長(zhǎng)田浩一 2023年5月18日(木) 15時(shí)0分
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2022年の出生數(shù)が初めて80萬人を割り込んだことなどを背景に、日本政府はようやく重い腰を上げ、少子化対策に本腰を入れる構(gòu)えのようだ。資料寫真。
2022年の出生數(shù)が初めて80萬人を割り込んだことなどを背景に、日本政府はようやく重い腰を上げ、少子化対策に本腰を入れる構(gòu)えのようだ。焦點(diǎn)は対策を具體化するための財(cái)源の確保。消費(fèi)稅の引き上げや社會(huì)保険料のアップなどが取りざたされているが、手厚い高齢者福祉の見直しも検討項(xiàng)目に含めるべきではないだろうか。國(guó)の浮沈にかかわる少子化にどう向き合うか、私たちの“覚悟”が問われている。日本の対応に、同様の問題に直面している中韓両國(guó)も注視している。
故松本清張氏が1960年から61年にかけて執(zhí)筆した「砂の器」を數(shù)十年ぶりに再読した。実は、私は映畫版の「砂の器」(1974年、野村芳太郎監(jiān)督)を最初に鑑賞して感動(dòng)し、その後で原作小説を読んだ。映畫が殺人事件の犯人とその父親の人間ドラマを軸としているのに対し、原作は推理小説の色彩が濃く、ずいぶん趣が異なっていることに戸惑った記憶がある。
久しぶりに手にした文庫(kù)本の「砂の器」を懐かしく読み進(jìn)んでいるうちに、被害者が殺される直前に同じ映畫を2日続けて見に行ったという場(chǎng)面で目が點(diǎn)になってしまった?!嘎孟趣峭赣钞嫟?度もつづけて見る―それも子供でも若い者でもない、すでに50を過ぎた老人なのだ」。どひゃー、という思いだ。
この被害者は51歳という設(shè)定。それで老人なら、現(xiàn)在60代後半の筆者はものすごいおじいちゃんだ。同様の例は翻訳小説にもある。フレデリック?フォーサイス氏の傑作サスペンス「オデッサ?ファイル」(日本語(yǔ)版は1974年刊。物語(yǔ)の時(shí)代設(shè)定は1963~64年)では、若い警察官が、自殺した56歳のユダヤ人を“an old man”(日本語(yǔ)版では「じいさま」)と呼んでいる。
五木寛之氏のデビュー作「さらばモスクワ愚連隊(duì)」(1967年)は大好きな作品だが、蕓能プロモーターの主人公が「平均年齢64歳の絶望的な黒人バンド」をニューオーリンズから招いたという一節(jié)がある。私が時(shí)々訪れる東京?銀座のジャズクラブでは、御年94歳の人間國(guó)寶級(jí)のクラリネット奏者?北村英治氏を筆頭に60代以上のミュージシャンが連日のように演奏している。64歳以上は絶望的だと言ってお引き取り願(yuàn)っていたら、とても出演者をそろえられないだろう。
このように1960年代を舞臺(tái)にした小説では、50~60代は完全に老人扱いされているが、それも無理からぬ話かもしれない。何しろ、人の一生が今よりずっと短かったのだから。內(nèi)閣府のデータによると、日本人男性の平均壽命は60年に65.3歳、70年でも69.3歳。半世紀(jì)余り前の日本は、少なくとも男性は「人生60年」だった。男性の平均壽命が81.47歳(2021年)まで伸びた現(xiàn)代とは年齢に対する感覚が大きく異なっており、50代を老人と表現(xiàn)しても違和感がなかったのだろう。
このように日本人が長(zhǎng)生きになった結(jié)果、高齢者人口が大きく膨んだ。一方で、子育てや教育に関わるコストの増大などを理由に少子化が急ピッチで進(jìn)み、將來の人口急減と、世代間負(fù)擔(dān)の不均衡増大が懸念されている。こうした事態(tài)は30年前から予想されていたのだが、歴代政権はほとんど何もしてこなかった。そうした中、岸田文雄政権が遅まきながら「異次元の少子化対策」を掲げて本腰を入れて取り組む姿勢(shì)を見せているのは評(píng)価したい。ただ、スローガンだけなら誰でもできる。本當(dāng)に重要なのは実効ある政策を打ち出せるかどうかだ。その際、カギとなるのは少子化対策の財(cái)源をどう手當(dāng)てするかだろう。
