池上萬奈 2023年3月12日(日) 5時(shí)50分
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いったいなぜ多くの人が生存者として日本に帰還できたのか、そしてポナペ島の戦いはどのようなものだったのだろうか。
私の手元には、「椰子の実便り」という冊子が2冊ある。これはポナペ島(現(xiàn)在ポンペイ島)で終戦を迎えた日本軍の獨(dú)立混成第五十二旅団砲兵隊(duì)第二中隊(duì)誌で、裏表紙にはポナペ戦友會(huì)と記載されている。平成2年(1990年)と平成8年(1996年)に発行された2冊に寄せられている便りからは、強(qiáng)い絆で結(jié)ばれている會(huì)であることが感じ取れる。
昭和19年2月9日のポナペ上陸以來、飢えと激務(wù)の苦闘苦難、まさに生命の極地を體験した戦友の集いがポナペ戦友會(huì)で、その集まりは往時(shí)を偲び若き頃の思い出に花を咲かせ、熱き心に浸ることであった。第二中隊(duì)の守備正面のテアン巖を中心にしたタウアク水道の全景、中隊(duì)の兵舎があった密林の遠(yuǎn)望、草に埋もれた大隊(duì)本部跡などの寫真も、その冊子には掲載されている。
ポナペ島は太平洋ミクロネシア連邦のカロリン諸島最大の火山島で、東西37.6km、南北19km、面積334平方キロメートルで、宮城県気仙沼市の332.4平方キロメートルとほぼ同じ広さの島である。背の低い二等辺三角形を想像すると、頂點(diǎn)が1944年6月玉砕のサイパン島、底辺左が1944年9月激戦地となったペリリュー島、底辺右がポナペ島という位置にあたる。ポナペ島周辺配備部隊(duì)107連隊(duì)人員損耗表によれば、ポナペ島の損耗は259人である。
いったいなぜ多くの人が生存者(1945年9月陸軍5905人?海軍2005人)として日本に帰還できたのか、そしてポナペ島の戦いはどのようなものだったのだろうか。他の資料である『ポナペ戦記』(恒文社、1981)や『丸別冊 玉砕の島々』(潮書房、1987)などを合わせながら紐解いてみた。1944年5月2日、それまで2カ月以上もの間、連日爆撃を受けていた頻度とは一段と異なる激しい空爆と艦砲射撃を早朝から受け、米軍の空母1、重巡洋艦7、駆逐艦42、その他艦艇40隻以上でポナペ島は囲まれた。
上空では鳥の群れのごとく70機(jī)から80機(jī)の米軍機(jī)が飛來し、銃撃をすると旋回し彼方の空母に引き返す。すると次の米軍機(jī)が軍団となってやってくる。砲撃の位置や目標(biāo)、効果などを無線で知らせる監(jiān)視機(jī)のようなものも飛んでいる。日本軍は、明日は米軍が上陸していよいよ決戦かと身を引き締めた。しかし翌朝、その船団はどこにも見當(dāng)たらず消えていたのである。船団が消えた後も、定期的に空爆はあったが、船の姿は一切見えなかった。
後に明らかになったのだが、米軍は「ポナペ島の日本軍陣地は堅(jiān)固であり、約20萬の日本軍が守備している。上陸に多大な損害を払わねばならないだろう」と戦艦から本國に打電している。それに対し、「犠牲の多いポナペはあきらめよ、守備の少ないサイパン?テニアンを攻撃せよ」という本國からの打電があったのである。米軍がポナペ島への上陸を回避した背景には、島民からの情報(bào)をうのみにして実際には日本軍は8000人弱しかいないのに20萬人とみなしたのではないかという推測に加え、水際で上陸用舟艇を食い止めるために海上に構(gòu)築した防柵、堅(jiān)固な要塞を築いていたことが大きな要因であったと考えられている。
その後サイパン、テニアンが陥落すると本國からの補(bǔ)給が閉ざされ、ポナペ島での生活は自給自足をするしかなく、飢えとの戦いになった。農(nóng)家出身の兵士が作物を育て、仕立て屋出身の兵士が軍服を修繕するなど、島の中の共同生活は強(qiáng)い絆で結(jié)ばれていた。
戦爭の遺跡が殘っているポナペ島の戦いははるか昔になってしまったが、その體験をした當(dāng)時(shí)少佐として旅団砲兵隊(duì)大隊(duì)本部の指揮班長を務(wù)めていた私の父がまだ103歳で生存している。さつまいもを食す度に、これで命をつないだと言いながら大事に口の中に入れている。
戦後70年以上たって、新たな戦爭の脅威を目の當(dāng)たりにしているが、第三次世界大戦になることなく平和な世界を築き、第二次世界大戦を最後に戦後80年、戦後90年、戦後100年と言えるようになることを願(yuàn)っている。
■筆者プロフィール:池上萬奈
慶應(yīng)義塾大學(xué)大學(xué)院後期博士課程修了、博士(法學(xué))、前?慶應(yīng)義塾大學(xué)法學(xué)部非常勤講師 現(xiàn)?立正大學(xué)法學(xué)部非常勤講師。著書に『エネルギー資源と日本外交—化石燃料政策の変容を通して 1945-2021』(芙蓉書房)等。
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