野上和月 2023年6月15日(木) 21時0分
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天安門事件から34年となった「香港の6月4日」が完全に様変わりした。事件の翌年から毎年、犠牲者を追悼してきた香港島?ビクトリア公園は今年、親中派団體による中國各地の特産品を売るイベント會場となった。
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1989年の天安門事件から34年となった「香港の6月4日」が完全に様変わりした。事件の翌年から毎年、犠牲者を追悼してきた香港島?ビクトリア公園は今年、親中派団體による中國各地の特産品を売るイベント會場となり、30年以上にわたって香港の言論や集會の自由の象徴だった場所は、愛國心を発揚する場に取って代わられたのだ。公園周辺では他人を扇動する追悼行為を警戒した警察による?yún)棨筏ぞ瘋浃螭?、この日の“景色”は大きく塗り替えられた。
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香港の6月4日といえば、香港人なら誰もが想像するのは、事件の翌年からビクトリア公園で毎年行われていた、天安門事件の犠牲者を追悼する集會だ。1997年の香港の中國返還以降も「一國二制度」のもと、事件をタブー視する本土とは一線を畫し、中國で唯一大規(guī)模集會を開いてきた。6月4日が近づくと、地元紙は特集を組むなどして追悼ムードを盛り上げた。集會に參加しなくても、「ああ、今日は64(ろくよん)か」と、誰ともなくオフィス內(nèi)でつぶやくほど、香港人はこの日を特別視していた。
集會は毎年、午後8時から始まり、數(shù)萬人から十數(shù)萬人規(guī)模の市民が集まり、公園內(nèi)の6つのサッカーコートを埋め盡くした。毎回同じ音楽が流れる中、ろうそくの燈を手に「(中國政府は、事件は學生の動亂という)評価を見直せ」「中國の民主化を進めよう」「一黨獨裁を終結(jié)させよう」などと叫んだ。
私は當初、香港は変化が早く、金もうけに邁進する都市だから、10年もたてばこの集會も風化していくと思っていた。が、違った。集會を主催していた香港市民支援愛國民主運動連合會(支連會)が「追悼の燈を絶やしてはならない」と訴えれば、若者らもまた「封印されて事件を知らない本土の同世代たちのためにも我々が語り継がねば」と応えて、気が付けば30年もの歳月が流れていったのだ。普段は市民がサッカーをしたり、のんびり過ごしたりする憩いの場が、この日ばかりは民主の雄叫びを上げ、祈りの光が公園を埋め盡くす。まさに自由を愛する香港人の面目躍如だった。
そんな6月4日のビクトリア公園が、新型コロナによる集団行動の規(guī)制が撤廃された今年、一変した。
中國各地の特産品があふれ、中國の伝統(tǒng)工蕓や伝統(tǒng)蕓などを披露するイベント會場となった。親中派団體が主催したもので、6月4日を挾んだ3日間、さまざまな中國文化に觸れて、中國のことをもっと理解してもらおうという、いわば愛國イベントの場に塗り替えられたのだ。
場內(nèi)は、香港住民が普段話す広東語ではなく、普通話(標準中國語)が飛び交った。特産品を売る店舗では民族衣裝を身にまとった女性たちに混じって記念寫真を撮ったり、安価で販売されているご當?shù)厣唐筏蛸Iい求めたりする市民でにぎわった。わざわざ本土からやってきた出店者との交流だけでなく、中國の歌や獅子舞などが披露され、中國をより身近に感じてもらおうという趣向が伺えた。極め付けは、園內(nèi)の空いたスペースを封鎖するバリケードや場內(nèi)の案內(nèi)板を中國のシンボル色である赤にしていて、ここまでするのかと思うほどの徹底ぶりだった。
一方の追悼行為。香港政府は追悼は自由としていたが、公園周辺は警察による?yún)棨筏ぞ瘋潴w制が敷かれ、「社會の安寧を破壊した疑いがある」として、ろうそく形ライトや花を持っていた人、攜帯電話のライトをろうそくの燈に見立てて掲げていた人など23人が連行された。
30年もの間続いた香港の自由や民主を象徴する追悼集會の場が、いとも簡単に愛國イベントの場に塗り替えられたのはどうしてか?
それは、3年に及んだ新型コロナ対策と、その間に反體制を取り締まる香港國家安全維持法(國安法)が施行されたことに盡きるだろう。
20年春に香港でも新型コロナがはやり始めると、香港政府はコロナを理由に集會を禁じた。それでも自発的に集まった市民が追悼集會を行ったが、そこに警察の姿はなかった。その後國安法が施行されると、21年と22年の6月4日は、警察が公園一帯を封鎖し、市民の立ち入りを禁じた。さらに天安門事件の寫真などを展示する「六四記念館」は閉鎖され、支連會も解散に追い込まれていった。
そして今年。コロナによる規(guī)制が撤廃されて集団行動ができるようになると、公園は封鎖されず親中派団體のイベント會場に利用されたのだ。
最近の香港は、愛國とか國家安全といった、愛國心を高めたり香港は中國の一部であることを意識させたりする政府高官や親中派議員の発言やイベントが増えている。追悼集會の主催者を失った「香港の6月4日」のビクトリア公園は、いとも簡単に愛國心高揚の場に塗り替えられたのだった。
これまでことあるごとに立ち上がって、政府に対して聲を発していた香港市民は國安法が登場してからすっかり貝となった。以前のように政府や政治を話題にしない。したとしても、皮肉を込めて褒めちぎる?!缸杂嗓驉郅工霘莩证沥辖瘠鈴姢ぁ¥扦馕摇─辖瘠误w制の中で生きるしかない」(36、男性)からだ。
今年の6月4日のビクトリア公園には、1カ月後に控えた返還26周年を祝う巨大看板も掲げられた。メディアは「わざわざ遠い現(xiàn)地に行かなくても、この公園でご當?shù)丐翁禺b品を手に入れることができた」と喜ぶ來場者の聲を伝えていた。夜になると公園內(nèi)のベンチで、黒い服を身にまとい一人で本を読んだり、お弁當を食べて過ごしたりと、明らかに追悼に來たと思われる市民の姿があった。それはかえって、もう公の場で赤の他人と一緒になって追悼できないことや、體制批判と受け止められる聲を発することができなくなった現(xiàn)実を映す光景だったともいえる。
追悼集會はいつも、支連會が「(返還記念日の)7月1日に行う民主化デモで會おう」と叫んで解散していた。その7月1日も今年は、“市民の安寧を脅かす行動”を取り締まる警察と、親中派団體による祝賀や愛國イベントが街を埋め盡くすことだろう。コロナ後に香港で行われる集団活動の主役が、民主派から親中派に変わったことを今年の6月4日のビクトリア公園は物語っていた。
■筆者プロフィール:野上和月
1995年から香港在住。日本で産業(yè)経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機関に勤務(wù)。1987年に中國と香港を旅行し、西洋文化と中國文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中國返還を見たくて來港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執(zhí)筆。読売新聞の衛(wèi)星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、寫真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。 ブログ:香港時間インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89
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