中國(guó)新聞社 2023年7月9日(日) 23時(shí)30分
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中國(guó)の古い書(shū)籍は周辺民族語(yǔ)に翻訳されることも多かった。西夏語(yǔ)に翻訳された「孫子兵法」は、「孫子兵法」の本來(lái)の姿を知るために、大いに役立っているという。
中國(guó)では極めて早い時(shí)期から漢字による文字文化が高度に発達(dá)した。中國(guó)の周辺民族の間では、記録や情報(bào)伝達(dá)のために漢字や漢文を使用する現(xiàn)象が発生した。そして、固有の言語(yǔ)をそのまま書(shū)き表すために自らの文字を生み出す民族も登場(chǎng)した。日本は好例で、漢字のくずし字からひらがなが、部首からカタカナが生まれた。一方で、日本人とは別の原理で文字を作り出した民族もある。たとえばタングート人は部首を組み合わせる漢字と同様の発想で文字を作り出した。タングート人は現(xiàn)在は存在しない民族で、チベット系だったとする説が有力だ。タングート人は現(xiàn)在の中國(guó)の北西部に夏(西夏)という國(guó)家を樹(shù)立したので、彼らが創(chuàng)出した文字は西夏文字、その文章は西夏文などと呼ばれる。西夏が成立したのは1038年で、最終的には1227年に、モンゴルに滅ぼされた。
「孫子」と言えば、紀(jì)元前500年ごろに生きた孫武の書(shū)いた軍事を説く書(shū)物として、現(xiàn)在も極めて重視されている。そしてこの「孫子」には西夏文版が現(xiàn)存する。この西夏文版は「孫子」を研究する上で、極めて重要という。寧夏大學(xué)民族および歴史學(xué)院の彭向前副院長(zhǎng)はこのほど、中國(guó)メディアの中國(guó)新聞社の取材に応じて、「孫子」と西夏文字版「孫子」について説明した。彭向前副院長(zhǎng)が著した「西夏文『孫子兵法三注』研究」は2022年に、中國(guó)における哲學(xué)や社會(huì)科學(xué)の重要な成果物であることを示す「國(guó)家哲學(xué)社會(huì)科學(xué)文庫(kù)」の1冊(cè)に認(rèn)定されている。以下は、彭副院長(zhǎng)の言葉に若干の説明內(nèi)容を追加するなどで再構(gòu)成したものだ。
學(xué)界では、「孫子」の各種の版の元をたどれば竹簡(jiǎn)本、武経本、十一家注本の3系統(tǒng)に収束すると考えられていた。しかし「孫子」にはもう一つの版がある?,F(xiàn)在の內(nèi)モンゴル自治區(qū)の最西部にあるカラ?ホト(黒水城)遺跡で出土した西夏文の「孫子兵法三注」だ?!溉ⅰ工趣?、曹操と李筌、杜牧の3人による孫子の本文に対する注を紹介していることを示す。曹操は非常に有名な武將だ。李筌は唐代の道士であり兵學(xué)の著作も評(píng)価されている。杜牧は唐代の詩(shī)人?文人として知られる人物だ。
西夏文「孫子兵法三注」には原文と注釈部分があるが、殘っているのは、後半を中心とする本來(lái)の5割以下だけだ。しかし、現(xiàn)在主に使われている宋代の注釈付きの寫(xiě)本とは異なる部分が非常に多い。
古代中國(guó)の兵書(shū)は、北宋の元豊年間(1078-85年)に公式定本が公布された。その後は、それ以外のさまざまな版は消滅していった。西夏文「孫子兵法三注」は宋代に編集される前の狀態(tài)が反映されており、學(xué)術(shù)的価値が高い。
中國(guó)では古い時(shí)代、書(shū)物が書(shū)寫(xiě)によって伝えられてきた。比較的新しい寫(xiě)本が殘り、古い寫(xiě)本は現(xiàn)存していない場(chǎng)合が一般的だ。古典を研究する際の障害の一つが誤寫(xiě)だ。1文字でも誤寫(xiě)があると意味が通じなくなったり誤読してしまうことになる。新しい注釈では、古い文章について「これは×と言う字の誤りであろう」などと注釈者の意見(jiàn)が披露されている場(chǎng)合も珍しくない。「なるほど」と首肯できる場(chǎng)合もあるが、研究という作業(yè)においては、可能な限り証拠固めをしたいところだ。
