗と説明したが、誤解を避けるために撤去した。
香港メディアの香港01は7日付で、広東省汕頭(スワトウ)市內(nèi)で5日夜に行われた舊暦1月15日の元宵節(jié)を祝う行列で地元に古くから伝わる「銅鑼旗」が掲げられたところ「旭日旗」と誤解され非難が集中したと伝えた。ただし、地元側(cè)が説明したところ「もっと冷靜になって」とする聲も寄せられたという。なお、同記事は事態(tài)の経緯などを客観的に報じたが、日本に関連する情報については誤解も目立つ。
記事は、汕頭で行われた旗が日本の「旭日旗」と誤解されたと報じた。ただし、動畫などを見る限り、誤解を受けた旗は白地の中央部に赤い円がある日章旗であり、日輪から周囲に光芒が伸びる「旭日旗」ではない。日章旗と旭日旗の違いを知らなかったための誤記と考えられる。
中國では元宵節(jié)の行事が、舊暦の年越しの締めくくりと考えられている。大いに盛り上がるのは夜で、街頭などには提燈などが飾りつけられる。元宵節(jié)は舊暦の年越し後の初めての満月の晩でもあり、新たな年を「熱烈歓迎」する大みそかとはやや異なり、落ち著いた雰囲気もある祝いの晩だ。
ネットで広がった「問題の」動畫や畫像は、汕頭市潮南區(qū)董塘村で行われたものだ。それほど大人數(shù)ではなく、地元住人らしい一群の人が行列して歩いていく。
うち一人が持っていた、白地で中央部分に赤い円がある旗が「日本の旗」と誤解された。香港01はまず、「赤い円」の部分の旗全體に対する比率が違うと指摘。掲げられていた旗の「日の丸部分」の大きさは、日章旗の中央部分の日輪部分よりもかなり小さい。香港01はさらに、旗竿には全てが滯りなく信仰することや、地域の平安を願う竹やガジュマルの葉がくくられていることも、「日本の旗」とは違うと説明した。
記事は続けて、日輪を描く旗は太陽に対する崇拝と敬慕のために古い時代から存在したと解説。宋代の1130年から1162年にかけて活躍した中國の畫家の蕭照の「中興瑞應(yīng)図」や明代の畫家の仇英(1494-1552年)の「清明上河図(寫真參照)」にも「日輪の旗」が示されており、日本の旗が出現(xiàn)するよりも「はるかに早かった」と主張した。
日本が西洋諸國の習(xí)慣に対応するために「日章旗」を外國に示す「國旗」として扱うようになったのは幕末になってからだ。ただし「日の丸」のデザインが用いられたのははるかに古く、諸説はあるが文武天皇が701年に行われた宮中の儀式に、「日の丸」のデザインを使わせたことが最初の記録とする主張もある。香港01は、日本における「日の丸」の歴史を調(diào)べなかったと思われる。もちろん、人々の自然な感情から生まれたデザインであるからには、「どの國が一番早く使ったか」はそれほど問題にならないはずだ。
香港01はさらに、汕頭地區(qū)の「日の丸の旗」に関して、民俗行事の際には「三山護國広明王旗」「竜旗」「虎旗」「五色旗」「銅鑼旗」の5種の旗が、150年以上前から使われてきたと説明。誤解されたのは「銅鑼旗」で、中央部分は地元に伝わる「銅鑼粿」という食べ物を示しており、日章旗の「日の丸」が真円形であるのに対して、やや不規(guī)則な凹凸があると紹介した。
「伝統(tǒng)行事に日本の旗を使った」として問題視された董塘村の住人組織の居民委員會は、誤解を避けるために「銅鑼旗」は撤去したと説明した。
ネットではその後、董塘村側(cè)に同情するコメントも寄せられるようになった。昔からずっと使い続けてきた旗の使用を斷念せざるをえない事態(tài)になったことについて、「冷靜に対応せねば。風(fēng)にあおられて同調(diào)してはならない」といった書き込みもあったという。(翻訳?編集/如月隼人)
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2023/2/11
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