中國新聞社 2023年6月11日(日) 23時20分
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中國の民族衣裝として國際的にも最も有名な服は、近代になって洋服の影響を受けて出現(xiàn)したチャイナドレスだろう。當(dāng)時の資料として最も重要なのは上海大學(xué)博物館が所蔵するコレクションだ(寫真)。
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中國の民族衣裝として國際的にも最も有名な服は、いわゆる「チャイナドレス」だろう。しかしこの服は中國固有の服ではなく、中國の服と洋服が融合したものだ。しかしその「異質(zhì)の文化を融通無礙に習(xí)得する」発想こそが、中華文化の大きな特徴だという。服飾史を?qū)熼Tとする上海大學(xué)博物館の苗薈萃學(xué)蕓員はこのほど、中國メディアである中國新聞社の取材に応じて、チャイナドレスにまつわるさまざまな事情を説明した。以下は苗學(xué)蕓員の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
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チャイナドレスを意味する中國語の「旗袍(チーパオ)」は、旗人と呼ばれる清朝時代の支配階層が著ていた服に由來することで発生した。しかしチャイナドレスの大きな特徴が長衣であることなどを考えれば、中國ではさまざまな民族が長衣を著用してきた。その歴史は漢代(紀(jì)元前202年-紀(jì)元220年)などのはるかに古い時代にさかのぼることができる。チャイナドレスは古くからの長衣の歴史に関係して、それがさらに西洋の衣裝の特徴を取り入れたものだ。
チャイナドレスは中華民國期に登場した。特に重要な発祥の地は外國との交流が多かった上海で、上海での作り方が現(xiàn)在のチャイナドレスの基本になった。従って、上海流のチャイナドレスということで、「海派旗袍」という言い方もある。
チャイナドレスは徐々に改良され、スタンドカラーやスリットを主な特徴とするようになった。初期にはゆったりした服だったが、1920年代の上海で西洋の要素を取り入れられてスリム化した。ジッパーなどの便利な付屬品も追加された。上海では1930年代から40年代に、チャイナドレスの黃金期を迎えた。映畫スターをはじめとして學(xué)生や主婦まで、あらゆる女性がチャイナドレスで身を包んだ。上海はチャイナドレスの流行の発信地であり、多くのメーカーが育った。その一部は後になり香港に渡った。香港は上海流チャイナドレスの後継者になった。1960年代に再びチャイナドレスのブームが起こったのも、上海起源の「遺産」があったからだ。
上海大學(xué)博物館(海北文化博物館)の「栄氏チャイナドレスコレクション」は最良の上海流チャイナドレスのコレクションだ。スカート部分は膝丈のものもあれば、足首まで達(dá)するものもある。ジャケットを組み合わせたスーツ式の衣裝もある。これは西洋のスーツファッションを參考にしたものだ。裝飾では中國服でよく使われる刺繍以外に、當(dāng)時になって一般化したビーズの使用がある。中國の職人の技と相まって、ビーズはチャイナドレスに大きな視覚効果を與えた。
「栄氏コレクション」には所有者が明らかという特徴がある。家寶となるようなチャイナドレスの多くは、誰がいつ著用したのか分からない場合が多い。しかし上海大學(xué)博物館のコレクションは、栄氏という一族が著用したものだ。さらに、栄氏一族の中でも誰のものだったか記録が殘っている。そのことでチャイナドレスの歴史的変化もはっきりと示されている。
上海流チャイナドレスの変化の歴史は、中國のさまざまな伝統(tǒng)文化の価値観も反映している。特に顕著なのは、「変化を求める」「中道」「中華としての一體」だ。
チャイナドレスの歴史は東洋と西洋の融合の歴史だ。上海流チャイナドレスは「足りなければ変化を求める」「時代に合わせて変化する」の中國の伝統(tǒng)的発想で、新しい社會の求めに応じて変化していった。異文化の美學(xué)や技法を素直に受け入れて自らを変革させたのだ。
中國の伝統(tǒng)的な「中道」を體現(xiàn)しているというのは、例えば體にフィットしたシルエットで女性の體の曲線を強(qiáng)調(diào)する一方で、肌の大部分は布地で覆っていることなどだ。西洋の技法を遠(yuǎn)慮せずに使うが、伝統(tǒng)の要素は十分に保持している。特定の要素を取り入れて大いに活用するが「一辺倒」にはならない。
チャイナドレスの歴史には「中華としての一體」も反映されている。チャイナドレスが勃興した時期から上海は東アジアのファッションの中心地になった。この時期にはすでに、中國からの移住者が東南アジアをはじめとして世界の多くの土地にいた。中國國外に住む華人も、チャイナドレスのファッションを受け入れた。20世紀(jì)後半になると、國籍や居住地域を問わず世界中の華人がチャイナドレスを特別な日の正裝にして民族のアイデンティティを示すようになった。このことは、「中華としての一體」という概念の深い影響力を示している。
衣服の発展の初期には東洋も西洋も、布を最大限に節(jié)約し、裁斷を最小限にする方向で衣服を作った。しかし、中國と西洋が遠(yuǎn)く離れていることなどで、中國に代表される東洋の服と歐州に代表される西洋の服は、長い歴史の中で分岐した。
衣服に使われる生地を重視して、中國は服飾について「絹文明」、歐州を「羊毛文明」と呼ぶ研究者もいる。西洋ではより複雑で立體的な構(gòu)造の服飾が発達(dá)し、中國の服飾は平面構(gòu)造の志向を保ったことにも素材の違いが大きく関係している。
そのような狀況において、チャイナドレスは近代中國服飾の出発點(diǎn)であり、変化の発端だった。チャイナドレスは次第に立體的になっていった。しかしその一方で、中國の伝統(tǒng)的な襟元や裾部分の大きな折り返し、スリットなどの要素は意図的に殘された。
このように東洋と西洋が融合したチャイナドレスは、中國の現(xiàn)代ファッションにとって重要な參考事例だ。伝統(tǒng)服の継承とは、古い衣裝を復(fù)元するのではなく、時代に合わせてより高度な技術(shù)やより良質(zhì)な素材を使って、洗練され最適化された伝統(tǒng)的な要素を革新的に表現(xiàn)するものだ。
衣服は異文化間のコミュニケーションに非常に便利なツールだ。言語が通じなくても視覚的な美意識は地理や文化を超越するからだ。中國文化の知識がない外國人でも、中國の伝統(tǒng)衣裝の美しさに感動することができる。これこそが、文化シンボルとしての服飾の大きな特長だ。服飾には、文明を超えた相互交流の媒介になれる力がある。(構(gòu)成/如月隼人)
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