私は昨年10月23日付當(dāng)欄で、「少子化に歯止めをかけるには相當(dāng)思い切った措置が必要」としたうえで、必要な財(cái)源は高齢者福祉を削るしかないと指摘した。私自身前期高齢者であり、こうした主張をすることには忸怩たる思いがあるが、財(cái)政の極端な悪化を避けながら少子化対策を進(jìn)めるには、これが選択肢になりうると考える。
そうした中、元日銀理事の山本謙三氏が、社會(huì)保障政策の重點(diǎn)を高齢世代から現(xiàn)役世代向けにシフトするのが少子化対策として有効とする論考を自身のホームページで公表されたので、紹介したい。
山本氏は、現(xiàn)在の日本の福利厚生施策は「年金?醫(yī)療?介護(hù)=公助」、「出産?子育て=自助」というパターンが基本になっていると指摘。出産?子育てをほぼすべて若者?現(xiàn)役世代が負(fù)擔(dān)する一方、老後の各種費(fèi)用はかなりの部分を公的費(fèi)用が賄ってくれるわけで、これでは子供を持つインセンティブは低下すると説く。
そのうえで「大事なのは、現(xiàn)役?將來世代に偏った負(fù)擔(dān)のバランスを是正すること。少子化対策の財(cái)源を高齢世代中心に考えなければならない」として、年金支給開始年齢の引き上げや醫(yī)療費(fèi)負(fù)擔(dān)割合のアップなどにより、高齢者福祉を削って若者世代の負(fù)擔(dān)を軽減するよう提案している。同時(shí)に、資産課稅の強(qiáng)化により、高齢世代から若者世代への資産移転を促すよう求めている。
社會(huì)保障政策が現(xiàn)在の姿になった背景には、「お年寄りを大事にしたい」という素樸な感情とともに、「高齢者に手厚くすることが票になる」という政治の現(xiàn)実があったのだろう。実際、少子高齢化の進(jìn)展に伴い、有権者に占める高齢者の割合は年ごとに上昇し、投票率も一般的に若者より高い。こうした実態(tài)を踏まえると、社會(huì)保障政策の重點(diǎn)を高齢者から若者にシフトさせるのは容易ではない。
しかし、現(xiàn)狀のまま何もしないことは許されない。1970年代前半の第2次ベビーブーム期には年間200萬人を超えていた出生數(shù)は、昨年は79萬9728人(速報(bào)値)と、統(tǒng)計(jì)を取り始めた1899年以降、初めて80萬人を割った。日本人がどんどん減っていくわけで、長(zhǎng)期的には國(guó)家存続の危機(jī)と言っても過言ではない。
山本氏は「シルバー民主主義を克服する覚悟が必要だ」と説く。政治的に困難でも決斷が必要ということであり、岸田首相はじめ政治家諸氏は、ぜひこの言葉をかみしめてほしい。そして、われわれ國(guó)民一人ひとりにも、この問題に向き合う覚悟が求められている。
また、少子化は日本だけでなく、東アジア全體で深刻化している。韓國(guó)の合計(jì)特殊出生率(1人の女性が一生のうちに出産する回?cái)?shù))は、2022年に過去最低の0.78(暫定値)となり、日本の1.27(推計(jì)値)を大きく下回る。長(zhǎng)く「一人っ子政策」を続けていた中國(guó)では、2016年の同政策廃止後も出生率は上向かず、昨年は出生數(shù)が死亡者を下回り、人口減少に転じたと伝えられている。それだけに、日本の少子化対策の內(nèi)容とその成否に対し、両國(guó)では強(qiáng)い関心を集めている。
■筆者プロフィール:長(zhǎng)田浩一
1979年時(shí)事通信社入社。チューリヒ、フランクフルト特派員、経済部長(zhǎng)などを歴任。現(xiàn)在は文章を寄稿したり、地元自治體の市民大學(xué)で講師を務(wù)めたりの毎日。趣味はサッカー観戦、60歳で始めたジャズピアノ。中國(guó)との縁は深くはないが、初めて足を踏み入れた外國(guó)の地は北京空港でした。
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