西夏文の「孫子」は、この誤寫(xiě)を発見(jiàn)し、より信用できる論拠を示すために役立つ。例えば「孫子第七篇?軍爭(zhēng)」では、杜牧が「富哉問(wèn)乎」という注を入れた部分があった。注のこの部分は難解とされ、多くの言葉を使って解釈した學(xué)者もいた。ところが西夏文版では「あなたの問(wèn)いは當(dāng)を得ている」と訳されていた。とすれば原文は「當(dāng)哉問(wèn)乎」だったはずだ。これなら簡(jiǎn)単に理解できる。これは、「當(dāng)」の舊字體が「當(dāng)」であって「富」と形が似ているために発生した誤寫(xiě)と考えられる。「富哉問(wèn)乎」ではなくて「當(dāng)哉問(wèn)乎」ではないかと気づく人はいるかもしれない。ただ、誤寫(xiě)と斷言できるだろうか。西夏文に訳されていたので正しくは「當(dāng)哉問(wèn)乎」だったと確信が持てるわけだ。
また、中國(guó)の古典には、書(shū)かれた當(dāng)時(shí)には簡(jiǎn)単に、しかも確実に理解できたが、今となっては難解だったり誤解しやすい部分がある。例えば、孫子にある「巻甲而走」という表現(xiàn)は、今では「甲冑を丸めて擔(dān)いで歩く」と理解されがちだ。しかし西夏文では、「甲冑の下部を巻き上げる」と訳されている。つまり「部隊(duì)が前進(jìn)する際には邪魔になる甲冑の裾を巻き上げて歩く」ということだ。
私が著した「西夏文『孫子兵法三注』研究」は、中國(guó)古代少數(shù)民族が殘した西夏文を利用して伝統(tǒng)的な漢文の典籍である「孫子兵法」を大規(guī)模に研究した初めての試みだ。この研究を通じて、従來(lái)の方法では解決できなかった多くの問(wèn)題を解決することができた。また、唐?宋時(shí)代の「孫子」とその注本の変遷と発展過(guò)程を解明する上で大きな助けになるはずだ。
漢文で書(shū)かれた書(shū)籍の西夏文翻訳版は「夏訳漢籍」と呼ばれる?!笇O子」をはじめとする兵家の著作以外にも、儒教や道教関連、さらに史書(shū)や醫(yī)學(xué)関連の「夏訳漢籍」が多く殘っており、いずれも大きな學(xué)術(shù)的価値を持つ?!赶脑U漢籍」の相互比較を十分に行えば、中華の伝統(tǒng)的な典籍の研究を全方位的に促進(jìn)することができる。そのことは、西夏學(xué)の研究範(fàn)囲を超えて、隣接する學(xué)問(wèn)分野を觸発することになるはずだ。
遼、宋、西夏、金の時(shí)代は中國(guó)の歴史上、民族政権の対峙から再び統(tǒng)一に向かう過(guò)渡期であり、この時(shí)期に少數(shù)民族政権が次々に自民族の文字を利用して漢文の典籍を翻訳したことは、少數(shù)民族政権が中原の伝統(tǒng)文化を認(rèn)めていたことを示す。このような文化的アイデンティティーは、中國(guó)が長(zhǎng)い歴史を持つ、統(tǒng)一された多民族國(guó)家になった思想的基盤(pán)であり、次の元代に統(tǒng)一された中國(guó)、中華のための條件を作った?!赶脑U漢籍」を含む少數(shù)民族の文字で翻訳された漢文典籍に対する研究を強(qiáng)化すれば、中原政権と周辺民族の文化交流の史実を知ることができ、中華民族の共同體形成の歴史的論理の認(rèn)識(shí)を深めるのに役立ち、中華民族共同體の意識(shí)を確固たるものにする重要な現(xiàn)実的意義がある。(構(gòu)成 / 如月隼人)
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