人生90年の足跡―體験で語る日本と中國―(14)日中科學(xué)技術(shù)文化センターの運(yùn)営危機(jī)を克服

凌星光    2023年6月24日(土) 16時(shí)0分

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コラム「人生90年の足跡―體験で語る日本と中國―」第14回は「日中科學(xué)技術(shù)文化センターの運(yùn)営危機(jī)を克服」。

14.日中科學(xué)技術(shù)文化センターの運(yùn)営危機(jī)を克服

70歳で福井県立大學(xué)を定年退職した後、社団法人「日中科學(xué)技術(shù)文化センター」の理事長(zhǎng)職を引き継ぎました。社団の運(yùn)営は困難な狀況にありましたが、この重要な組織の立て直しのために、一肌脫ごうと腹を決めたのです。

しかし、2011年3月11日の大地震後、財(cái)務(wù)狀況悪化への対応が遅れてしまい、社団は一大危機(jī)に直面しました。そこで賃金カットと人員整理の大手術(shù)を行いました。退職する者には退職金30%割り増し、殘る者は賃金20%カット、私の賃金はゼロという応急措置をとったのです。その結(jié)果、首切りは避けることができ、私の運(yùn)営理念を貫くことができました。また賃金體系をより簡(jiǎn)単なものにし、社団の実體に合うように改革しました。

このような手術(shù)をすると、自然と職員から不満が出ます。そして、私は書生気質(zhì)で経営能力がないという雰囲気が醸成され、私の理事長(zhǎng)下ろし、あるいは実権空洞化の動(dòng)きが出てきました。私は、これは道理にかなった自然な動(dòng)きと受け止めました。それと同時(shí)に、私が実権を放棄すれば社団が変質(zhì)することは目に見えており、絶対に譲ることはできないと腹を決めました。そしてさまざまな手を打ち、理事會(huì)での決戦に挑みました。延々と5時(shí)間に及ぶ議論を経て、わずかの差で私が勝利しました。

そこで相手をやっつけるのではなく、すぐに共に協(xié)力して社団を立て直そうと和解の手を差し伸べました。こうして一致団結(jié)の新局面が生まれ、社団の運(yùn)営狀況は徐々に好転してきました。2017年、大変良い狀況で次の理事長(zhǎng)にバトンタッチすることができました。

■筆者プロフィール:凌星光

1933年生まれ、福井県立大學(xué)名譽(yù)教授。1952年一橋大學(xué)経済學(xué)部、1953年上海財(cái)経學(xué)院(現(xiàn)大學(xué))國民経済計(jì)畫學(xué)部、1971年河北大學(xué)外國語學(xué)部教師、1978年中國社會(huì)科學(xué)院世界経済政治研究所、1990年金沢大學(xué)経済學(xué)部、1992年福井県立大學(xué)経済學(xué)部教授などを歴任。

※本コラムは筆者の個(gè)人的見解であり、RecordChinaの立場(chǎng)を代表するものではありません。

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