<日本人の忘れられない中國>「今から病院へ行きましょう」=彼女は力強く言ってくれた

日本僑報社    2023年6月10日(土) 23時0分

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そろそろ寢ようと夜の10時過ぎ起きてトイレに行こうとベッドから足を下すと左足に力がはいらない。変な鈍痛を感じた。寫真は長沙。

長沙の町は、夜、いろいろ屋臺がでていて楽しい。

いつものように晩御飯をマンションの近所の屋臺でたべた。帰り道に歩道に鉄パイプが置いてあるのに気が付かず、手をつかずに膝から転倒した。

少し痛かったけれど、家に帰ってシャワーで傷口を流して、ベッドで橫になりスマホをみていた。そろそろ寢ようと夜の10時過ぎ起きてトイレに行こうとベッドから足を下すと左足に力がはいらない。変な鈍痛を感じた。

「あれ、どうしたのだろう」。もう夜も遅いし痛いのを我慢して、明日の朝職場の方に連絡(luò)しようと思った。丁度その時、長沙の中國人の友人Lさんからチャットがきた。同世代で話が合うLさんは長沙の日本語サロンで出會った日本語の専門家の中國人女性だ?!甘敢跋壬⑸伽筏獣r間あったら」。えいっ、Lさんに相談しようと、Lさんにチャットで、「すみません膝が痛いです。転倒時大丈夫だったのですが」と伝えた。

Lさんはすぐに電話で「今から病院へ行きましょう」と力強く言ってくれた。かばんにスマホとパスポートを入れた。中國では現(xiàn)金を使わない。すべてスマホ決済だ。すぐにLさんが來てくれた?!杆饯摔膜蓼盲茪iいてください。こういう時は外國人に慣れているW病院がいいと思います」。タクシーを呼んでLさんは私を支えながら歩き始めた。「ありがとうございます。こんな遅くに來ていただいて」「困ったときはお互い様ですよ」。

病院で車椅子を借り乗せてもらい、押して頂いた。救急診療の場所に到著すると夜中に関わらず人でいっぱいだった。工事現(xiàn)場から來た人達(dá)、泣いている赤ちゃん、まさにカオスで、自分も痛いのだが周りの患者さんたちの姿に驚いた??醋o(hù)師の姿はなく、醫(yī)師が一人で診察し病狀説明をし、注射や包帯を巻いていた。

「いつも看護(hù)師さんがいっぱいいる病院だけど、いないですね」とLさん?!弗偿恁胜撬伺汕菠丹欷皮い毪韦猡筏欷蓼护螭汀工人健T\察の番が回ってきた。私が日本語で話すとLさんが通訳してくださった。醫(yī)師は事情を聴いてレントゲン室へ行くように言った。結(jié)果をみると、膝にヒビがはいっている骨折と診斷された。家に帰るように言われた。

Lさんが夜一人でいるのは危険だからと、心配して私の家に泊まって頂くことになった。心強かった。Lさんにはソファーで寢てもらった。次の日の朝、職場に連絡(luò)をいれた。それから又病院へ行きCT、MRI診察を受けた。醫(yī)師から「今から入院してください」と説明があり、裝具を著用し、徐々に直していく方法を採用すると醫(yī)師は言った。

入院の準(zhǔn)備に家に帰り、同僚の中國人C先生が入院手続きのサポートに來て下さった。それから日本の保険會社にLINEで連絡(luò)をいれた。すぐに代理店の中國人から電話がかかり、「大丈夫ですか。サポートしますのでご安心ください」というやさしい言葉に安堵した。LさんとC先生と私の3人でタクシーに乗って再びW病院へ向かった。

入院手続きをして病室に向かうと看護(hù)師さんが介護(hù)士を雇うかどうか聞いてきた。中國では自分で介護(hù)士を雇うか家族が24時間つききりで看病するのが通例のようだ。狀況からみて私は不要だと伝えた。看護(hù)師は「用事があったらブザーで知らせてくださいね」。入院してからは晝間四つ點滴、夜も四つ點滴をした。

夜に裝具を作る技師が病室に來て、足のサイズを測ってくれた。この裝具ができたら退院と言われた。技師の方が來た時に同時に日本人校長が果物をもってお見舞いに來て下さった。「すみません。ご迷惑をおかけして」「いえいえ、今は健康を一番に考えてください」と暖かい言葉を頂いた。

次の日またC先生がサポートに來てくださった。3日間入院して退院した。入院中はお隣に入院されていた助産婦さんと仲良くなりいろいろおしゃべりをした。彼女も道で転倒し腰を強打したようだ。

病室には無料でテレビを見ることができた。そして広くて清潔なシャワーとトイレの設(shè)備があった。これは助かった。シャワーを毎日浴びてさっぱりできた。食事は日本と違って自分の好きなものをスマホで選んで決済したら、ベッドまで配達(dá)してくれるシステムだった。さすが美食の街長沙だなと思った。美味しかった。

退院時にまた學(xué)校のC先生に手伝って頂きタクシーで帰った。足を真直ぐに固定されているので、車の後部座席に足を延ばして乗った。家に帰ってからも同僚の中國人先生や長沙在住の日本人の方々に本當(dāng)に、暖かく手助けして頂いた。周りの長沙の中國の方がさりげなくサポートしてくださって、松葉杖でしか歩けない狀況でも困らないように手伝ってくださった。

急遽この事故で日本に帰國する運びとなった。殘念でたまらない。しかし長沙でこんな素晴らしい友人に會うことができて、幸せなことと心から思う。お世話になったLさんをはじめ長沙で出會った友人には心からの感謝を伝えたいと思う。

「ありがとうございました。非常感謝您」

■原題:長沙で入院! 忘れられない長沙的熱情の人々

■執(zhí)筆者プロフィール:矢野眞澄(やのますみ) 大學(xué)教員

1962年10月兵庫県伊丹市。1983年武庫川女子短期大學(xué)文學(xué)科卒業(yè)後、旭硝子に就職し7年OL。1990~1993年北京語言大學(xué)に留學(xué)飛び級して卒業(yè)學(xué)位取得。HSK8級取得。フリー通訳をする。2017年大手前大學(xué)に編入學(xué)。2019年卒業(yè)學(xué)位取得、420時間日本語教師の資格取得。2019年信男教育學(xué)園に採用され、日本語教師として上海に赴任するもコロナで2020年退職。信男教育學(xué)園の長沙校に2021年赴任2022年帰國?,F(xiàn)在大阪観光大學(xué)伊丹サテライト校日本語教師。

※本文は、第5回忘れられない中國滯在エピソード「驚きの連続だった中國滯在」(段躍中編、日本僑報社、2022年)より転載したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。


※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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