亜洲週刊 2023年2月12日(日) 21時(shí)30分
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新體操で東京五輪に出場した喜田純鈴さん(寫真右)を4歳の時(shí)から育てたのが、中國出身の劉宇コーチ(寫真中央)だ。寫真右は喜田純鈴さんの妹で、やはり新體操に取り組む喜田未來乃選手。
2022年12月に、21年開催の東京五輪大會にも出場した新體操の喜田純鈴(きた?すみれ)選手の現(xiàn)役引退が発表された。24年のパリ五輪大會でも出場と活躍が期待されていただけに、惜しむ聲も強(qiáng)かった。この喜田選手を育てたのが、中國出身の劉宇コーチだ。香港メディアの亜洲週報(bào)はこのほど、劉宇コーチやその周囲を紹介する、毛峰東京支局長の署名入り記事を発表した。以下は、同記事の主要部分を再構(gòu)成したものだ。
劉宇さんは河北省石家荘市出身だ。母親は幼稚園の園長で、歌や踴りが上手だ。父親は楽器演奏が趣味で、両親そろって蕓術(shù)の天分がある。父方の祖父はロシア人の血をひいており、家族は皆、情熱的で楽観的な性格という。劉宇さんは7歳の時(shí)に新體操の専門チームに入った。応募者は200人で、わずか3人の合格者のうちの1人だった。9歳の時(shí)には新體操の國家チームに入り、1988年から90年まで連続して、中國國內(nèi)大會の新體操ジュニア部門で優(yōu)勝した。また、カナダや日本で行われた大會に出場して、金?銀?銅のメダルを獲得した。
劉宇さんによると、競技大會出場のために日本を訪れた際に、日本に対してよい印象を持った?,F(xiàn)役引退後に香川県の関係者の厚意で招かれて、95年から日本で暮らすようになった。97年には香川県內(nèi)でエンジェルRG日中新體操クラブを開設(shè)した?,F(xiàn)在では岡山県と東京都でもクラブを開いている。東京都內(nèi)では複數(shù)の場所で、3歳から18歳までの約200人が練習(xí)に勵(lì)んでいる。中國系が2割ほどだが、殘りは日本人だ。
劉宇さんは日本で100人以上の新體操の選手を発掘し、育成してきた。クラブの選手も全日本新體操クラブ大會の団體優(yōu)勝、全日本団體ジュニア優(yōu)勝、全日本個(gè)人選手権優(yōu)勝などを成し遂げている。また、劉宇さんが育てた選手は數(shù)々の國際大會で優(yōu)秀な成績を収めて日本の金看板となった。
劉宇さんは日本のメディアで、「鬼コーチ」であり、選手の訓(xùn)練は軍隊(duì)にも劣らないと評されたことがある。しかし劉宇さんが20年以上にわたり一貫して抱いているのは、新體操に対する深い愛だ。だからこそ責(zé)任感も強(qiáng)く感じて、選手には厳格かつ諦めることなく訓(xùn)練に取り組むことを求める。
劉宇さんついて特筆されるのは、東京五輪大會に出場した喜田純鈴選手を発掘して育てたことだ。劉宇さんによると、反応と運(yùn)動(dòng)のスピードが速いなど優(yōu)れた才能を見出したのは、喜田選手が4歳の時(shí)だった。喜田選手の両親に新體操を?qū)Wぶべきと何度も勧めて、本格的に指導(dǎo)するようになった。
劉宇さんによると、喜田選手を育成することに精力を傾けたので、自分自身の息子の面倒を見ることも、「ほぼ斷念」してしまったという。喜田選手は全日本大會で3度優(yōu)勝し、東京五輪大會の選手にも選ばれるほどに成長した。
しかし喜田選手の五輪出場までの道は平たんではなかった。東京五輪出場の候補(bǔ)となった日本人選手は2017年から18年まで、ロシアで集中的に訓(xùn)練を受けることになった。喜田選手はロシア人コーチが課した練習(xí)法や演技に適応できずに挫折し、成績は急激に悪化した。
この危機(jī)的狀況にあって、劉宇さんは改めて喜田選手の個(gè)人コーチを務(wù)めることになった。2人は東京都內(nèi)の國立スポーツ科學(xué)センターで合宿し、五輪候補(bǔ)のロシア人選手2人としのぎを削った。劉宇さんはロシア人コーチの古典的で「重厚肥大」型のトレーニング方法の弱點(diǎn)に気付いた。そこで、喜田選手には正統(tǒng)派だが見る人に楽しさを感じさせる現(xiàn)代的な演技の要素を強(qiáng)化させた。その結(jié)果、喜田選手は最終的に、五輪出場の切符を手に入れることができた。
劉宇さんは亜洲週刊の取材に対して「喜田純鈴さんは、日本代表として東京五輪の新體操?zèng)Q勝の舞臺に登る夢を?qū)g現(xiàn)させた。喜田さんの努力が実ったわけであり、コーチである私が一貫して愛と責(zé)任を傾けてきた最高の結(jié)果だ」と語った。劉宇さんは、東京五輪の日本選手団の中で唯一の中國人コーチになったことを誇りに思い、これからも前進(jìn)と精進(jìn)を続けるとも述べた。
喜田さんは、4歳のときからずっと、劉先生の下で新體操を?qū)Wんできて、最高の願(yuàn)いであり夢だった東京五輪に出場することができ、とても充実して幸せだったと説明した。
劉宇さんの姉の劉英さんは、ラテンダンスを?qū)熼Tとしており、中國國內(nèi)の大會で優(yōu)勝したこともある。2人は「雙冠姐妹花(ダブルチャンピオンの姉妹の花)」と呼ばれている。1月28日には初めて、教え子などが出演するダンスと新體操の合同発表公演を東京都內(nèi)で行った。
出演した劉英さんの弟子の中には、チャチャチャを披露した浜田琉成さんと名塚舞衣さんのような、頭角を現(xiàn)しつつある若手の姿もあった。観客は日本人も中國人も、ラテンダンスの陽気で情熱的、あるいは優(yōu)雅で美しいダンスに陶然とした。
新體操を?qū)Wぶ劉宇さんの弟子はそれぞれが、さまざまな難度の新體操の演技を披露した。その中には、喜田さんの姿もあった。観客は新體操の魅力を改めて強(qiáng)く感じ、絶賛を惜しまなかった。(翻訳?編集/如月隼人)
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