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22日、「dama(中國(guó)のおばさん)」という新語(yǔ)が昨年オックスフォード英語(yǔ)辭典に新しく仲間入りした。これによって人々は、「中國(guó)社會(huì)にまたひとつ、特定の階層が誕生した」という認(rèn)識(shí)を持った。資料寫(xiě)真。
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2014年7月22日、「dama(大[女馬]=中國(guó)のおばさん)」という新語(yǔ)が昨年オックスフォード英語(yǔ)辭典に新しく仲間入りした。これによって人々は、「中國(guó)社會(huì)にまたひとつ、特定の階層が誕生した」という認(rèn)識(shí)を持った。瀋陽(yáng)日?qǐng)?bào)が伝えた。
マスメディアが作り上げた一般的な「おばさん」のイメージには、▽國(guó)內(nèi)外の各大都市の広場(chǎng)を占領(lǐng)し、曲に合わせて楽しそうに舞う▽海外の高級(jí)マーケットと近所のスーパーのどちらにも出入りして、日替わり特価の卵を買(mǎi)うスピードでルイ?ヴィトンのバッグを手に入れる。また、ルイ?ヴィトンを選ぶのと同じ情熱と慎重さで卵を選ぶ▽朝夕のラッシュ時(shí)の路線バスに乗り込み、他の乗客の頭上で野菜の食べられる部分を選り分ける、他人を押しのけて席を取り、他人と口げんかする――などがある。
人は誰(shuí)でも、「レッテル貼り」が大好きだ。レッテルがあれば、簡(jiǎn)単に分類(lèi)することができるし、価値判斷をスムーズに行う上でも役に立つ。「中國(guó)のおばさん」を例にとると、「年齢は55歳から65歳、かつては仕事をしていたが今は退職している。もはや生活のために髪を振り亂して奮闘する必要はない。ある程度の購(gòu)買(mǎi)力を持っているが、昔ながらの節(jié)約習(xí)慣が今もしみついて離れない。マスメディア上では発言権を持っていない。話題に上る確率は非常に高い」などのイメージがついて回る。そんなことから、上流を自認(rèn)する人々は、彼女らのことを「手におえない相手」だと認(rèn)識(shí)し、「中國(guó)のおばさん」が苦手なキーボードを使って、彼女らについてあれこれ考察している。
我々の母親も、「中國(guó)のおばさん」の部類(lèi)に入るかもれない。「中國(guó)のおばさん」というレッテル貼りをする時(shí)、読者は母親のことを思い浮かべるだろうか?確かに、広場(chǎng)で踴る行為は、周辺住民に迷惑がかかる可能性がある。バスの中で野菜の食べられる部分を選り分ける行為は、他の乗客の迷惑となり得る。公共の資源である「席」の奪い合いをすると、秩序正しい人たちのひんしゅくを買(mǎi)うだろう。だが、自分の良心に今一度聞いてみて欲しい。國(guó)家でさえも、「子供は頻繁に実家に帰って親の面倒を見(jiàn)ること」を法律で義務(wù)付けているというのに、我々自身は、思いやりの心を持って年長(zhǎng)者に接しているだろうか?「外に出て広場(chǎng)舞をしてはいけないのなら、家で一體何をすれば良いの?」「特売の卵を買(mǎi)うために並ぶのは、子供のために少しでも節(jié)約するためではないの?」といった、一部の「中國(guó)のおばさん」の言い分は、至極もっともではないだろうか。
「中國(guó)のおばさん」のさまざまな行為について、冷靜な気持ちで、大きな視野から考えてみると、異なった結(jié)論が得られるかもしれない?;欷吆悉盲柯肪€バスや広場(chǎng)舞の騒々しさは、社會(huì)資源や公共サービスをめぐる「関連部門(mén)」の至らなさによるものではないだろうか。特売の卵の奪い合いや何とか得しようという態(tài)度は、中國(guó)における養(yǎng)老制度の不備を反映しているのではないのか。年金の交付水準(zhǔn)を示す「所得代替率」が低いと「専門(mén)家」は口を揃えるが、本當(dāng)に実益を得られるのは年金保険を納付していない人々だけだ。一生身を粉にして働いた揚(yáng)句、ほんのわずかの「基礎(chǔ)年金」を頼りに細(xì)々と生計(jì)を立てている身としては、1円でも安いものを買(mǎi)いに走りまわるのは當(dāng)然ではないだろうか。
客観的に見(jiàn)ると、これらの問(wèn)題を解決するには、いくつかの段階を経る必要がある。ただ、まずすべきことは、病巣から眼をそらさず、ちゃんと正視することだ。その上で、解決方法を探っていかなければならない。「中國(guó)のおばさん」のレッテル化に続いて、10年前の「1980年代生まれ」や現(xiàn)在の「1990年代生まれ」についても、「墮落世代」というレッテルが貼られ、上の年代の人が若い人について話す際の慣用語(yǔ)になっている。この行為こそが、個(gè)別事象を一般化する「レッテル化」だ。だが、高度な文明をもつ社會(huì)において、さまざまなグループは互いに尊重し合い、「違いは違いとして殘しておき、共通點(diǎn)を得るべく努力する」姿勢(shì)を持つべきである。ある特定のグループの問(wèn)題がかなり深刻な場(chǎng)合、ある社會(huì)資源をさまざまな年齢グループに配分する際に、何らかの不平等が発生するが、そのような事象について、「特定のグループに問(wèn)題が生じた」と言うことはできない。これは、制度上の責(zé)任と社會(huì)の民衆(zhòng)全體の道徳問(wèn)題を、発言権を持っていないグループに押し付けた結(jié)果といえよう。
今の社會(huì)のさまざまな問(wèn)題を解決する上で、その原因や責(zé)任を特定のグループに押し付ける必要はない。「中國(guó)のおばさん」を真正面から捉え、背景にある社會(huì)制度や計(jì)畫(huà)をじっくりと読み解くことは、「ツッコミを入れる」より、見(jiàn)えてくるものがずっと多い。というのも、どの家庭にも、「中國(guó)のおばさん」は存在しており、我々自身も、次に「レッテル化」されるグループに入る可能性があるからだ?!钢袊?guó)のおばさん」をレッテル化する一方で、我々自身もレッテル化されようとしている、あるいはすでにレッテル化されていないか、考えるべきではないだろうか。「中國(guó)のおばさん」は、社會(huì)資源や公共サービスの不備を誤魔化すための存在ではなく、元?dú)荬貜?fù)し、意識(shí)が目覚めるような脳の特効薬であり、我々の「傍観癖」を治してしてくれる存在なのだ。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?翻訳/KM?編集/武藤)
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