漢字が果たした役割とは何か、直面する問題とは何か―文化交流史に精通する専門家が説明

中國新聞社    2023年2月19日(日) 15時(shí)0分

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漢字や漢文は長期に渡り、東アジアにおける唯一の交流のための文字だった。しかし使われ方には問題もあった。そして漢字文化圏は現(xiàn)在、大きな試練に直面している。

東アジアの國や地域は「漢字文化圏」と呼ばれる。しかしグローバル化やナショナリズムなどで、漢字文化圏の狀況は大きく変化しつつある。新たな交流や意思疎通のメカニズムを、いかに形成すべきなのか。中國文學(xué)や中國文化を長年にわたり研究し、日本中國學(xué)界の理事長を務(wù)めた経験がある金文京氏は日本生まれの韓國人で、日本語、韓國語、中國語、さらにそれぞれの文化の特徴に精通している。金氏はこのほど、中國メディアの中國新聞社の取材に応じて、漢字文化圏の狀況や、今後の望ましい方向性について説明した。以下は金氏の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。

東アジアで文化交流の手段に使われた漢字?漢文には問題もあった

まず、私が中國文化を研究するようになったきっかけをご紹介しよう。私は日本で生まれた韓國人なので、小さい時(shí)から母國の歴史や文化に関心を持っていたが、そのころは韓國関連の本はあまりなく、一方で中國の歴史や文化を扱った本はたくさんあった。そのため私は中國に興味を持ち、中でも「三國志演義」には夢(mèng)中になった。そして、大學(xué)進(jìn)學(xué)時(shí)には中國語學(xué)科を選んだ。

漢字は中國の文字だが、長期にわたって近隣の朝鮮半島、日本、ベトナムなどでは漢字が使われた。儒教であろうと仏教であろうと、漢字で書かれた文章、つまり漢文として伝わった。過去の東アジアにあって漢字は唯一の交流のための文字だった。その重要性は言うまでもないだろう。

ただ一つの欠點(diǎn)は、漢字の発音が國によって違ったことで生じた。その結(jié)果、各國の文化交流は書籍を読み、文章を理解する段階にとどまった。人と人の対面交流は少なく、會(huì)ったとしても筆談しかできなかった。そのため、真の會(huì)話は成立しにくかった。


漢字を用いた歴史がある國々は漢字文化圏と言われる。日本人學(xué)者が提出した概念であり、主に中國、ベトナム、琉球、日本がこの漢字文化圏に含まれる。

ただし、漢字文化圏の屬する國や地域でも、漢字の使われ方は同一でなかった。中國の近隣諸國では漢字が使われるが、読み方や文章の書き方は中國語とは異なる。同じ漢字を使っていたとしても、それぞれ文化の背景には、異なる言語観や國家観、世界観が潛んでいる。

東アジアの漢字文化圏の交流は、2000年以上も途切れることがなかった。世界各地の文化交流史の中でこれほどの継続性がある事例はない。従って、漢字文化圏の交流史には、現(xiàn)在の世界が參考にできることがある。例えば、いかにして交流を通じて合意を形成して衝突を避けるかなどだ。

世界の伝統(tǒng)的文化圏が直面するグローバル化とナショナリズムの問題

しかし、東アジアの漢字文化圏を含む世界各地の伝統(tǒng)的な文化圏は現(xiàn)在、グローバル化という試練に直面している。グローバル化の大きな流れにどう対応するかという問題だ。言語面で言えば、このグローバル化は「英語化」という現(xiàn)象をもたらしている。そして、同時(shí)にナショナリズムの怒濤が発生している。

例えば、それまで「グルジア」と呼ばれていた國は數(shù)年前に、國名を英語にもとづく「ジョージア」に変更した。トルコは英語國名の「Turkey」から自國語の「Türkiye(テュルキエ)」に変更することを國連に申請(qǐng)した。前者はグローバル化の方向によるもので、後者はナショナリズムの発露だ。

韓國が「固有名詞原音主義」、特に自國の地名や人名を韓國語読みするよう求めてきたのも、この2つの流れの影響と考えられる。漢字文化圏內(nèi)では、漢字で書かれていればそれぞれの國の読み方をする習(xí)慣があったが、韓國人はこの古い習(xí)慣を解消し、世界的な原則に基づこうとした。一方で、現(xiàn)地音を尊重するのは、ナショナリズムの発露にほかならない。


東アジアにおける固有名詞の発音については各國の主張があり、新たなルールが徐々に形成されつつある。しかし今の中國人は、この問題に対する関心が低いようだ。もっと関心を高めて、韓國や日本で起こっている狀況を理解してもらいたい。言語の変化は押しとどめることはできないとしても、知識(shí)のあるとなしで大きな違いが生じる?,F(xiàn)狀を無関心に放置して、何の合意もないままそれぞれの道を歩んだのでは、將來において混亂と感情的な摩擦に直面しかねない。

この問題は現(xiàn)在進(jìn)行中であり、互いに矛盾する現(xiàn)象が同時(shí)発生している。われわれは岐路に立たされていると言ってよい。われわれは、互いに検討し、振り返ることで、可能な道を選ぶべきだ。このように考えれば、われわれは新たな交流モデルを構(gòu)築せねばならないと分かる。過去の歴史を共に振り返り、反省し、未來を展望せねばならない。(構(gòu)成 / 如月隼人

※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報(bào)道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個(gè)人の見解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

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