Record China 2023年3月18日(土) 21時(shí)0分
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華字メディアの日本華僑報(bào)は13日、「日本人の秩序」に関する評(píng)論記事を掲載した。
華字メディアの日本華僑報(bào)は13日、「日本人の秩序」に関する評(píng)論記事を掲載した。以下はその概要。
29年前、福岡空港に到著した時(shí)、私の日本に対する第一印象は「この國(guó)は病院のようにきれい」というものだった。通學(xué)する際にも、地下鉄は1分1秒も遅れることはない。車內(nèi)の人々は読書をしたり、目を閉じていたりして靜か。街では信號(hào)無(wú)視をする人は1人もいなかった。秩序に満ちた社會(huì)だったのである。
一體何が日本人の秩序をつくったのか。日本人の自律の精神だという人もいれば、日本人の素養(yǎng)の高さだという人もいる。これらの見方を完全に否定することはできないが、時(shí)がたつにつれ、こうした秩序には法律のほか、「観念」が関係する部分が大きいことに気付き始めた。
まず彼らには「迷惑をかけない」という観念がある。電車の中で大聲で話をしたり、エレベーターなどの公共の場(chǎng)所で攜帯電話で電話したりすることは、日本人からすれば周囲の人に騒音を與える「迷惑」な行為だ。溫泉などの公衆(zhòng)浴場(chǎng)で座って體を洗うのは、立ったままでシャワーを浴びると周囲の人に水滴がかかってしまう「迷惑」になるからだ。
このように、日本人が他者に迷惑をかけないように自制している事例は枚挙にいとまがない。これは間違いなく一種の美徳であり、美徳が習(xí)慣になり、習(xí)慣が秩序を生んだのである。
もう一つの観念は、「上下関係」である。會(huì)社や學(xué)校、さまざまな集団で、日本人はまず相手が先輩なのか後輩なのかを確認(rèn)する。先輩であれば敬語(yǔ)で話し、敬意を持って接し、先輩の意見にはできる限り従う。このような雰囲気があるため、上司や先輩から頼まれたことは法律を逸脫したり、常軌を逸したりしていない限り従うのが普通だ。
このように、「迷惑」をかけて責(zé)められないように一人ひとりが「集団の視線や態(tài)度」を非常に重視すると同時(shí)に、自分が先輩を尊重しない不屆き者だと思われないように、意見があっても表立って指摘はせず、素直に付き従うことで集団の調(diào)和を保っている。そして、この二つの「観念」は日本社會(huì)のほぼ隅々までをカバーしている。
こうした観念の下では、まず自分を抑えることが必要であることは想像に難くない。禮儀正しく、自分を律することができる人間であることをアピールすることが、日本社會(huì)の美徳になっている。その美徳や調(diào)和を壊すような人は白い目で見られがちで、こうした秩序に迎合するために、人々は規(guī)則を守り、大勢(shì)に流され、大多數(shù)と社會(huì)秩序を同じくするため、時(shí)には非常に冷淡になることもできる。
秩序とルールは決して融通を利かせてはならないものであるが、逆にみんなが秩序を守っている狀況下で重大な問(wèn)題が起きれば、それはみんなの問(wèn)題ということになり、個(gè)人の責(zé)任からは逃れることができるのである。
ここまで書き進(jìn)めると、なぜ日本が集団で戦爭(zhēng)に突入したのか分かる気がする。みんなで「天皇陛下萬(wàn)歳」と叫び、足並みをそろえて戦爭(zhēng)に向かう秩序の前に、人々は秩序の奴隷となり、不自由さを受け入れ、意見することなく、調(diào)和の取れた秩序を保ち、集団から見放されないための美徳を保ち、最終的に若い子どもたちを戦爭(zhēng)に送り出したのである。
今、この狀況が繰り返されている。軍備拡張に反対し、米國(guó)に追隨することに反対する人はいるものの、殘念なことにその聲は富國(guó)強(qiáng)兵の大合唱の前では極めて異質(zhì)に映る。大多數(shù)の人たちは、心の中では再び戦爭(zhēng)に向かうことに反対しながらも、この社會(huì)の中での體裁を保つために沈黙しているのである。(翻訳?編集/北田)
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