凌星光 2023年4月8日(土) 7時(shí)30分
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コラム「人生90年の足跡―體験で語る日本と中國―」第3回は「米軍占領(lǐng)下の民主改革」。
3.米軍占領(lǐng)下の民主改革
私は人生観が形成される青年時(shí)代を米軍占領(lǐng)下の日本の民主改革の中で過ごしました。まずアメリカの民主主義に感化され、日本軍國主義への批判を積極的に行いました。詰め込み主義反対の啓発式教育に共鳴し、進(jìn)歩的先生の教育実験に進(jìn)んで対応していきました。他方、國內(nèi)では國民黨と共産黨の國共內(nèi)戦が始まり、共産黨が勝利していくと、共産主義に共鳴するようになり、共産主義人生観が形成されていきました。同時(shí)期に日本共産黨が復(fù)活し、その影響力が急拡大し、私もその影響を多く受けました。
高校2年の時(shí)、生徒自治會(huì)選挙で選ばれた執(zhí)行委員長から「入閣」(執(zhí)行委員になること)を頼まれ、會(huì)計(jì)係を受け持ちました。各クラブに予算を提出させ、その査定を行うのに苦労しましたが、それは実に良い経験でした。3月半ばに執(zhí)行委員長が卒業(yè)、就職して學(xué)校を離れ、4月に次の執(zhí)行委員長が選ばれるまでの間、私が執(zhí)行委員長代理を任されました。この時(shí)、靜岡高校から授業(yè)料値上げ反対の共同闘爭を持ち掛けられ、前向きに対応しようとしたところ、校長に呼び出されてお叱りを受けたことが、今でもはっきり記憶に殘っています。
高校3年は専ら大學(xué)受験勉強(qiáng)に集中し、一橋大學(xué)経済學(xué)部に入學(xué)できました。1952年4月、大學(xué)に登校して間もなくのこと、全學(xué)連から5月1日のメーデー參加の呼びかけがあり、喜んで參加しました。しかし、何とそれが流血のメーデーとなったのです。宮城前広場で警察の弾圧を受けてばらばらになったあと、弱みを見せてはならないと思い、マーキュリー(一橋大學(xué)のシンボルマーク)の旗の下に戻り、負(fù)傷者護(hù)送の任務(wù)を全うしました。この月の5?30事件(府中の軍事工場集積地でデモを強(qiáng)行)にも、日本共産黨の手配に従って參加しました。私のこの積極性が評(píng)価されたのか、前期(小平)學(xué)生自治會(huì)評(píng)議會(huì)議長に推薦されました。
流血のメーデーは今ではほとんど忘れられていますが、當(dāng)時(shí)、主権を取り戻したばかりの保守政権にとっては「革命の危機(jī)」を感じさせるものでありました。そして、共産黨の暴力革命対策として公安調(diào)査庁が設(shè)置されることになり、現(xiàn)在に至っています。
戦後日本の民主改革は、生涯忘れられない貴重な経験で、中國の社會(huì)主義民主政治をより健全なものにしていく思案の糧の一つとなりました。1980年代半ばに、中國の政治改革を進(jìn)める上での參考意見を求められたとき、たいへん役に立ちました。
■筆者プロフィール:凌星光
1933年生まれ、福井県立大學(xué)名譽(yù)教授。1952年一橋大學(xué)経済學(xué)部、1953年上海財(cái)経學(xué)院(現(xiàn)大學(xué))國民経済計(jì)畫學(xué)部、1971年河北大學(xué)外國語學(xué)部教師、1978年中國社會(huì)科學(xué)院世界経済政治研究所、1990年金沢大學(xué)経済學(xué)部、1992年福井県立大學(xué)経済學(xué)部教授などを歴任。
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