長春の「考える人」が教えてくれることとは―彫刻家が説明

中國新聞社    2023年7月2日(日) 22時30分

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フランスの彫刻家のオーギュスト?ロダン(1840-1917年)の最も有名な彫刻作品「考える人」。

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「考える人」は、フランスの彫刻家のオーギュスト?ロダン(1840-1917年)の最も有名な彫刻作品と言ってよいだろう。「彫刻の街」と呼ばれる吉林省長春市には、中國で唯一の原型翻案の「考える人」が置かれている。どのような経緯で長春に來たのか。また、宗教的な意味合いが強いこの作品がなぜ中國で広く知られているのか。著名な彫刻家である東北師範大學美術學院の韓璐準教授はこのほど、中國メディアの中國新聞社の取材に応じて、「長春の考える人」について説明した。以下は韓準教授の言葉に若干の説明內容を追加するなどで再構成したものだ。

その他の寫真

「彫刻の街」として評価される吉林省長春市

2000年に建設された長春世界雕塑園(長春世界彫刻園)」は、東西の文化蕓術の融合を理念とする大型の現(xiàn)代彫刻蕓術のテーマパークだ。長春世界彫刻園ではこれまでに國際的な彫刻大會5回と國際彫刻作品招待展20回が開催され、世界216の國と地域の彫刻作品1萬點以上を所蔵するようになった。長春世界雕塑園は、長春が「彫刻の街」と呼ばれるようになった理由でもある。

第1回中國長春國際彫刻大會が2003年9月に開催された際、多くの政界関係者や彫刻家、研究者が、國際的に有名な彫刻家の作品を長春に迎えることを提案した。市側はこの提案に賛同した。

この動きを知った仏英両國の関係者は長春を訪れて、彫刻蕓術の扱いを視察し、彫刻文化が根付いていることを評価した。長春側の関係者もフランスのロダン博物館の関係者を訪問し、長春市と友好都市の関係であるフランスのモントルイユ市と彫刻を通じての交流を展開した。両市は彫刻作品を交換することなどで、ロダンの彫刻作品を長春に導入するための「ウォーミングアップ」を行った。

互いの理解が深まり、ロダン博物館は06年8月、ロダンの原型を翻案した「考える人」を長春に売ることを承諾した?!缚激à肴恕工L春世界彫刻園に到著したのは07年7月26日だった。

國際的な慣例では、彫刻作品では1つの型から同じ作品を複數(shù)鋳造することができ、これらの作品はすべて原作とみなされる。「考える人」には5體の石膏型があり、最初の4體からはロダンの生前に「考える人」が21點鋳造された。長春世界彫刻園の「考える人」はロダン博物館が5番目の鋳型から作ったもので、真?zhèn)韦蛞姺证堡毪郡幛翁厥猡士逃·踏蓼欷皮い搿?/p>

長春彫刻園の入り口には「考える人」のほか、ロダンの「カレーの市民」「青銅時代」「バルザック」「歩く人」の4點が設置され、「ロダン広場」が構成されている。東西の文化交流が日増しに密接になっていることを考えれば、「考える人」だけでなく、その他にも多くの蕓術作品が中國にもたらされたことは必然だ。

長春世界彫刻園で展示されているロダンの作品「考える人」

ロダンは「ありのままの人」を造形

「考える人」はまず、ダンテ(1265-1321年)の「神曲?地獄編」をモチーフにした「地獄の門」の一部として作られた。門の上で頭を下げて座って地獄を眺める「考える人」はダンテ自身とされる。ロダン自身が、「地獄の門」を作る過程で地獄の人間の苦しみを感じて考え込んでいたという説もある。

この「考える人」は「人の代表」と考えることができるだろう。神の視點で衆(zhòng)生を見下ろすのではなく、人々と苦痛の感情を共有し、考え、感じている。ロダンの造形は、そのことを具象化したのだ。引き締まった筋肉、凝り固まった足の指、深いまなざし、眉をひそめ、抑圧された姿勢などだ。そのため、「考える人」は高所に座って人々の苦しみを洞察しているように見えても、実際には苦しみの內側に身を置いて、人々がもがく悲鳴に共感しているのだ。

これは、ロダンの蕓術がそれまでの蕓術と異なる重要な點の一つだ。ロダンは人そのものを観察し、最も自然な方法で人を表現(xiàn)し、人を形作り、人間性を表現(xiàn)しようとした。

ロダンは最も早く中國に紹介された西洋現(xiàn)代蕓術家の一人だ。美學の大家の宗白華(1897-1986年)や文豪の魯迅(1881-1936年)もロダンを評価して中國に紹介した。ロダンのもう一つの特徴は、理想美を表現(xiàn)するための「自然の矯正」を行わなかったことだ。ロダンは自然を尊重し、対象そのものを尊重し、創(chuàng)作対象の本源的特徴を通じて真実の美を掘り起こして表現(xiàn)することに長けていた。ロダンは生活と生命そのものを尊重し、敬意をもって対象を再現(xiàn)した。ロダンはこのような新しい道をたどったことで、現(xiàn)代雕刻の扉を開く重要な人物になった。

「考える人」が最初に中國に紹介されたのは、1910年代の新文化運動期、すなわち中國の社會と歴史の転換期だった。新文化運動は封建思想の支配的地位を揺るがし、國民を5000年の思想的束縛から解放した。さらに重要なのは、新文化運動が掲げた民主と科學の旗が、當時の人々の精神の目覚めを誘発したことだ。中國にとっての「考える人」の出現(xiàn)は、この思想解放の潮流にぴったりだった。


長春世界雕塑園(長春世界彫刻園)

優(yōu)れた蕓術には「人と人の垣根」を打ち破る力

雕刻蕓術の創(chuàng)作の題材の選択や表現(xiàn)手法などは地域、民族、文化背景、蕓術理念、さらに社會政治體制の違いによって、異なる様相を示す。だから、理解にとってのある種の垣根が生じる場合もある。しかし、どの時代にも、垣根を超えて人の心の最も柔軟な部分に直接に訴えて沸き立つ感情を呼び起こす作品はある。

東洋人と西洋人にも共通性がある。感情にも接點があるのはもちろんだ。人そのものに注目し、人間性の核心を掘り起こす作品は、「考える人」のように命の意味を伝えるものであり、人への関心を第一に置いている。その魅力は、技法の精巧さや造形の正確さだけでなく、人間性の輝きへの関心や人の運命への思索により多くある。そのような彫刻蕓術は、地域と文化の溝を越え、言葉を超え、最終的にはさまざま壁を打ち破る。人々は作品を通じて互いに共感することができる。

世界では、多くの美術館が協(xié)力し合い、展示品の相互貸與や交流を行っている。異なる國や地域の人々のために、より多くの蕓術を理解し、蕓術に近づき、鑑賞し、蕓術を愛する土臺の構築だ。長春世界彫刻園は自然環(huán)境との有機的な結合により、蕓術と人の関係をさらに近づけている。人は異なる文化表現(xiàn)と多元化した蕓術の姿を見ながら園內をそぞろ歩く。

蕓術と人、蕓術と自然、さらには命との調和が成立した関係は、人が生きる過程において永遠の関心事だ。蕓術が持つ表現(xiàn)性に基づいて東西の蕓術を探求するだけではなく、人と自然と蕓術が共に作り上げる調和の雰囲気を體感すべきかもしれない。そうすれば、蕓術を鑑賞する喜びを得るだけでなく、自然が人に與えてくれるより深い思考を得ることができるかもしれない。(構成 / 如月隼人

※記事中の中國をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現(xiàn)地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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